71.面会者
ホームには様々な面会者が訪れる。主に入居者の親類が多いが、時間はさまざまで、昼間に来る人もいれば、仕事を終えた夕方から夜にかけてくる人もいる。週の中では休日がもっとも多いが、平日でも夕方になるとある程度面会者は増え、玄関の人の出入りが激しくなる。
現在PM6時。今日も玄関の自動ドアは定期的に開閉を繰り返していた。
杏実は仕事を終え、昼間にわざわざスタッフルームに挨拶にこられた面会者の家族から頂いたお菓子を、受付スタッフにおすそ分けしに受付に来ていた。
受付はあまり普段立ち入らないエリヤだが、ホームの行事などではよく話すので、仲良しだったりする。
ついでにホームでの内内の出来事などを話していると、受付の入口の方から――――――声が聞こえてきた。
「すみません。朝倉 颯人さんは、こちらに面会に来てないでしょうか?」
透明感のあるきれいな声。小さくもなく大きくもなくその声は心地よく耳に届く。その声に受付スタッフと共に杏実も振り向いた。
受付の前には一人の女性が堂々としたいでたちで立っていた。その声にぴったりなきれいな女性。ブルーのザックリしたニットにスキニーパンツを履いており、背が高くそのボディーラインはほっそりとして完璧、何よりも大きいながらも切れ長で意志の強そうな瞳とスッと伸びた鼻、薄い口ととにかく美女と評されておかしくない女性だった。
思わず杏実は見惚れてしまう。
「なんでしょう?」
受付のスタッフの一人がその女性のもとに行き、話しかけた。
「こちらは……下村 フミさんの入居されてるホームですよね? その孫の朝倉 颯人さんは今日こちらに来られていませんか?」
朝倉さんの知り合い?
杏実がその言葉に不思議に思っていると、受付のスタッフが突然不躾な態度でじろじろとその女性を見始めた。
「失礼ですが……どのようなお知り合いで?」
「え……?」
その女性はスタッフの言葉と態度に戸惑って、思わず言葉を失ってしまったようだった。
あ~あ……
運が悪かったな……と思う。
その対応しているスタッフは受付のスタッフの中でも最年長、45歳 美崎さんだ。美崎さんはホームの中でも名の知れた“颯人の大ファン”なのだ。容姿の良さにほれ込んでいるのはもとより、受付スタッフが言うにはドM体質らしくあのそっけなさがツボらしい。またいつもの冷徹な態度と、フミの前で見せる柔らかい表情とのギャップにもやられているらしく、美崎さんの前では杏実が同居していることなど完全にタブーなのだ。(もちろんホームのスタッフは誰も知らないことだが……)
しかも受付には、時々“颯人目当て”で女性が訪ねてくることがあるらしく、美崎さんはそれを敏感に察知してことごとく追い出していくらしい。
まあ……当然と言えば当然だが。
「それは言わないといけないんですか?」
「当たり前です。ホームに入居されている方や家族の方のプライバシーも、我々は守らなくてはけないので」
そう言って、美崎さんはサッとその女性に気づかれないように面会簿をカウンターに隠してしまう。
あの帳簿を見れば今来ているかどうかわかるのに(と言っても颯人は書かずに顔パスで上がることが多いみたいだが)……お得意の意地悪だ。
「私は、颯人の……」
女性はむっとしたのか怪訝そうに目を細め、少し大きな声でそう言ったあと、突然言葉を濁らせた。
そして美崎さんを視線で睨みつけると、不機嫌そうな様子で「……もういいです」と言って踵を返し、玄関のドアから出て行ってしまった。
「やった! 成功!」
美崎さんはそう言って帳簿を元の位置に戻すと、ガッツポーズでこちらを振り向く。ほかのスタッフは苦笑いをしながら、杏実の持ってきたおすそ分けを再び食べ始めた。
美崎さんはその輪に来て「あれは絶対朝倉さん目当ての女狐だったわ」と豪語している。
きれいな人だった。しかし……美崎さんの言うとおりただのファンだったんだろうか? と思う。フミさんのことも知っていたし、何より―――――“颯人”と呼んでいた
親しい間柄の人?……たとえば元彼女…………
そう思って首を振ってその答えを否定する。もしそうだからと言って杏実には関係の無い事なのだ。変に勘ぐるのは颯人に失礼だ
帰ろう
そう思ってカバンを持つと、受付のスタッフに挨拶をしてスタッフルームを後にする。普段は裏口から帰るのだが、今日は私服に着がえていたので、表玄関からホームを出た。
しばらく門まで続くホームの庭園をぼんやりと歩いていると、後ろから声を掛けられた
「すみません」
その声に振り向くと、さっきのきれいな女性がすぐ後ろに立っていた
「……え?」
突然話しかけられたことにびっくりして、思わず自分じゃないのでは……と思って周囲を見渡す。誰もいない。どうやら杏実を呼びかけたらしい
「先ほど受付にいたわよね? あなたもここの職員?」
その言葉を聞いて納得する
「はい」
「そう。……ちょっと驚いたわ。受付のくせして面会者にあんな態度……いつもあんなのかしら?」
その女性は不快感を表に出してそう言っている。確かに美崎さんはこの女性に対して、初めからちょっと威圧的に接していたし不快に思っても仕方ないだろう。同じホームのスタッフとして少し申し訳なくなる。
「すみません……」
「あなたが謝ることじゃないけど……正直困ってるのよ」
「朝倉さんを……お探しなんですよね?」
杏実がそう言うとその女性はため息をついて、うなずいた
「携帯に電話しても出ないし、会社に電話してもいないって言うし……仕方ないから裕之に聞いたら『今日フミさんに呼び出されたみたいだから、夕方ぐらいにそっちに行くんじゃないの』って言われて、マンションの前にいても仕方ないし、わざわざ荷物抱えてここに来たのに……」
よく見れば、女性は大きな車輪付きのバックを持っていた。旅行に持っていくときのようなあれだ。
しかし―――――裕之?
誰だろう?
「何とかならないの? 私、フミお祖母ちゃんに会うわけにはいかないの。ここに今いるかどうかだけでも知りたいのよ。ここの職員なら、ちょっと見てくるとかなんとかしてもらえない?」
フミさんに会えない?
何やら事情があるようだと推測する。しかし初対面ににかかわらず、その言動の強引さに戸惑う。しかしそれだけ困っているという事なのだろう。
颯人がいるかいないかを確かめるすべは、杏実にとってはフミのところに行かずとも簡単なことだ。見ず知らずの人に頼むほど真剣なのだから、ここは協力してあげるべきだろう。
そう思って「わかりました。すこし待っててください」と言うと、カバンから携帯を取り出す。
フミの番号を押すと、すぐにフミが出た。
「もしもし、フミさん?」
『ああ……杏実ちゃんか? どうしたんじゃ?』
「あのね。ちょっと聞きたいことがあって……そっちに朝倉さんいる?」
『颯人? おらんよ』
「そう。今日こっちに来る予定なんでしょう? もう来て帰ったの? それともまだ来てない?」
『……杏実ちゃん、なんでそれを知ってるんじゃ? そんなことまで颯人は報告しとるんか!?』
「違う違う。朝倉さんから聞いたんじゃなくて……」
『婚約者ともなると、いろんなところから情報が入ってくるという事かい?』
「もう! ふざけないで!」
『あははははは……』
「フミさん……来たの? まだなの?」
『“まだ”じゃ。もう少ししたら来るじゃろ』
「そっか、それだけなんだ。ありがとう」
『さては……一緒に帰ろうって魂胆かい? 家でも会うのに熱いのぉ……』
「違うってば! ……もう切るね。ありがとう」
そう言って急いで電話を切る。あの一件以来、フミの言動はますますエスカレートしている気がする。しかも萌がフミにいろいろと報告しているらしく、家であった出来事などフミが知っていたりするので、ドキッとさせられたりするのだ。
きっと颯人にも同じようなことを言っているのだと思うとますます気が重い。
杏実は真っ赤になった顔を抑えながら、女性の方に向き直ると「まだ来てないみたいです」と答える。
女性は「そう……」と答えると、じっと杏実の方を見つめてくる。そのきれいな顔をしかめて、考えるようにじっと……
「あ……あの?」
「あなた……フミお祖母ちゃんの知り合いなの?」
「あ……はい。フミさんの同室の、千歳 圭の孫なんです」
「……え?」
杏実がそう言うと、その女性はますます怪訝そうに顔をしかめた。そして考えるように下を向いてしまう。
その行動に不思議に思うものの、颯人の所在を明らかにした今、杏実がここにいる理由もなくなったのだ。
正直なところ、颯人とこの女性との関係も気にかかる。携帯や仕事の番号も知っているのだ、親しいに違いない。しかし……今、他人の杏実がその関係を聞くのも変な話だと思う……ましてこのままここにいて、颯人とこの女性が親しそうに話すところを見てしまったらと思うと……怖い。
「それじゃあ……私はこれで……」
「待って」
杏実が立ち去ろうをすると、女性はうつむきながら強い口調で杏実を引き留める。
そして顔を上げ、杏実の方をじっと見る。その表情は圧倒的な威圧感を感じ、杏実は驚いて目を見開いた。その女性の真剣なまなざし……何か……先ほどの女性の雰囲気とは異なっている気がした
「あなた……ひょっとして颯人の彼女?」
「え!! ち……違います」
「そう……それならよかった」
……よかった?
「フミお祖母ちゃんとあなたのお婆様には絶対に私が訪ねてきたことは言わないでほしいの」
「……は…い」
「私……颯人の元婚約者なんです」




