69.初デート~4
「んん……」
気が付けば、杏実は颯人の膝の上にいた。
初めはついばむようなキスだった。しかしやがて上から覆いかぶさるように颯人の唇で口をふさがれて、息をするのもままならなくなっていた。何度も角度を変えられ、気が付けば少し開いた唇から颯人の舌が侵入してきていた。熱い。颯人に舌で軽く下唇をなぞられると、身体がしびれるように熱くなってきた。
「ぁ……ん…」
キスの合間にこぼれ出た杏実の甘い吐息に、颯人は一度唇を離した。首筋……頬を伝って耳たぶを甘噛みされる
その瞬間、ビクッと身体が震えた。
「やぁ……」
こそば痒いような、そこに神経が集中するような感覚。耳はさらに敏感に颯人の温かく柔らかい唇の感触を伝えて来て、身体がムズムズしてきた。
「……杏実」
颯人の擦れた声と共に耳に颯人の吐息が掛かり、さらに感覚が鋭くなっていく気がする。
離して……やめてほしい……
そう思うのに、反対に身体はもっと触れてほしいと願うように熱くなっていく。
やがてその杏実の願いに答えるように、杏実の頬の横に添えられていた颯人の手がゆっくりと下に下がっていく。颯人の唇から解放された耳にホッとするまもなく口をふさがれ、再び息もままならなくなった。いつの間にか颯人の大きな手は、杏実の柔らかく膨らんだ胸に添えられて、その感触を確かめるようにゆっくりと押し引きを繰り返す。その初めての感覚にびりびりと体が震えて、口の中も蹂躙され声も出せぬままただ颯人の意のままに身体が反応するだけになっていた。
ガタンッ
大きな振動と共に、モータの音が再び鳴り響いた。
颯人はその音に動きを止める。
“大変ご迷惑をおかけしました。只今より運転を再開いたします”というアナウンスと共に、再び観覧車が動き始めた。
ハッと、ここは観覧車の中だったことを思い出した。
颯人もとっさに思い出したのか、パッと杏実から身体を離した。
「あ……」
しかし杏実は先ほどの余韻で身体に力が入らず、そのまま後ろに倒れそうになってしまう。
「おっと……」
それに気が付いて、とっさに颯人が後ろから手を添えて支えてくれた。その瞬間、颯人とその体制のまま視線が交差した。
まだ身体が熱い。さっきのはいったいなんだったのか……どうして身体に力が入らないのか……こんな時何と言えばいいのか、さっぱりわからない。
杏実の表情から何を読み取ったのかわからない。颯人は困った表情を浮かべるとそのまま杏実を抱き寄せた。
「……悪い。ちょっとのつもりが……完全にぶっ飛んでた」
ぶっ飛んでた?それはどういう意味だろう?
颯人の胸の中にいると颯人の心臓の鼓動が聞こえてくる。それは杏実と同様に早い。
「……くそっ……俺は何をやってるんだ」
そう言って颯人は長い溜息をついた。
心地よいけだるさに颯人に体重を預けて、いまだぼんやりする頭で、こんな時どういえばいいのか考えるが、未ださっぱり思い浮かばない。
ただ……ずっと疑問に思っていたことがある。
その言葉が自然と口から滑り出た。
「どうして……私にキスするんですか?」
もし普段ならこんな言葉、口にできなかったと思う。自信がが無くて、怖くて。
しかし……今は自然に聞くことができた。
その言葉に一瞬颯人が息を飲むのが分かった。何も答えない。しかしやがて大きく息を吸い込んだ。
答えてくれる?――――そう思った時だった。
ガチャン
その音と共に、風景が変わった。どうやら地上に着いたらしい。
颯人は杏実の身体を支えながらゆっくりと身体を離すと、外に目を向ける。やがて観覧車の作業員さんが、観覧車のロックを外す動作が見えて、ドアが開いた。
「もう大丈夫か?」
「……はい」
その問いに恥ずかしくなりながらも、答える。颯人は先にドアから降りると、後から続く杏実の手を引いて降りるのを支えてくれた。
「帰るか……」
「はい」
しばらく颯人に手を引かれて、港公園の中を駐車場に向かって歩いていた。
颯人はあれから何も言わない。
杏実も何も言えないでいた。さっき何と言おうとしていたのか……もう一度聞きたい……しかし先ほどの言葉で勇気を使い話してしまったようだ。
夏とはいえ、港の風は少しヒンヤリして気持ちがいい。
こんな時間がもっと続けばいいのに。
「杏実」
突然颯人は立ち止まり、杏実の手を離して振り向いた。杏実は不思議に思って顔を上げる。公園の街頭は颯人の背後から照らしており、逆光で表情はよくわからなかった。
颯人は振り向いたものの、そのまま何も言わない。
どうしたんだろう……
先ほどの余韻の所為か、その沈黙は独特の緊張感を二人の間に漂わせた。杏実は知らず知らずのうちに身体を硬くした
「朝倉さん?」
そう言ってから、ハッと先ほど“名前で呼べ”と言われたことを忘れていたことに気がついた。急いで言い直す。
「……あ……間違えました。名前でしたよね……えっと……は……ちょっと待ってくださいね」
「……」
「は……は…はやとしゃ……んん? 違っ……は……」
気合が空回りして、うまく舌が回らない。二人に流れる先ほど緊張感も忘れて、杏実が必死で名前に格闘していると、沈黙していた颯人の肩が震え、やがてかすかな笑い声が聞こえた。
え?
気が付くと、颯人が肩を震わしながら目の前で笑っている。
「あ……笑わないでください。こっちは真剣に……」
「……ほんと……可愛いなぁ」
……え?
今……なんて?
とても颯人から発せられた言葉とは思えない言動に耳を疑う。
「もういいよ。杏実が呼びたい呼び方でいいから」
そう言って優しく頭をポンと叩いた。
“呼びたい呼び方”
それは出来ることなら、名前で呼びたい。しかし……もうちょっと練習が必要のようだ。こっそり練習しておこうと思う。
「わかりました。“練習”しておきます」
「くっくっ……」
颯人は再び面白そうに笑う。そんなに自分の言動は面白いんだろうか。
杏実が怪訝に思っていると、ふと颯人は笑うのを止めて杏実の目じっと見る。
「そもそもお前が……原因なんだよな……」
「え?」
「さっきなんでキスするのかって聞いたろ? 俺は……お前に好きなやつがいることは知ってる。俺たちは便宜上、婚約者のフリをするだけで、別にこの関係が本気じゃないこともわかってる。だからもちろん手を出すつもりはないし、そんな卑怯なことするつもりはなかった。でも……俺は――――――――――お前の反応が可愛すぎて、どうやら止められそうにない」
「……へ?」
「だからお前が悪い。我慢しろ」
……今度は聞き間違えじゃない。か……か……可愛いって……と……止められない???
その言葉の意味を理解したとき、たちまち顔が真っ赤に染まる。
「ほら見ろ。またそれだ……」
「そっ……それ?」
「俺だって男だからな。そんな顔されたら理性だってぶっ飛ぶ。嫌ならさっさと……」
そう言うと颯人は一度考えるように、眉を寄せると、すぐに「……いやそれは困る」とつぶやく。
困る?
「まあ……自制してくれ」
「じ……自制?」
「俺も……努力する。以上終わり。帰るぞ」
颯人はいまだ混乱と動揺の真っただ中にいる杏実に構わず、勝手にそう切り上げて再び杏実の手を取って歩き出す。
ちょっと……むちゃくちゃなことを言われたのではないか?
良く考えてみれは……逆切れされたような。
でも――――――
“お前の反応が可愛すぎて、どうやら止められそうにない”
颯人の手から伝わるぬくもりと共に、その言葉は杏実の耳の中に甘い響きとなっていつまでもこだましていたのだった。




