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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 5 〉
68/100

68.初デート~3


「うわぁ……上がってる」

 夕暮れ時。港の水平線から沈む夕日が金色に輝き、空が茜色に染まる。わずかに残る水色の空とその赤色がマーブル上に混ざり合って、パノラマ上の窓からは言いようのない美しい風景が広がっていた

 杏実と颯人は港公園にある観覧車に乗っていた

 デートに観覧車とは、なんともありがちだが、杏実は観覧車に乗るのも初めてだったりする。幼少期はテーマパークに連れて行ってもらったことはなかったし、その機会がなかったのもある。あの大きな円形の建物の小さな乗り物からは、どんな風景が見えるのだろうといつも想像を膨らませていた


 この水族館に来ることを決めた時、隣に隣接する公園に大きな観覧車があると雑誌に書いてあった。カップルのデートに最適で、ジングスなどもあるらしい。ちょっと行ってみたいと思っていたが、さすがにそのような乙女思考に、颯人を誘うには……と思い躊躇していた

 水族館からの帰り際、杏実が何気なしに観覧車を見上げていると、颯人が「乗りたいか?」と聞いてきたので(かなり驚いた)、思い切って乗ってみることにしたのだ


「お前ってなんでも感動するんだな……」

 颯人は杏実のうれしそうな様子に、呆れて苦笑している

 杏実はその声に、一瞬颯人の方を振り向くと、窓から見える夕日を指差して笑顔で答えた


「そんなことありませんけど……見てくださいよ!すごくきれいなんです。こんな風景に感動しない人なんていません」

「……そうかよ」

「はい」

 杏実はそう言って再び風景に目を向ける。杏実たちの観覧車がゆっくりと上がっていくのとは反対に、夕日はやがて大きくきらめいてゆっくりと水平線に沈んでいった

 颯人に背を向けながら、窓からの夕日を眺める。杏実は颯人の方を見ずにゆっくりとひとりごとのようにつぶやいた


「夕日って……沈んで消えていくから寂しいって言う人もいますけど……私は夕日の光って好きです。朝日の様に、誰にでも平等で万能な明るさじゃないんですけど……」

「ふ~ん……」

「ちょっと……朝倉さんみたい」

「………はぁ? 俺?」

「はい。強くて……優しいんです」

「……なんだそれ。俺はそんな……優しくない」

「ふふふ……優しいですよ?」

 杏実は一度振り返って、笑顔でそう言う。しかし颯人は真剣な顔でそれをきっぱり否定した


「俺は利己主義なんだ。お前は……俺を買い被ってる」

「……そうでしょうか?……でもこうやって私に付き合ってくれてます」

「……それは…」

 颯人が何か言おうとした時、観覧車が一度揺れて、モーター音と共に止まってしまった


「あれ? ……止まりましたね」

 観覧車はちょうど頂上付近に差し掛かる頃だった。杏実が不思議に思って颯人を見る。颯人は「時期、動くだろ」と冷静だ

 しばらくすると、アナウンスが聞こえてきた。トラブルがあって止まったらしい。しばらくしたら再開するのでそのままお待ちください、とのことだった


 ふと先ほどの窓を振り返ると、夕日は沈んでしまっていた

 せっかく頂上に滞在できるのに残念だ

 仕方ないので、杏実は颯人と向き合うような体制で座りなおす。颯人は後ろの手すりに肘を置いて外をみているようだった


 今日は楽しかったなと思う

 見るものすべてが初めてだったこともあるが、きっと颯人と一緒だったからだろう

 しかし―――――そう言えば“練習”って結局なんだったんだろう? これでよかったんだろうか、と思う

 別に変ったことをした覚えもない

 そう思って、少し颯人に話しかけてみることにする


「朝倉さん」

「ん?」

「今日って、”練習”って言ってましたよね? 結局どういう練習だったんですか?」

「はぁ? ……どういうって……」

 颯人は杏実の質問に怪訝そうに眉をひそめる


「私、デートってしたことなかったので、何か特別な練習とか必要だったのかな? と思って」

「……そう言う意味じゃねーよ。お前がいざって時に、両親に聞かれてボロを出してもと思ったから言っただけだ。どんなところに二人で行ったか聞かれて“一度も出かけたことがありません”じゃ、おかしいだろ? お前……嘘つけなさそうだし」

 

 そういう事だったのか

 なるほど、納得がいく


「それに……いかにもお前そう言うの慣れてないだろ? 今まで手もつないだことないって言ってたし……すぐ赤くなるし……仮にも”婚約者”にそんなよそよそしいのもおかしいだろ。こういうのは多少慣れも必要なんだよ」

「……なるほど」

「まあ……俺の存在が、どれほど効果あるか知らねーけど……念には念をな」

「……そうだったんですね。てっきり何かデートって私の知らない練習が必要だったのかって思ってました」

「はは……そんな面倒なことあるか! ……でも……そうだな…」

 颯人は杏実のその言葉に笑うと、ふと考え込むように下を向いた後、意地悪そうな笑みを浮かべて杏実を見た


「一つだけ、練習が必要なことがあるな」

 

 え?

 その瞳は、この頃よく見る……杏実をからかっている時の表情だ。ちょっと警戒する


「……なんですか?」

「名前だよ」

「名前?」

「お前、俺のこと“朝倉”って言うだろ? それはちょっとよそよそしいだろ。“颯人”って呼べ」

「…………ええ!!」

 杏実がびっくりしていると、さらに颯人は顔を近づけて「呼んでみろよ」と面白そうに笑顔を見せる


「む……無理です!」

「んなわけねーだろ。たかが名前だ」

「だって……だって……そんな男の人を呼び捨てにしたことありません!!」

 そんな杏実の言葉に、颯人は目を細める


「……忍は呼んでたじゃねーか」

「え? 忍? ……だって忍は弟だから……」

「弟だって立派な男だろ? それ以下かと思うと癪に障るんだよ」


 ……そんな無茶苦茶な


「まあ、こんなことは練習すりゃ何とかなる。ほれ、言ってみろよ」

「うぅ……」

 杏実の不満の声もなんのその、颯人は楽しそうに杏実がそう呼ぶのを待っている

 拒否権はないらしい


 そんなぁ……

 いきなり本人の前で? 恥ずかしい

 しかし……正直言って―――――呼んでみたい気がする。名前で呼べるなんてちょっと親密な証のような気がするし、まして颯人が呼んでいいと言ってくれているのだ。そんなラッキーな話はないだろう

 杏実は覚悟を決めて一度息を吸い込む


 ……落ち着け。落ち着け


「えっと……ちょっと待ってくださいね」

「はは……いいよ」

「……は……は……」

 言い詰まる杏実を楽しそうに颯人が見ている。その顔をじっと見据えてもう一度挑戦する


「は……颯人さん」


 言ってしまった後、猛烈に恥ずかしくなって、颯人から視線を逸らした。顔から火が出そうだ。心臓があり得ない速さで鳴り響いて、膝に置いた手から汗がにじんできた

 颯人の反応も気になった……しかし今は顔なんて見れそうもない


「……まあ。悪くないな」

「そ……そうですか……」

 颯人のその言葉に返事を返すのもやっとだ


 ああ……もう逃げ出したい。どうしてこんなところで二人きりなんだろう

 しばらくそのまま二人の間に奇妙な沈黙が流れた

 しかしその沈黙を破ったのは颯人の杏実を呼ぶ声だった


「杏実」

 その声に、ビクッと杏実は身体を揺らす


「……悪いけど……もう一つ練習が必要なの忘れてた」

「え?」

 

 その言葉に驚いて、杏実が顔を上げた時、颯人から腕を掴まれ颯人のほうに引き寄せられた

 



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