67.初デート~2
港公園でランチをした後、イルカのショーの会場に向かう。会場は混んでいたが、真正面の結構ど真ん中の席に座ることができた
「むちゃくちゃ……楽しみです」
「そうか」
飼育員さんが準備をしている様子、ショーの水槽内を軽やかに泳ぐイルカたちの様子。それはどれも新鮮だ
「イルカって、つるつるしてるんでしょうか?」
「さあな……」
「案外、表面はふわふわしてて、温かかったり? ……触ってみたい……」
「そっかぁ? あんな海のなかで泳いでんだから硬い皮じゃないとやってけねーだろ。ごつごつじゃねーの」
「え……そうかなぁ?」
颯人のそのシビアすぎる感想に首を傾げる。確かに荒波を縫って泳ぐには相当厚い皮でないとすぐ怪我をしてしまう気もする
しかしここから見る限りはつるつるだ
答えは謎のままショーの開始の合図が鳴った
飼育員さんの巧みな誘導によってイルカがジャンプしたり、ボールを運んだりしている。手(ひれ?)を叩いたり、尾を出してみたり……それは見事で杏実は夢中で手を叩いた
ショーも終盤に差し掛かった。飼育員さんは会場のお客さんに向かって“誰か一度ショーに参加してみませんか?”と呼びかけている
イルカたちに指示を与えたりできるそうだ。楽しそうだな~と思う。なによりイルカの近くに行けるなんてめったにないことだ
飼育員さんが『どなたかやってみたい人!』というと、一斉にみんなが手を上げた。一瞬手を上げようかと思ったが、周りを見渡せば案外小学生のような若い子ばかりだ
挙げなくてよかった…………と思う
『ではそこの小さな赤い服を着た女の子と、ボーダーシャツの男の子……それと、いち早く手を上げてくれた、その濃い緑のポロシャツを着たイケメンの彼! どうぞ~!!』
え?
……濃い緑のポロシャツ……しかもイケメンって……
思わず颯人を見る。颯人は前方を見ながら手を挙げていた。そしてその声に「よし」というと、挙げていた手を降ろし信じられない思いで目を丸くしていた杏実の方を見る
「杏実。行ってこい」
「え?…………ええ~!!!!」
「イルカに触れてみたいんだろ? 感想聞かせろよ」
「そ……そんな……そんな……朝倉さんが指名されて…」
「俺が行くわけねーだろ」
「ええ!?」
「ほれ。呼んでるぞ」
会場から颯人を呼ぶ声が聞こえる。颯人から「行ってこい」と身体を押されると、杏実は渋々立ち上がる
確かに……やってみたかった。しかしこうも急だと心の準備ができない
杏実は会場のお客さんの視線を背中に受けながら、飼育員さんに案内されてショーの会場に足を踏み入れた
『おや? 彼女さんが来たんですね~!』
マイク越しに飼育員さんにそう言われて、その言い回しにも恥ずかしくなって顔が赤くなる
飼育員さんから見れば、杏実たちは恋人同士にみえるのだろう。とりわけ颯人は、彼女のために張り切って手を挙げた彼氏といったところだろうか
チラッと颯人の方を見ると(と言っても舞台からは小さくしか見えない)笑ってこちらを見ているようだった
『では、お手本を見せますよ~!』
飼育員さんは杏実やほかの2人をプールサイドに立たせると、イルカにジャンプや拍手の合図をして見本を見せる
杏実以外は小学生のような2人。ますます恥ずかしい
しかし……イルカが目の前で泳ぐ様子や水しぶきを身近に感じると、そんなことも忘れてわくわくしてきた。ここは楽しまなくては損だと思う
先に小学生の2人がショーに参加し、次に杏実の番だった
『こうやって……こうですよ?』
飼育員さんの言うとおりに手を動かすと、イルカがスイーと水の中にもぐり、大きくジャンプした
「うわぁ!!!」
思わずうれしくなって声を上げる。飼育員さんもうれしそうに『上手ですね~』とほめてくれた
やがてイルカが戻ってきた。目の前でご褒美の魚を食べている。ショーを進行する飼育員さんは『お疲れ様でした~』と杏実たちに拍手を送ってすぐにショーを再開し始めた。すでに体験を終えた小学生は別の飼育員さんのもとでプールの近くに寄って、帰ってきたイルカをそばで見ている
杏実もその二人のもとに駆け寄った
「触ってみますか?」
その声に二人の小学生たちが「わ~!!!」と喜んでいる。そして指示されたとおりに手を出して、個々にイルカに触れていた
……いいなぁ
杏実はその様子を見ながら、そう思う。……が、小学生を差し置いて“自分が”とは、なかなか言い出せなかった
すると飼育員さんがその杏実の様子をみて、”こいこい”……と手でこまねいた
杏実が言われるままに近くに寄ると「ちょっとここに座って、顔をプールのここらへんに持ってきてくれます?」と言う。杏実が言われたとおりにすると「ちょっとそのまま……」と言って何かイルカに指示を与えた
「?」
杏実がそのままの態勢でいると、突然イルカが杏実の真下から出てきて、杏実のほっぺに触れた
ヒンヤリとしたしっかりした感触、柔らかくはない、でもごつごつなどしていない……とにかく不思議な感覚だった
杏実はびっくりして目を丸くして、思わずイルカを見た。イルカは優しそうな瞳で杏実を見て、そのまま先ほどの飼育員さんの方へ行ってしまった
「わぁ~お姉さんいいなぁ!」
「キスしてもらったんだ!!」
小学生の二人が口々にそう言っている。飼育員さんも「役得でしょ?」と楽しそうに笑いかけてきた
“キス”
その言葉にイルカにキスしてもらったのだと実感した
不思議な感覚。“役得”まさにそれに尽きる
……恥ずかしかったが、あの場で手を挙げて杏実をこの場に導いてくれた颯人に感謝した
早く颯人に会いたくなった
颯人に会ってこの気持ちを伝えたい。杏実はプールサイドから客席に続く階段を下りながらそう強くそう思った
杏実が客席に戻る頃には、ショーは終わっていた。ぞくぞくと客席のお客さんは出口の方へ向かって歩いている
その流れに逆らうように、杏実は颯人の方へ近づいていった
颯人は先ほどの客席付近の、人の流れに邪魔にならない場所で杏実を待っていた
杏実が近くに寄ると「楽しかったか?」と聞いてくる
「はい!! もうドキドキしましたけど、こうやって手を挙げたらピョーンって……もう爽快でした!」
「そっか……」
「その後、飼育員さんがイルカの近くに寄らせてくれて……」
「うん。見てたよ」
「本当ですか?」
「キスされてたろ? ……その時のお前の表情が面白かった」
「え! ……面白い……って、まさかあんなことされると思わなくて、びっくりしただけです」
「どうだった?」
「え?」
「触れた感想だよ」
そうだった。そもそも杏実が“触ってみたい”と言ったことから始まったことなのだ。杏実はその感触を思い出しつつ、颯人に先ほどの体験の様子を伝えようと口を開く
「とにかくヒンヤリしてました」
「はは……まあずっと水の中にいるんだからな」
「まあそうなんですけど……なんか質感がずっしりしてて……表面の水のせいかもしれませんけど、やっぱりつるっとしてると言うか……硬いんですけど柔らかいというか……」
「ふ~ん」
自分で言ってて支離滅裂な感想だと思う。しかし颯人は首を傾げながら、うなずいて聞いてくれていた
「キスされた後、イルカと目があったんですけど、その目がすっごく優しくて……もうとにかく言い表せないぐらいうれしかったんです」
「そっか」
「朝倉さんが行かせてくれたおかげです! ……もうほんとにうれしかったです」
「……あっそ」
「はい。私このイルカの感覚? 感触? 絶対忘れません」
そう言って、そっとイルカがキスしてくれた頬に手を当てる。もうあの時のように濡れてはいなかったが、その時の感触がよみがえるような気がした
「ふ~ん……忘れない……ねぇ……」
颯人はそんな杏実の様子を見ながらそうつぶやくと、頬に手を当てていた手の手首を持って、杏実の手を頬から離す
……?
杏実が不思議に思って颯人の方へ顔を上げると、“チュ”とその頬に颯人の唇が触れた
「……っ!」
びっくりして再びパッと手で頬を覆う。その頬には颯人の唇の感触が残っているような気がした
……き……キスされた!
一瞬で顔が熱くなって、ゆでだこの様に真っ赤になった
「な……な……」
「上書きしてやった」
そんな杏実の様子とは裏腹に、颯人は意地悪そうな笑みを浮かべ飄々とそう言ってのける
「う……上書き?」
その言葉に颯人は一瞬目を細めて「ざまーみろ」と言い満足そうに笑う。しかしその瞳はさっきイルカのように優しかった
「じゃ……土産でも見に行くか」
颯人はそう言うと頬にあてた反対の杏実の手を取って歩き始める
“上書き”
颯人の思惑通り、杏実の頬には颯人の柔らかく温かい感触しか残っていなかったのだった




