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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 1 〉
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6.秘密の同志

 ほかのお客様から注文を受け、厨房で用意している時もその後も、杏実はさっきのやり取りが頭から離れなかった。


 何度か朝倉を確認したが、変わらず資料を見つめているようだった。

 そして……カップにも口を何度も運んでいた。その表情からは不機嫌さは感じられない。


 怒ってないってこと?……いやいや……そんなわけない…わけない

 都合のいい解釈をすれば、またさっきの二の舞になってしまう。自分のしてしまったことから逃げてはいけないのだ。


 しかし……杏実にはなにより困ることもあった。

 もしこのことを朝倉が店長にクレームとして出したなら、杏実は間違いなくアルバイトをクビになる。親と絶縁状態にある杏実は、祖母からアパート代だけ援助を受け、大学の学費や生活費を自分で工面している。今の大学からは奨学金をもらっているとはいえ、杏実にとってスクラリでの収入を絶たれるのは死活問題だ。


 しかし、いまさら後悔しても遅い。


 ああ……どうか店長。今日は遅くまで休憩していてください…


 そんな杏実の思いも、むなしく裏切られる。まもなく店長が奥の部屋からでてきたのだ。

 杏実はがっくり肩を落とした。

(もう……ダメだわ……)


「アメちゃんも休憩してくる?」

「……あ、はい。……今日はまだいいです」

「そ? お客さん少ないわよぉ~いいのに~」

「いえ! この仕事が好きなん…」


「すみません」


 バクンッ


 杏実の後方のレジから……朝倉の声が聞こえた。


 きた……!

 ついにこの瞬間が……!?もう終わりだ…………


「はーい、ただい……あら、あちらも……ちょっとあっちに呼ばれちゃったわ……お会計、アメちゃんいってきてん」

「は……い」


 杏実は朝倉のほうを直視せずに、レジに向かう。レジの前についても顔を上げられずにいた。


「お待たせしました」


 事務的な敬語を口から滑らせ、恐る恐る顔を上げようとする。しかし、レジの前の机の上のものを見て瞳を大きく開いた。


 レジの卓上には、紅茶の代金がきっちりおいてあった。

 あのようなことがあったにかかわらず、きちんと代金を払う姿勢に驚きを覚えた。


 払わない……って言われると思った。


 しかし杏実の勝手な行動で、不快感を与えたことには変わりなく……ここは自腹を切ろうと決意し、料金を返そうとお金に手を伸ばした。


「あのミルクティー……」

「えっ?!」


 ピリピリと神経を張りめぐらせていた杏実は、突然の言葉にびっくりして思わず顔をあげてしまう。

 脳内では朝倉の不機嫌なオーラと冷たい視線を想像して。


「いや……牛乳(ミルク)で作ってくれましたね?」


 驚いたことに、朝倉は穏やかな表情で杏実に話しかけていた。杏実はその表情に何度目か分からない驚きを感じた。


「どうして……ですか? きっぱり断られたはずです」


 思考が混乱して朝倉の言葉が入ってこない。


 牛乳(ミルク)……ミルク…て、何?


「…………」


 何も言葉を発しない杏実を見て、朝倉は怪訝そうに目を細めた。先ほどの恐怖が抜けない杏実は、その変化に敏感に反応してしまう。


 (こ……怖い!)


「あの?」


(早く答えなきゃ……えっとえっと…)


 杏実は混乱する思考の中で、なんとか言葉を紡ごうと声を出した。


「ミルク…………ああ! ミルクティーのことですね!!」


 朝倉が肯定するように、じっとみつめてきた。その様子に少し気持ちが落ち着いてくる。


「私も……あの時のお客様の意見には賛成だったんです。私もミルクで作ったミルクティーが大好きで、まかないの時もミルクで作ってますから。なんどか店長を説得してみたりしたんですが、それはだめでした。確か…………私が対応させてもらってるとき、朝倉さんミルクティーを注文されてましたよね? ひょっとして……今日もそのつもりだったんじゃないかと思ったんです」

 杏実がそう言って朝倉を見ると、少し驚いたような表情をしていた。


―――――?


「それで……わざわざ?」

「はい。やはりミルクティーを愛する”同志”として、おいしく飲んでいただきたかったんです」

「同志……?」

「でも……勝手なことをして申し訳ありませんでした」

 そういって、もう一度謝罪の意味で頭を下げた。しかしハッと思い出す。


「あ……あの!………胃の痛みは大丈夫ですか?」

「ああ……少し温かいものを飲んで落ち着いたみたいだ」


 それを聞いて、ほっとする。どうやら結果的には朝倉の役に立てたらしい。やはり祖母のいうことに間違いはなかった。


「よかったです」


 自然に笑みがこぼれた。

 朝倉の雰囲気がやわらかいことに安心し、杏実は張りつめた緊張が解けていくのを感じた。


 そういえばいつも不機嫌そうにしていたのは、飲んでいたミルクティーのせいだったのではないかと思い当たる。せっかく頼んだのにいつも意にそぐわない味だと不機嫌になるかもしれない。


「また……」


 朝倉がボソッと呟いた。考え込んでいた杏実は、我に返り朝倉と視線を合わす。

 しかし朝倉は何を思ったのかばつの悪そうな顔をして視線をそらした。そして妙な間の後、言いづらそうに少し言葉を詰まらせてつぶやいた。


「その……飲むことはできないかな?」

「何を……ですか?」

「……君のミルクティー」


 え?


 そんなことを言われるとは思っていなかった杏実は目を瞬かせる。


 え? なんていった? 私の?


「私のミルクティー……ですか?」


 杏実は、思わず凝視してしまう。

 朝倉は視線が合うと、はっと我に返ったように視線を逸らした。


「……俺は何を言ってんだ…くそっ」


 朝倉は低い声で不機嫌そうにそういうと、右手で顔を覆う。こころなしか耳が赤くなっていた。


 ぷっ……信じられない。


 あれほど恐ろしかった噂の『黒の王子』が、かわいく見えてきた。ダメだとわかっていても、思わず笑いが漏れてしまう。


「みっ……ミルクティーが…お好きなんですね」

「……もう忘れてくれ」

「いえ……うれしいです」


 朝倉は、ばつが悪そうにこちらをにらむ。しかしもうさっきのように怖くない。朝倉の睨みにも、笑顔を向けられるようになっていた。

 怒られると思っていた。しかしまた飲みたいといってくれるなんて。

 朝倉はがっくりと肩をおとして、両手で顔を覆ってしまった。

 いつもピリッとした雰囲気で噂の的、杏実とは別世界の人であった”朝倉颯人”という人。そんな彼の人間らしいしぐさは、知らずに杏実の胸をときめかせた。


 あまり笑うのも悪い気がした。しかし朝倉の言葉がうれしくて笑わずにはいられなかった。


「もし気が向いたら8時過ぎに来てください。いつも店長がその時間に休憩に入られるのでその時なら大丈夫です」


 そういって『同志』に微笑みかける。


 最高の褒め言葉をくれた彼への

”秘密の約束”

 店長には悪い気がしたけれど…


 朝倉は杏実と再び視線を合わすと、仕切りなおすように一度咳払いをした。


「……わかった」


 そう小さく返事をして、朝倉は踵を返して出口に向かっていった。


「ありがとうございました」

 その後ろ姿に杏実がそういうと、朝倉は一瞬立ち止まってこちらを振り向いた。


「おいしかった……ありがとう」


 そういって、朝倉は杏実に向けて一瞬口角を上げ―――――笑顔を……

 初めて見る笑顔は優しく、不機嫌なオーラとは違って――――甘くとろける蜂蜜のようだった。


 そしてその強烈な印象は、杏実をたちまちに恋に落としてしまったのだった。


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