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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 5 〉
58/100

58.写真


「はぁ~」


 杏実はベットの端に座り大きなため息をつく

 今日は仕事が休み。もうすぐフミの誕生日ということで、朝から萌とプレゼントを選びに出かけていた。結局夕方まで散々歩いたのだが、その界隈は若者のお店が多く、目当ての物は見つからなかった。仕方ないので、明日も萌と百貨店に行くことにして夕食は外食して帰ってきた

 お風呂も入り、今はPM9時半。ベットの上で枕にもたれて座りながら何気なく天井を見上げる


 このところ颯人に会えない日々が続いていた。あの電話の日以来だ。

 次の日、朝ダイニングのテーブルにお寿司の折詰が置いてあった。おそらく杏実がうらやましいと言ったために、颯人がお土産に持って帰ってくれたのだろう。すでに颯人は家を出ていたので、お礼も言えぬまま萌と有難くいただいたのだった

 結局それ以来、お礼も言えぬまま二週間過ぎた

 いや違う。お礼は言えたのだ……言えたのだが…


会えないのは仕事が忙しいのだと、思っていた。しかし……少し違うのかもしれないと感じ始めたのは、先週のことだ





―――――


 杏実はかすかにドアの向こうから聞こえる物音で目が覚めた。時計を見ると夜中のAM1時。なにか悪態をつく声と共に、廊下を誰かが歩く音が聞こえる


 朝倉さん……帰ってきたのかな?


 杏実はショールを羽織ると、ドアを開けて廊下に出る。杏実の足もとに一枚の紙が触れた、いや一枚じゃない、廊下に紙が散らばっている

 それをそっと拾うと、何やらパソコンで打ち込まれた数字が並んだ書類のようだった

 

 颯人が落としたんだろうか


 颯人の部屋はドアが開いており、そこから微かに声が聞こえてきた。杏実がもう少し拾おうと腰をかがめた時、その物音に気が付いたのか、颯人が部屋から出てきた

 しかしその姿にびっくりして目を丸くする。上半身は裸だった。下のズボンはかろうじてはいていたものの、ベルトは外されボタンも外れていた。髪も乱れている。着替えの途中に出てきたのだろう。一見だらしない恰好と言えないこともないが、そのむき出しの上半身は筋肉質で、乱れた格好にかかわらず強烈な色気が漂っていた。杏実は慌てて視線を逸らして書類を拾い始める


「お……お帰りなさい!物音がしたんで……」

「………ちょっとカバンを落としてな…」

 その声色は不機嫌そうだ

 杏実が顔を上げられず書類を下を向いたまま拾うと、颯人もしゃがんで手元の紙を拾い上げはじめた。しばらく二人とも無言だった。紙のカサッと言う音だけが廊下に嫌に響いた

 なぜかその沈黙が重たい気がした

 ふと気が付けば、颯人が目の前まで来ていた。その姿に気が付いて周りを見渡すと、書類はほぼ拾い終わっていたようだ。最後の紙に手を伸ばしたとき、同時に颯人も手を伸ばした

 一瞬二人の動きが止まる

 杏実が拾うべきか迷っていると、颯人がぼそりとつぶやいた


「杏実」

「はい?」

「俺に………なにか言うことないか?」

「え?」


 言うこと?

 何のことだろう

 すぐには思いつかず、考えるように眉を寄せる

 このところ全く顔を見ていない。なにか言いたいことと言っても何も思いつかなかった

 もし……素直な気持ちを言うなれば会いたかった。しかしそんなことは言えない。そしてきっとその答えは質問の意図から外れているに違いないのだ


 もう少し考えてみると……ふとお土産のことを思い出した


 そうだ……お礼を言おうと思ってたんだ……。そう思って口を開いた


「あの」

 杏実が話し始めると、颯人は落ちていた書類から顔を上げ杏実を見てきた。

 杏実もそれにつられ、颯人を見る。颯人の顔は思ったよりも近くにあり、その裸体にもびっくりして後ろに飛び退こうとする

 しかしその腕をつかまれた


「なに、言おうとした?」

 距離に戸惑う杏実にかかわらず、颯人は真剣な顔で尋ねてくる。その表情は何か危機迫るものがあった。一瞬、颯人の吐息から強いお酒の香りがした。いつもと様子が違う気がするのは、少し酔ってるからかもしれないと思う

 杏実は腕を強くつかまれているので、その体制から動けないまましどろもどろに答える


「あの……お礼を…」

「お礼?」

「はい…。先日お寿司のお土産をいただいて……そのお礼を言おうと思ってました。とても美味しかったので……」


 杏実がそう言うと、言い終わらぬうちに颯人はパッと杏実の腕を離す。そしてそのまま立ち上がった


「もういい」


 え?

 やはりなにか……いつもと違う気がした。しかし理由がわからず、戸惑いながら立ち上がった颯人を見上げた


「あの……朝倉さん?」

「こんな夜中に起こして悪かった。寝ろ」

 そう言うと、杏実の手の中の書類を抜き取り、そのまま部屋の方へ歩き出してしまう


「あ……」


―――――なにか気に障ることをしてしまったんだろうか?

 何も思いつかなかったが、このまま行かせてしまえば後悔する気がした。杏実はとっさに颯人の腕をつかむ

 しかしその瞬間、杏実の手はふり払われた


「触るな」

 その声色の冷たさに驚いて思わずビクッと身体が震えた

 颯人は振り向かない

 しばらく沈黙が訪れた後、颯人は何も言わないまま部屋に帰って行った。杏実はふり払われた手を胸元に寄せて、そんな颯人背中を見つめていた






 それからも朝、颯人を見かけることはあった……でもなぜかさけられているような気がするのだ


 あの夜、颯人は「触るな」と言った

 なぜ?

 今でもわからない

 きっと杏実の何かが颯人を怒らせてしまったんだと思う。でも……その理由(わけ)は全く思いつかない

 理由がわからないので……謝れない


 どうしたらいいんだろ……

 やっと普通に話せるようになったのに。こんなに近くにいるのに。……こんな風になってしまうのは悲しい

 

 杏実が本日何度目かのため息をついたとき“コンコンッ”と、ドアをノックする音が聞こえた

 ドア越しに返事をすると、萌がひょっこりドアから顔を出した


「杏実ちゃん。一緒にいていい?」

「いいよ」

 杏実が笑顔で手招きすると、うれしそうに部屋に入ってくる

 その手には雑誌とアイスクリームカップとスプーン。杏実と食べようと思って持ってきたのだろうか

 萌は時々、こうして夜に杏実の部屋にやってくる。何をするでもなく、杏実の部屋で雑誌(大概、メカ系の読んでもちんぷんかんぷんの雑誌だ)を読んだり、DSを持って来たりして過ごし、眠くなれば帰っていく。杏実が仕事をしていれば邪魔はしないように静かにしている。構ってほしいというよりは、同じ空間にいたいだけのようなので、杏実も気を使わず好きなように過ごすことにしている

 本当に気まぐれ、甘え上手。猫みたいだ


「アイス食べよ~と!」

 萌は雑誌を床に置くと、早速持ってきたカップを、ベットのわきに置いてある小さなテーブルに置いて、ふたを開け始めた

 スプーンは一つしかない。一緒に食べる気はないらしい。萌は体型は細身だが本当によく食べるのだ


「美味しい~」

 杏実がその楽しそうな様子をなんとなく眺めていると、ふと萌がテーブルのわきにある封筒に気が付いた


「あれ?これって…」

 萌はスプーンを持つ反対側の手でその封筒を持ち上げる

 それは先日、圭からもらった写真の入った封筒だった。中身は帰ってすぐに持っていたアルバムに入れていたのだが、きれいな封筒だったので捨てるのは忍びなくそこに置いていたのだ


「どうかした?」

「これって圭おばあちゃんのでしょ? 杏実ちゃんも写真もらったんだ」

「うん」

「そっか……当たり前だよね」

「ひょっとして、萌ちゃんももらったの?」

「うん。颯人お兄ちゃんが圭おばあちゃんから預かってきてくれてもらったんだ。……って言っても、私あんまり写真とか写るの苦手だし3,4枚……ほんと隅っこにいるやつだけどね」

「そうなの? 私の写真には萌ちゃん、全然写ってなかったな。……そっか……萌ちゃんと写したことって、一度もなかったもんね。写しておけば昔の萌ちゃんの写真ももらえたのにな……」

「え~……そんなんいらないでしょ。あんな時の写真、燃やしてポイしたいよぉ」

「はははは……それは私も一緒!」


 そう言って笑いながら、ふと―――――――その写真。颯人も見たんだろうかと思い立つ

 もしそこに杏実が写っていたとしたら

 もしかして……まさか…


「ねえ。萌ちゃん。その写真って……私写ってた?」

「え? ううん。全然だよ~……杏実ちゃんでも写ってたら、もうちょっと価値があったと思うのにさぁ……」

 そう言って、萌はぶつぶつ言いながら再びアイスを食べ始めた


 しかし……その返事でホッと胸を撫で下ろす。もしかして颯人は写真を見て、杏実があのカフェの店員だと気が付いたのではないだろうかと一瞬思ったのだ

 しかしどうやら取り越し苦労だったらしい

 それに……もしそうだとしても、そんな颯人にとって大して意味のない些細なことで、あんなふうに怒るはずがないのだ

 どうしたら…


 杏実が再び落ち込み始めた時、萌がカップから顔を上げる。そしてなにか決心したように思いつめた表情で杏実の方を見た


「ねえ、杏実ちゃん」

「ん?」

「…………今好きな人いる?」

「え?」

 突然の萌の質問にびっくりして目を丸くして萌を見る。そんな杏実の表情を萌は真剣な顔で見つめていた


「二年前……そんな話してくれてたでしょ? その人のこと。今も好きなのかな~って……」


 ああ……

 なんとなく思い出した。なかなか打ち解けてくれない萌にそんな話をしたことがあったなと思う。……というか、そんな悩みなど誰にも言えないので、物言わぬ萌に聞いてもらっていたと言った方がいい。犬に悩みを打ち明ける感覚だった(今考えれば失礼な話だ)


「よく覚えてたね」

「うん。杏実ちゃんの話好きだったし、結構なんでも覚えてるよ」

「そっか……」

 いつもなんのコメントもないので、聞いてないのかと思っていた


「で? 今もその人のこと好きだったりする? もう付き合ってたりとか?」

「え?! ないない」

「じゃあ、もう好きじゃないってこと?」

「それは……実は……そうじゃなくて。……結局あれからその人にしばらく会えなくなってね。もうそんな気持ちも薄れたかな? と思ってたけど……少し前に偶然会えて……やっぱり好きだな…と思っちゃたんだ。まだ片思いだよ」

「そうなんだ…」

「こんなに長い間……バカみたいだと思ってるんだけどね」

「告白はしないの?」

「う~ん……一度は決心したんだけど…」


 再会してからは考えたことはない。初めは本当に嫌われていたし、そのあとも周りに振り回わされてそれどころではなかった。しかし、少しずつ颯人との距離が近づいてきたんじゃないかと思っていた。やっと落ち着いてきたと思っていた矢先に、今回理由もわからぬうちに、ぎくしゃくしてしまっている

 今は考えられない。それが正直な気持ちだ


 杏実が黙ってしまうと、萌はその様子をじっとみて、しばらくしてからを決したように口を開いた


「ねえ。杏実ちゃんの好きな人って……平田さん?」

「え?」


 ……平田さん???


「だって……あの時……好きな人は、アルバイト先によく来る人なんだって言ってたでしょ? 平田さん、常連さんだったんでしょ? しかもなんか仲良さそうだったし……平田さん……杏実ちゃんのコーヒーが好きだって…………むぅ」

 そう言って萌は自分の言った言葉にすねたような表情を見せる。本当に平田のことが好きなんだな……と思う

 それゆえか、とんでもない誤解をしているらしい


「違う違う。平田さんじゃないよ」

「そうなの?」

「うん。常連さんなんて、ほかにもたくさんいたし……」

「そっかぁ~!……よかった」

 萌は杏実の返事を聞いて安心したように表情を緩めた

 

 それで―――――この話を出してきたのか

 ”杏実と平田”天秤に掛けて、ずっと悩んでいたのだろうか? そう思うとおかしい

  杏実が想像して、くすっと笑っていると、萌も恥ずかしそうに笑う。そしてまた思いついたように、「じゃあ……どんな人なの?」と言った後、一瞬杏実をじっと見て、何か考えるように眉をひそめた。小さく「あれ……?」とつぶやく。何度かその場で瞬きを繰り返している

 またなにか思い出したんだろうか


「どうしたの?」

「う~ん……ちょっとなんかひっかかるっていうか……思い出しそうで……あ~!!!!」

 萌はそう言うと杏実の方を再び見た。その大きな瞳を大きく見開いてなにか楽しそうに……ベットに乗り出すようにして話しかけてきた


「ねえ、杏実ちゃんって、どこのカフェの店員だったの?」

「どこ……って?」

「もしかしてさ………もしかして……颯人お兄ちゃんとこの会社のカフェ? とか?」

「え?」

「今……思い出したんだ。確かあの時……その人、ミルクティーが好きなんだって言ってたよね? 杏実ちゃんの入れたのが気に入ってくれたみたいだって……」


 ドキッとした

 その萌の期待に満ちた瞳……まさか…


「なんで気が付かなかったんだろ。……かなりのイケメン……女の人には無愛想……そんなん決まってんじゃん!!」

「……」

「杏実ちゃん。颯人お兄ちゃんのこと好きなんでしょ?」

「……っ」

 思わず図星を差され、言葉を失う

 その様子に、萌は満足そうににんまりと顔に笑顔を浮かべた


「やっぱり……そうだったんだぁ。颯人お兄ちゃん、ミルクティー好きだもんね。……なんだぁ~平田さんが言ってたことって、この事だったんだぁ」


 平田さんが言ってたこと?


「……あの…」

「私、颯人お兄ちゃんと杏実ちゃんがくっついたらいいのにって思ってたけど、杏実ちゃんの気持ちが気になってて……もし今も別に好きな人がいたとしたら、どうしようかと思ってちょっと悩んでたんだ。やっぱり無理強いして杏実ちゃんに嫌われたくないし……。でも……そっかぁ……そっかぁ~!!」

 萌はうれしそうに手を合わした


“イケメンだけど、女の人に無愛想”それはどれも杏実が二年前、萌に言ったことだ

 萌に直接関係のない話なので、かなり詳しいことも話していた。再会した今、颯人のことはフミさんと同様、萌にも言うつもりはなかったが、もうこうなってはごまかしようのない


「あのね。萌ちゃん」

「なあに?」

「フミさんには……黙っててね」

「……なんで?」

「フミさんが知ったら、朝倉さんに迷惑かけちゃいそうな気がするの」

「え~!……おばあちゃん聞いたら、すっごく喜びそうなんだけどなぁ……」

「ま……まあそうなんだけど」

「喜んで協力してくれると思うよ?」

「……それが困るのよ。朝倉さん、それでうんざりしてるみたいだし……やっぱりこういうのは本人の意思が大事っていうか……」

「う~ん……まあお兄ちゃん無理強いされるの嫌いだからね。余計に意固地になるっていうか……確かに逆効果になるかもしれないかぁ……」


 萌のその言葉に何度もうなずく。なんとかここでフミに伝わることだけは阻止しなければ

「……わかったぁ。秘密にしとく」

「萌ちゃん!」

 杏実はホッとして安堵の笑顔を見せる。しかし、次の言葉に再び……


「代わりに萌がキューピットになっちゃうね!! 萌。俄然ガンバちゃうよ!」

「…………え?」

「颯人お兄ちゃんって、一見何考えてるかわかんないけど、結構杏実ちゃんのことは気に入ってると思うんだよね! 萌に任せて!」


 そう言って自らの胸をトンと叩く


 任せてって…

 フミの孫らしい。こうなると人の話を聞いてくれない。萌のやる気満々な様子に、不安を覚えていると、ふと旅行の時のことを思い出した

 そうだ……あの時フミに協力してあの“ゴキブリ”を作ったのは萌だ! 

 まさか、またあんな変なメカを使う気じゃないだろうか!?

 冗談じゃない!!


「萌ちゃん。あの……まさか、また変なゴキブリみたいなメカ作る気じゃ……」

「え? あの”G5号”のこと? あれはよかったでしょ~? 会心作だったのに、最後破壊しちゃうのはもう涙出るほど悲しかったけどね……」

”G5号”?そんなネーミングがあったのか。Gは”ゴキブリ”の略だろうか……というか5号……きっと4号までは颯人が体験しているに違いない


「お願いだからやめて……」

「大丈夫だよ! あれは正体明かせぬ時のイタズラ用だから、もうそんなことしないよ。なんか……颯人お兄ちゃんから、杏実ちゃん無茶苦茶怖がって……あの後うなされてたって聞いて、怒られたし……もうしない」


 うなされてた?

 初めて聞く話だ


「ちゃんと、普通に協力しちゃう。よし! ひとまずは……明日だよね!さっそくお兄ちゃんも誘っちゃお~」

「え? 明日?」

「うん。颯人お兄ちゃん、明日久しぶりに休み取れたって言ってたから、誘っちゃうね! 待っててよぉ~……」


 そう言って、杏実が止める暇もなく萌は持ってきた雑誌を持って(アイスの残骸は置いていくらしい)嬉々として部屋から出て行った


 明日? ……本当に?

 この微妙に気まずい状況で、明日出かけることになるの?

 萌に知られてしまった。しかも協力? 本当にまずいことにならないだろうか?

 

 その夜、その状況にいろいろと混乱するなか、杏実は悶々と考えながら眠りについた

 そのため何度か鳴った携帯のバイブに……気が付かなかったのだ




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