54.子猫どものじゃれあい
「やあ。杏実ちゃん。あれから元気だった?」
「おかげさまで……快適です」
颯人からチラッと、あの日杏実をフミの家に連れて帰る際、平田にも手伝ってもらったと聞いていた。杏実が医務室にいた際も、いろいろと親身になってくれたので、お礼を言わなければと思っていたのだが、いざ会うと平田がどう返してくるのか予想が付かないので警戒してしまう
「……私が熱を出した際には、お世話になりました」
警戒しつつそうお礼を言うと、平田は軽い調子で「嫌だな~そんな当然じゃないか」と言っている。その二人のやり取りに、萌が意外そうに二人を見比べていた
「平田さんと杏実ちゃん、知り合いだったんですか?」
「知り合いっていうか…」
杏実が何と説明すべきか迷っていると、平田が口を挟む
「まあね~。知り合いと言うか……杏実ちゃんとは長い間、”奉仕される側”と、”奉仕する側”だったっていうかね?」
そう言って、杏実にさわやかに片目をつぶって見せる
「なっ!? 何言ってるんですか!」
「ふふ……」
杏実がとっさに言い返そうとした時、ハッと萌の方に視線を向けると、萌は顔を青くして呆然としている
「違う違う! 萌ちゃん違うからね?! この人はただのお客で、私は……」
「ほらほら~。奉仕される側じゃん……」
「ちょっと黙っててください!!」
杏実の剣幕を見てもなお、平田は面白そうに「ははは…」と笑っている
「ほうし…?」
「違うの! そんな変な店じゃなくて……ただのカフェのアルバイト! 私は店員で、平田さんはただのお客さんってだけだよ? 結構長い間そこで働いてたから、その時の常連さんだったの……」
「カフェ?」
萌は杏実の言葉に、ハッと我に返ったように杏実を見た。杏実はその萌の問いに、何度も肯定するようにうなずく
「だから、変な誤解しないで……」
「杏実ちゃん、カフェのアルバイトしてたの?」
「うん。6年ぐらい。だからね……」
「そっか……」
そう言って、萌は考え込むように下を向いた
先ほどとは違う落ち着いた表情だったが、杏実はまだ萌が誤解していないか気が気でなかった
「あ~あ。……面白かったのに」
「面白くありません」
「ふふ……。ねえねえ……ところでさぁ。朝倉との同棲生活はどう? なんか進展合った?」
「な……」
何を言い出すんだこの人は!
「ていうか、まだ朝倉気が付いてないの? 面白いよね~。って言うか、そもそもなんでこんなことになったわけ? そりゃアメちゃんすごく可愛くなったとは思うけど、気づかないって相当バカだよね」
そう言って意地悪そうに笑う
くっ……この人のせいで
エセ王子
そう思うと、あの時の怒りが再び湧いてきた
「それはそもそもあなたのせいです!」
「え? 僕?」
「プレゼントだか何だか知りませんけど……あなたの企画した、くだらない合コンのせいで誤解されて……」
「ねえ、杏実ちゃん。……何の話なの?」
杏実はその声でハッと我に返る
そうだ! 萌も一緒だったのだ。ここでその話をするわけにはいかない
しかし杏実の戸惑いとは裏腹に、平田はますます面白そうな顔を浮かべて、萌に近づく
「それがさぁ……萌ちゃん聞いてよ。二人はそもそも知り合いなのにさぁ……」
「平田さん! いい加減にしてください!」
「……怒った。あははは……ほんと君って面白いよね~」
その笑いにキッと平田を睨みつける
「萌ちゃん!! この人はこんな王子様な顔しといて、真っ黒な悪魔なんだから騙されないで!」
「杏実ちゃん?」
キョトンとしている萌を、必死で平田から遠ざけるように後方へ引っ張る
その拍子に後ろの人にぶつかった
「すっ……すみ…」
「お前たちさっきから何してんだ」
とっさにぶつかったまま声のした方を見上げる、すぐ後ろに颯人が呆れた顔で立っていた
「ふふふ……ばれちゃったかぁ」
「平田……。またなんか杏実たちに、ろくでもないこと言ってたんだろ」
「からかいたくなるほど、二人とも可愛いもんだからさ」
そう言ってさりげなく、萌に王子の笑顔を見せた後、片目をつぶって見せた
その瞬間、萌は(杏実の剣幕を聞いていったに関わらず)……顔を真っ赤に染めた
ああ~……
杏実の努力むなしく、再び萌は平田の毒牙にかかってしまったようだ
「ほんとお前の発想って、くだらねーな」
「退屈しなくていいよ~。っていうか、朝倉も一緒だったんだ?」
「萌が連れてけって、朝からうるさくてな……」
「ふ~ん。萌ちゃんだけ……ね?」
そう言ってチラッと杏実の方を見る
何なのよ!!!
杏実が再び臨戦態勢に入ると、颯人に頭をポンとたたかれる
「こら。まともに受けるな。こいつはお前の反応を面白がってるだけなんだから、無視しとけ」
「うぅ……」
そのやり取り見て、楽しそうに平田は杏実に視線を向ける
「ひどいなぁ~」
「本当のことだろ」
「僕は足元でちょろちょろとじゃれてくる子猫がかわいくて、構ってあげてるだけだよ」
「子猫っ!?」
「あ……でもどちらかと言うと……僕は可愛く甘えてくる子猫の方が好みかなぁ~」
そう言ってあからさまな視線を萌に向けている。萌の顔がさらに真っ赤に染まる
「ダメです! 萌ちゃんはダメ!!」
「誰もそんなこと言ってないじゃん~……ふふ」
「だ、か、ら~杏実……」
颯人が呆れたように短くため息をついた
「あ~あ。面白かった。……で? 朝倉たちはこれからどうすんの?」
「ああ?」
平田は相変わらず一人で完結して、マイペースに話を持っていく
「僕、今日は本当に珍しく予定がないんだよね~。暇だから混ぜてよ」
とんでもない!!
「わぁい~!」
杏実があからさまに嫌な表情を浮かべたとは反対に、萌がうれしそうな声を上げる
颯人は一瞬顔をしかめたが、萌がうれしそうに「颯人お兄ちゃん、平田さんもいいでしょ?」と言うので、渋々承諾しているようだ
萌はブラコンとのことだったが、颯人も萌にはめっきり甘い
「お茶かぁ~。僕コーヒー飲んじゃったしなぁ」
「そうですか……あ! じゃあ、一緒に家で夕食は? 今日、杏実ちゃんがビーフカレー作ってくれることになってて、今買い物もしてきたんですよ!」
何!?
「ビーフカレー? 僕も好きだよ」
「ほんと!! ねえ? 杏実ちゃん良いでしょ?」
「え!? ……で…でも口に合うかどうか…」
カレーに合う合わないもないかもしれないが、一応抵抗してみる
しかし平田はその質問には答えず、萌をみて言う
「久しぶりに家庭の料理とか……たべてみたいなぁ」
「あ……そうですよね。……杏実ちゃん、平田さんって一人暮らしなんだよ。ママがいた時にはよく家に食べに来たりしてたんだ。だからたまにはみんなでワイワイ食べたら楽しいんじゃないかな? ね? いいでしょ?」
い……嫌だ…
たぶんろくなことにならないと思う
しかし萌の純粋無垢な甘えた瞳を向けられると、何も言えなくなった。颯人が萌に甘いのは、こういった事情なのだろうと思うと納得がいった
「う……うん」
杏実がぎこちなくうなずくと、萌は満面の笑みを浮かべて「やったぁ!」と言った
「じゃあ。杏実ちゃん、颯人お兄ちゃん。早く帰ろう~」
「うん」
「そんな話してたら、ますますお腹空いちゃったぁ~!」
そういって萌は無邪気な顔で、颯人の服の裾を引っ張りながら前を歩いていく
憂鬱……
杏実が思わずため息をつくと、平田がそれに気がついてか、杏実の耳元に近づいてきた
「じゃあ。よろしくね? ちなみに僕カレーにはちょっとうるさいから、最低でも玉ねぎはあめ色になるまで炒めてよね?」
そういって平田はせせら笑いを浮かべて、萌たちの方へ歩いていく
自分の思いとは裏腹に、なにか逃れられない糸が自分に絡みついているような―――――そんな感覚がした