49.大きな手
カタカタカタカタ………
何の音だろう
身体が重い…
喉がカラカラでヒリヒリする
身体が…熱い
目を覚ますと薄暗い室内の中にいた。自分のアパートより、少し高い天井……何より電灯が違う
ここ……どこ?
ぼんやりする意識の中で、辺りをぐるりと見渡す。熱のせいか首を動かすのも重たい
電気は消えていたが、薄暗いのは部屋の隅にある机に備え付けられたデスクライトの明かりらしい
先ほどの音が静かな室内に響いている
その机には誰かがこちらに背を向けて座っていた。パソコンを打っているらしい
「……誰?」
そう言おうとして声を発したが、かすれてうまく出せなかった
しかしかすかな気配を感じたのか、机に座っていた人物が振り向いた
「杏実? 起きたのか?」
ぼんやりしていた意識が、とたんはっきりと覚醒する
朝倉さん!?
颯人が杏実が目を覚ましたことを知り、ベットの近くまで歩いてきた
そっと杏実の頭上へ手を伸ばし、杏実のおでこに大きな手の平が当たる
その手はヒンヤリと冷たく、全身が熱い杏実には心地いい。その温度にホッとため息をつく
そうだ……熱があったんだ
「まだ……かなり熱いな……」
「朝倉さん……ここどこですか?」
そう言って、熱できしむ身体を起こす。明らかに先ほど寝ていた医務室とは違うようだ
部屋の広さは6~8畳ぐらいだろうか。ベットもシーツも花柄のレースのカバーが掛けられており、部屋の奥には大きな出窓、そこに所狭しと装飾品が飾られている
ホテルにしては、少し豪華で内装が家庭的すぎる
「フミ婆の家だ。で、ここは客室。客室って言っても、今まで誰も使ったことねーし……気にせず寝てろ」
「……フミさんの家?」
「とりあえずお腹空いてねーか? 適当な菓子パンならここにある。……萌にリンゴだけむかせたけど……小一時間経っても持ってこねーとこ見ると、剥いてるうちに跡形なく消えたんだろうと思う」
「消えた?」
「まあ………よくあることだ。とにかくリンゴは当てにするな。明日になれば境さんが来る日だから、なんか作ってくれるだろう」
さかい? 誰だろう……
そう思うが、それよりもここがフミさんの家だと聞き、少し驚いた
フミさんがホーム以前に、どこに誰と住んでいたのか、杏実は知らない。だから、ここがどこなのか全く見当もつかない
医務室に寝ていた杏実を、颯人が抱えて連れて来てくれたんだろうか?
そう思い立って申し訳なくなった
平田からもらった薬で、急な眠気が来た。きっとぐっすり眠ってしまっていたので、相当重かっただろうと思う……寝ている人は通常より重いのだ
でもどうして私のアパートじゃ……
そう思って、ハッと先ほどの出来事を思い出した
とたんに、あの空き巣と目があったことを思い出し………ゾッと寒気がする
「大丈夫か?」
杏実の変化に気が付いたのか、颯人が気遣いのある表情を向ける。その声で、ハッと颯人の方へ視線を向ける
「平田から事情は聞いた。警察には、お前んとこの大家から連絡してもらったから大丈夫だ」
「え? ……なんで大家さんを?」
「圭さんに聞いた。圭さんに保証人になってもらって書類預けてたろ? そこからな」
アパートに行かなくても、圭に聞くという手があったのか
しかし……大家さんの番号を聞いたということは、颯人は圭に事情を話したということだろうか
「おばあちゃん……なにか言ってましたか?」
杏実が恐る恐る尋ねると、颯人は呆れたように言う
「……むちゃくちゃ心配してた。フミ婆の家に連れてきたこと言ったら、少し安心してたみたいだけど。……なんでお前から連絡しなかった?」
ドキッとしした。当然の疑問だと思う
「きっと……心配かけちゃうから……」
「当たり前だろ。何のための身内だ」
「……そう…ですよね」
颯人の言うとおりだ
こんな形で事実を知り、圭はきっとショックを受けたに違いない。自分の行動の浅はかさのせいで、また余計な心配をかけたかと思うといたたまれなくなる
杏実が落ち込んでいると、颯人は苦笑して杏実の頭をポンッと叩いた
「まあ……杏実の考えそうなことなんて、圭さんはとっくにわかってるだろうし、大丈夫だろ。明日電話してやれ」
杏実はその言葉にコクリとうなずいた
「ところで、お前本当に何もされなかったのか?」
颯人は真剣な表情で尋ねてくる
あのことは思い出したくなくても、今も脳裏に焼き付いている。ただ、今颯人が近くにいることで少し安心して、落ち着いて話すことができた
「はい。私、今日体調悪くて早退したんですけど……帰ったら鍵が開いてて……おかしいと思って入ってみたら、犯人が私のベットに寝てたんです。その時、入ってきた私に犯人が気が付いて目があって、動揺して持ってたカバンを落としちゃって……。そしたら犯人が起き上がってきて……もうとにかく逃げなきゃて思って、思いっきり逃げました。だから大丈夫です」
そう言って精一杯笑顔を作る
颯人はしばらく杏実の顔を見つめていたが、やがて再び頭をポンポンと叩いて、穏やかな表情で杏実に「よく頑張ったな……」と言った
その優しい顔に、目尻に涙が溜まってきた
もう安心だよ――――――そう言ってくれているように思えた
あれから――――――交番を後にして、当てもなく歩いていた
颯人に会うつもりはなかった
会えば……きっと今抱えていいる孤独や不安を、すべてぶつけてしまうと思ったから。そんなことをすれば……颯人はきっと困るだろう。杏実はただの知りあいに過ぎない
しかし、少しでも近くに行きたいと思った……近くに行けば、その強さを勇気を分けてもらえるかもしれないと
杏実の最寄りの駅から、颯人の職場までは2駅ぐらいのものだ。行けないことはない
そう思って歩いていた
次第に熱が上がってきたのか、身体が怠くなってきたけれど、歩みは止めなかった
着いたときには、空が茜色に染まっていた。ビルを見上げて、ここにきっと颯人がいるんだと思ったら……少し励まされた
でも、足が本格的に痛くなって……ビルの生け垣に腰を下ろして靴を脱いだ
これからどうしよう?
また途方に暮れた時、ふと『スクラリ』のことを思い出したのだ
店長なら……「男はオオカミ」と店員を守ってくれていた店長なら、きっとこの状況に力を貸してくれるに違いない!……そう思った
アパートについてきてくれなくても、少しお金を貸してもらい電車でホームまで戻れれば、誰か力を貸してくれるかもしれない。圭にだって顔を見せながら話せば、少しは安心するだろうし…場合によっては、しばらく泊めてもらえばいい
そう思って足を踏み出そうとした時―――――颯人から着信が入った
出ようと思って……躊躇した
今出たら……弱音を吐いてしまいそうだった
迷っているうちに時間が経過して、留守電に繋がった
ホッと胸を撫で下ろしたとき……また着信音が鳴ったのだ
今度は出ないと……反対に変に思われる。そう思って通話ボタンを押した。ただ……声が聴きたかっただけかもしれない
きっと杏実からの着信の理由を聞くためだと思ったから、颯人には「なんでもない」と言って切るつもりだった
しかし……颯人は開口一番「何があった?」と、杏実を明らかに心配していた
その声を聞いて、さっきまでの緊張感が一気に解けた。その声に……安心して涙が止まらなくなった
まさか……すぐそばにいたとは思いもよらなかったけれど……
颯人はなおも安心させるように、頭を撫でてくれていた。子供をあやすような仕草だ
似合わない行動に、自然に笑みが浮かぶ。涙は自然に止まっていた
杏実が落ち着いたのが分かったのか、颯人は撫でていた手を離して、再び話しを始めた
「なんか飲むか?」
「……はい。お腹は空いてないんですけど……喉が渇いちゃって」
杏実がそういうと、ベットのわきに置いてあるナイトテーブルからペットボトルを取ってくれた
喉にスーと冷たい液体が流れた
「薬も飲んどけよ。後、これ萌のだけど部屋着……着替えて寝ろ。トイレは出て右奥。洗面所は下の階にもあるが、トイレの横にもあるから、顔洗いたければそこを使っていい。ここにパンは置いておくが、下の階に冷蔵庫もあるから、お腹空いたら中のもんは適当に食っていい……て、なんも食えるもん入ってねーけどな。なんかあったら俺は向かいの部屋にいる…遠慮はするな。いいな? なんかあったらちゃんと起こせよ?」
そう言って確認するように、じろっと睨む
確認と言うが、脅しにもとれるその強い言い方に、杏実はただただ何度も頷いた
その様子に安心したのか、颯人は机に置いてあるパソコンを持つと、部屋を出て行った
ここは……フミさんのお家
颯人は確か……一人暮らししているはずだから(スクラリにいたころそんな噂を耳にした)今日は杏実のために泊まっていくのだろう
申し訳ないけれど……うれしい
こんな状況なのに、颯人は杏実に文句ひとつ言わなかった
反対に……優しく接してくれた
はぁ……
うれしくて思わずついたため息が熱く、まだ熱があることを思い出した
颯人から言われたように、着替えを済まし、薬を飲むと、杏実は再び眠りについたのだった




