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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 4 〉
47/100

47.腕の中 ~颯人side~


 杏実は会社のビルの、生け垣の煉瓦の上に座っていた。携帯に伏せている横顔からは、どんな表情をしているかはわからなかったが、明らかに泣いているように思えた


 颯人は平田が何か言おうとしているのを無視して、杏実のもとに駆け寄る


「杏実!」


 声が聞こえるだろう距離で、名前を叫ぶと、杏実はビクッと身体を震わせた。そして弾かれたように、振り向き颯人のこと見た

 しかし颯人を確認するや否や、立ち上がって反対側に走り出そうとする


「あ……待て! なんで逃げる!」

 颯人は追いつこうと、走る速度を上げた

 走り出そうとした杏実だが……なにか走り方がおかしい。あっという間に追いつき、杏実の腕をつかんだ


 今度は逃げられないように、しっかり腕をつかむ。杏実は颯人に抵抗しないものの、こちらを振り向かなかった


「なんで逃げる?」

 なぜこんなところにいるのか、その疑問が脳裏に浮かんだが、今はそれよりも杏実の様子が心配だった

 杏実は質問に答えず、じっとしている。いつもうっとおしいぐらいにこにこと話をしている杏実とは大違いだ


「杏実?」


 もう一度優しく呼びかけて、杏実の肩を持ちこちらの方に振り向かせる。杏実は抵抗することなくゆっくりと振り向いた

 視線は合わせないものの、杏実の頬にはいく筋も涙の後が残っており、目頭にもまだうっすらと涙が溜まっていた

 杏実は口角を震わせながら「ご……ごめんなさい……」と言葉をつぐむ


「なにに謝ってるんだ?」

「私……ここに来るつもりじゃ……なくて……」

「うん」

 泣きながらも必死で答えようとする杏実に耳を傾ける


「会ったらダメだって……思ってたんです……でも声を聞いたら安心して…」


 安心? 何に対して?

 そう思って口を開こうとした時、後ろから平田が追いついてきたのか、のんびりした声が聞こえてきた


「ちょっと……朝倉速いよ~。彼女……大丈夫?」


 ”大丈夫?”と言っている割には、のんびりしている。緊張感のない奴だ

 しかし平田は颯人の隣まで来ると、杏実を見て驚いたように声を上げた


「え! ちょっと……杏実ちゃん裸足じゃんか!?」


 その声に驚いて颯人も足元を見る。杏実は膝上のレースのスカートをはいており、その下に薄手のストッキングをはいているものの、裸足に近いものだった

 よく見れば、ストッキングの踵部分が破れており、靴擦れを起こしているのか、両足ともうっすらと血が滲んでいる


「裸足で歩いてきたのか!?」

 颯人がそういうと、杏実はハッとしたように顔を上げた


「違います! ……靴はそこに……」

 そう言って先ほど座っていた煉瓦の方を指差す。そこには茶色のシンプルなパンプスが放り投げてあった

 靴擦れをしてあそこで靴を脱いでいたらしい


 それであのへんな走りか……


「何が……」

 しかしもう一度聞こうとしたとき、つかんでいた杏実の腕が異常に熱いことに気が付いた


 杏実がようやく理由を話そうとしたのか、固い表情で顔を上げた。その頬は赤い

 颯人は何か話そうとした言葉を遮り、杏実のおでこに手を当てる


 やっぱり…


「おまえ。熱があるんじゃないのか?」

「あ……」

 杏実は今思い出したかのように、自分のおでこに手を当てる


「ちょっと……朝から熱っぽかったので。……でも大丈夫です」

 そう言って弱弱しい笑顔を向けた


 大丈夫って……

 こんな時まで遠慮すんのかよ……呆れた……


 おでこはかなり熱かった。ちょっとどころじゃないだろう。何があったかは気にかかる。しかし今はとりあえず、杏実を休めさせてやることが先決だろうと思う

 颯人は平田の方を振り向くと「持っといてくれ」と言って、持っていたカバンを投げた


「うわっ……」

 突然のことに、平田がバランスを崩して投げたカバンを落としそうになっている。そのことは無視して颯人は杏実を横抱きにして抱え込んだ


「え?」

 突然のことに驚いたのか、杏実が声を上げる

 抱えた瞬間、温かく柔らかい感触と共に、杏実の優しく甘い香りが鼻孔をかすめた


「なんだ。思ったよりも軽いな……」

 これなら医務室まで余裕で抱えていけるだろう


「ちょっと……朝倉さん降ろしてくださいっ……!」

 

 遅れて状況を把握したのか、杏実が腕の中で訴えている。普通なら一言声をかけてから抱えるところだろう。しかし杏実の場合、言えばこうして遠慮して無理するのは目に見えている

 それに今の状態なら、“ここで待っていろ”と言っても、いなくなる可能性もある

 事情を聞いていない状態で、そのまま帰すわけにはいかない

 杏実は抵抗しようと身体をよじる。その拍子に杏実の手が直接颯人の手に触れ、改めて杏実の体温が熱いことを実感する。耳まで真っ赤だ


「じっとしてろ。熱がある上にその足じゃ歩けねーだろが」

「だ……大丈夫です! さっきまで歩いてて……」

「どっから?」

その問いに、ぐっと杏実は言葉を詰まらせた

何か言いにくいことでもあるのか、口を開いたまま不安そうに瞳を揺らす


「暴れると持ちにくい。少しの間だから……おとなしくしてろ」

「………」


 いったい、何があった?

 その疑問が何度も頭を過ぎる……しかしそれはとりあえず後だ。杏実がおとなしくなったので、後ろを振り向き平田に話しかける


「悪い。平田、今から医務室行くから、杏実の靴持ってきてくれるか?」

「りょ~かい!」

 平田はそう言って、ニコッと颯人の腕の中にいる杏実に笑いかける

 杏実はそれを見てビクッと身体を強張らせた


 通常の女ならその平田の笑顔に、思わず魅入られててしまうところだ。そういえば杏実は平田を「王子様の仮面をかぶった悪魔」と評していた。どうやら本当に警戒しているらしい

 おかしなやつだ


「くくっ……」

 思わず笑った颯人に、杏実がびっくりして顔を向けた


「なんでもないよ」

 自分でもびっくりするぐらいの優しい声が出た

 杏実も驚いたのか、大きく目を開いてたちまちうつむいてしまった


「んじゃ、まあ……行くか」

 このまま歩けば、たちまち社内の噂の的になるだろう。ちょっと面倒だな、と思う。しかし……どうせ毎日下らん噂を流す奴らだ、適当に誤魔化せばいい

 うつむく杏実を抱えて、颯人はビルの玄関へ足を向けた




 

「39.0……」

「39.0だね……」

「……そんなに高いわけありません! ……もう一度測ってみますね」


 杏実から受け取った体温計の表示には、きっちり”39.0℃”と表示されている。しかし往生際悪く、杏実はそう言って体温計を颯人の手か取ろうと手を伸ばした

 さっと届かない位置まで体温計を遠ざけると、颯人は呆れて声を出す


「バカ言え。間違いなわけあるか! おとなしく横なれ」

「うう……」

 杏実はその声に唸り声をあげると、ベットにおとなしく横になり、布団をかぶった


 医務室は鍵は開いていたものの、誰もいなかった。曜日によって医師が駐屯していることがあるのだが、勤務時間はとっくに過ぎている

 仕方ないので、杏実をベットに降ろして適当に棚から体温計を取り出し、測ってみればこれだ


「はぁ……」

 杏実の自分への無頓着ぶりには呆れる。どこが大丈夫なんだ

 杏実の方を見れば、布団を鼻までかぶって目線だけ颯人を見ていた


「すみません……」

 小さな声でそう言っている


「はぁ~……」

 

 無意識に、またため息が出た

 とりあえず杏実を休ませたところで、ここにいる理由を聞こうとベット脇の椅子に腰かける

 その時、颯人のビジネス用の携帯が鳴った

 仕方なく携帯に出る。急ぎの書類が発生したらしく、至急確認をしてほしいとのことだった



 「朝倉、行ってきなよ。僕が杏実ちゃん見てるからさ」

 平田がそう言っている後ろで、杏実が「一人で大丈夫です!」としきりに訴えている

 颯人は迷うように平田と杏実を見比べた


「どのみち、一回は社内に帰らなきゃいけないんだしさ。ついでに僕のも直帰にしといてよ。杏実ちゃん一人にするより、今僕が付いてた方がいいだろ?」

 そして平田は杏実に聞こえないように、こそっとと耳打ちをしてくる

「なんか飲み物とか買ってきてやれよ。靴も履けないし、スリッパとかもいるだろ?」

 

 確かに平田の言う通りだ

 ここは平田に任せて社内へ戻ることにして、杏実に声をかける


「私は……大丈夫です。おとなしく待ってます」

 そう言って熱で辛そうな顔をしているものの、先ほどよりも気持ちが落ち着いているのか、柔らかい笑顔を見せた

 それに安心して、颯人は医務室を後にした




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