46.着信 ~颯人side~
「なんとか丸く収まってよかったね~」
タクシーの中で平田がそう言う
今日は午後から部下から報告があり、得意先のクレーム処理に来ていた。かなり先方はお怒りだったので、課長である颯人と、主任の平田が相手先に出向いて、謝罪をしてきたのだ
「まあな……」
颯人は平田に返事をしながら、内心あのクソじじい……と思う。やたらと勿体ぶりやがって……あの息子にしてあの親だと思う
あの息子―――――あのくそ悪趣味な合コンをする“御曹司”
「御曹司を狙っていたのか?」と言った時の、杏実の嫌悪感に満ちた視線を思い出す
杏実が嫌うのも無理はない。俺から見ても男のクズだと思う
そもそもあの合コンは接待ということだったが、御曹司は正しくは親の会社には入っていない。気が向いた時だけ、短期でアルバイトをしているだけ。そんな息子に親も手を焼いているようなのだ。よって、はじめからあの接待は全く意味のないものだった
そんなものに駆り出され……挙句に……
くそ……胸糞悪い
そう思いながらそもそもの原因の、平田を睨みつける
「なんだよ? 今回俺は関係ないだろ~」
平田はそう言って飄々と笑っている
関係大有りだ
そう思いながらも、平田はこういうやつなので、仕方ないと思うしかないのだ
もうすぐ会社のビルの前につく。時計を見ると、6時を少し回ったあたりだった。今日は特に急ぎの仕事はないので、社内に戻って書類を確認すれば帰れるかもしれない
その時、ふとプライベート用の携帯のことを思い出す
先日、杏実に番号とアドレスを教えた
「何かあれば遠慮なく掛けて来い」と言ったのだが、杏実は初日以外連絡してくることはない。何もなければ連絡しない点、遠慮がちな杏実らしいと思う
社内の女なら、こうはいかないと思う。教えてもないのにどこからか聞きつけて、勝手に毎日の報告や“会いたい”だのメールをしてくる。もともとプライベートではあまりメールをしないので、迷惑極まりない
しかし……あの時は――――――杏実には教えておかなくてはいけないのではないか、と思ったのだ
初めて杏実のアパートを訪れた時(あの合コンの時だ)、なんでこんな治安の悪いところに、一人暮らしをしているのか不審に思った。しかもセキュリティーシステムのない、かなり古いアパートだ
二度目に行ったとき、偶然杏実が部屋に入るのを見て、愕然とした……よりにもよって一階だ。あまりの無防備さに呆れかえったが、それを許可している親にも問題があると思った
だから後日、圭さんに何気なく杏実の住居環境について、何も思わないのかと尋ねたのだ
すると……意外なことに圭は何も知らなかった。アパートに行ったことすらないらしい(杏実が何かとごまかすらしい)
しかも……杏実は無一文の状態でこっちに引っ越してきており、親とは絶縁状態だと聞かされた(ちなみにこれは、勝手にフミがペラペラと話し出した)
それであのアパートか…………と思った
杏実がそれでいいなら、俺が口出すことじゃない。とりあえず圭に問題提起しておいたのだから、あとは身内でどうにかしろ
そう思っていた
しかし……先日フミから聞かされた話。杏実のアパートの周囲の女性を狙った空き巣被害
そのあとフミからとんでもないことを提案され、ますます俺には関係ないと思った。絶対にフミの提案には乗らないと
しかし杏実はあの日、俺と別れるまで一言もその話をしなかった
俺の八つ当たりを責めることなく、終始楽しそうに……別れる時も「気を付けて」と
あほかと思った
でも帰りかけて……やはり心配になった
親もいない土地で、身内は足の不自由な祖母のみ。彼氏もいない。(これもフミが無理やり教えてきた)そんな中で、こんなにも人を頼ることができない杏実のことが、たまらなく心配になったのだ
ちなみに俺も小さいときに事故で両親を失った。しかしフミが親のように接してくれたし、叔母夫婦といとこに囲まれて生活していたため、不自由はなかった。学生時代の親友も近くにいる
しかし…………杏実は?
フミの望むような関係になる気など、毛頭ない
しかしなぜか、ほっておけなかった
普段なら仕事中は、ほとんど見ないプライベート用の携帯。大概はフミからのくだらない連絡ばかりだったから
しかしここ数日はまめに見るようになった
ふと携帯を見ると……杏実から着信が入っていた
―――――1時間前だ
メールも来ている。着信から時間を置かずに打ったらしい。“間違えました”とある
間違いか……
かなり時間も経っていたこともあり、少しホッとする
しかし……着信時間が気になった。杏実は先日“今週は日勤しかないので今週は楽だ”と言っていた
なんでこんな時間に携帯を?
なんだか胸騒ぎがした
タクシーを降りると、あたりは薄暗くなっていた。すぐに携帯を掛けたいと平田に声をかけ、杏実に電話を掛ける
何度か呼び出し音がした後、留守電に繋がった
なんで……出ない? 気づいてないのか?
さらに胸騒ぎがして、もう一度掛けてみる。何度か呼び出し音が鳴った後、電話がつながる音がした
『はい。……朝倉さんですか?』
外にいるのか周囲の音に消され、杏実の声はかすかにしか聞こえない
やはり………なにか様子が違う気がした
「杏実? どうした? さっき電話しただろ。すぐ気づかなくて悪かった……なにかあったのか?」
颯人が早口でそういうが、杏実の返答はない
「杏実? 聞いてるのか? なんかあったのか? おい! 答えろ!!」
応答がないことにイライラして、半分脅迫じみた言い方になる
しばらくすると電話口から嗚咽のような声が聞こえてきた
泣いてる?
「おい? 杏実……泣いてんのか? おい!!」
必死で電話口で呼びかけていると、トントンと肩を叩かれた
「ねえ。朝倉~……」
横から、平田の穏やかな声が聞こえた
「なんだ!? 後にしろ! 忙しい……」
「じゃなくてさぁ……あれ。――――――杏実ちゃんじゃないの?」
そう言って平田が指差した先。会社のビルの生け垣の隅に、携帯に顔を伏せながら泣いている杏実の姿があった