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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 1 〉
4/100

4.勝手な判断の代償

 朝倉が入店してきたのは、金曜日の8時を過ぎた頃だった。


 杏実は一人で店番をしていたのだが、その日は社内で飲み会でもあるのか、夕方からはお客さんが少なかった。その時刻には誰一人おらず、店長は早々と休憩に入っていた。


 席に着いた朝倉からは、相変わらず不機嫌なオーラが漂っていたが、いつものような力強いピリッとした雰囲気は感じられなかった。


「ご注文は……?」

「ミル………」

 朝倉は一瞬言いよどんで口をつぐむと、思い出したように「チッ」っと舌打ちをする。その音にはイライラが募っており、杏実は反射的にびくっと身体を揺らした。


 こ……怖い。


 何も悪いことはしていないがその張り詰めた雰囲気にビクビクしてしまう。


「紅茶、ストレート」


 朝倉はそうきっぱりというと、杏実を見ずにメニュー表をテーブルに投げ出すと手元の資料を見始めた。


「……お待ちください」

 杏実はメニュー表を受け取りながら、ちらりとその表情をうかがった。朝倉の目元にはクマがくっきりと刻まれており、顔色も心なしか白っぽいようだった。

 明らかに疲れているようだ。


 厨房に戻り紅茶をポットで用意しながら、杏実は一心に書類を読み込む朝倉のほうを何度も確認してしまう。いつもと異なる朝倉の様子が心配だった。


 すごく疲れてたよね……


 舌打ちは怖かった。しかしあれは恐らく杏実に向けられたものではない。

 『スクラリ』にくるお客さんは仕事で疲れてくる人も多い。しかしあの顔色はそれとは明らかに違うような気がしたのだ。


 なにか……もっとこう……なんだろう……?

ここまで出かかっているのに……


 杏実は再び朝倉を見る。朝倉は変わらず、顔をしかめながら手元の資料を見ていた。そして右手でペンを持ち、左手はみぞおち辺り……


 あ……そっか!

 その動作には覚えがあった。


―――――胃が痛いんだ……


 そうか、それならばあの顔色の悪さは体調不良からだと納得がいった。


 「あれ?」

 紅茶をストレートて言ってた。大丈夫なのかな……?


 まれに杏実も胃が痛くなる。試験前や実習中などでも生活費のためバイトは休めないので、つい無理をしてしまうのだ。

 しかし疲れているときほど、温かい飲み物が欲しくなるもので大好きなミルクティーが飲みたくなるのだ。しかしやはりカフェインは胃酸を増やすので、胃には優しくない。そんなときはミルクをいっぱい入れて飲むようにしていた。


 ふと、朝倉が注文の時”ミ……”と言いよどんていたことを思い出した。


 もしかすると、朝倉自身もミルクティーを飲もうとしていたのかもしれない。でも……先日の件があって止めたのだろう、と思い起こす。



“迷った時は人のためになるほうを選びなさい”


 頭の中に杏実の母親代わりともいえる、大好きな祖母おばあちゃんの口癖が浮かぶ。人のため、そう……そうやって杏実は祖母の言葉をいつも信じてやってきたのだ。辛い時ほどそうやって前に進んできた……


―――――今は、店長もいない




 コトッ


 朝倉の席に、ティーカップをゆっくり置く。そしてポットからカップへ紅茶を注いだ。

 疲れている朝倉に少しでもこの『スクラリ』でリラックスしてほしい……そう思いを込めた。


「え?」


 ポットから注がれる液体の色が、白く混濁しているのを見て朝倉が声を上げた。杏実はティーカップを注ぎ終わり、ポットをポット専用のコースターに静かにおいてから、こわごわと口を開いた。


「勝手なことをして申し訳ありません。ただ……お客様がその……お疲れのように見えて」


 そういって朝倉顔色を窺う。


 注文と違う品を出したのは、はたして正しい判断だったのだろうか。

 朝倉に事前に確認すべきだったのでは?……今更ながら自信が無くなっていた。


 朝倉は、眉間のしわを深くしてこちらをじっとみていた。その黒い瞳はいっそう鋭く、背筋から冷たいものが上がってきた。

 全身が凍りついてしまう。


『黒の王子』

 いまさらながらその言葉の意味を理解する。どうやら王子の怒りを買ってしまった―――――


 勝手な判断の代償


 全身から発せられる不機嫌なオーラは、杏実をたちまちにそこにただたたずむ銅像のように固く凍りつかせた。これから予期せぬ雨風にさらされるように、冷たい言葉を浴びせかける。


 そう覚悟をせざる得なかった。




 ただ…………恐ろしかった


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