35.帰り道
温泉地で過ごす休日
と言っても、特に何をするという事もない
チェックアウトが終わると、その辺のレトロな温泉街をぶらぶらするだけ
ましてや足の悪い圭がいるので、杖を持ってしても足場の悪い石段の道は歩きにくく危ない
少し買い物をした後、早々に車で帰ることとなった
少し物足りない気もしたが、祖母達は満足していたようなので良かったなと思う
朝食の際、祖母達の部屋に行くと、どうだった?何の話をした?と質問攻めにあった
そして部屋を勝手に変えたことや例のおもちゃについて、祖母達に怒りを示した颯人の言葉には「アクシデントがあったほうが旅行は楽しいだろ」と飄々と答えていたのだ
そして杏実に向かって「実は颯人が勢い余って手を出さないかだけが心配だったが、大丈夫だったかい?」と言ったことによりさらに颯人の機嫌は悪くなり、温泉街ではほとんど別行動をしていた
行きの車での席と同じく、帰りの車でも杏実は颯人の隣
昨日は完全に無視されていた杏実だが、今日は杏実が話しかければそれなりに答えてくれている(かなりそっけないのだが)
サービスエリアで休憩をすることになったので、杏実はアイスクリームを買って車内へ乗り込んだ
祖母達ははしゃぎすぎたのか、よく寝ているようだ
「もういいか?」
「はい」
杏実が返事をすると颯人は早々に車を発進させる
杏実はさっそく買ってきたアイスクリームを頬張る
サービスエリアでは通常では買えないものが置いてあるので、わくわくする
杏実が美味しそうに食べていると、颯人が隣であくびをした
今日の運転中、何度も見た風景だ
祖母も寝ているので、話しかけてみることにした
「朝倉さん眠いんですか?」
「……まあな…」
「眠気覚ましに食べますか?」
「ん……そうだな。ちょっとくれ」
そういうと杏実の手からアイスクリームのコーンを受け取り一口食べる
しかしその瞬間顔をしかめた
「おい。この味はなんだ…」
「焼肉味です」
「はぁ?」
「このサービスエリアでは名物みたいで……お肉の産地みたいですよ?ちょっと独特ですけど、合わないこともないですね」
「……食べるんじゃなかった」
そういうと杏実にコーンを返す
「ったく。女ってのはなんでこういうもんをすぐ買いたがるんだ……理解できん」
「美味しくなかったですか?」
「そういう問題じゃない」
「……そうですか。あ……じゃあアメはいかがですか?さっき温泉街で美味しそうなのを見つけて…」
杏実はそういうと、荷物から買ったばかりの袋を取り出し封を開け、一つを取り出して颯人に渡す
颯人は受け取らない
チラッとその包みを一瞥して怪訝そうに口を開く
「何味だ?」
「味噌です」
「いらない」
「ええ!……あ…間違えました。味噌と迷って、結局おばあちゃんの好きな黒糖にしたんでした」
「いらない」
「……そうですか」
杏実はがっかりして飴玉を袋にしまう
しばらくすると、また颯人があくびをかみ殺しながら「やっぱりコーヒーでも買ってくるんだったか…」とつぶやいた
「そんなに眠いんですか?」
「まあな……疲れてたのに途中で起こされたから…あんま寝た気が…」
「途中でって……なにかあったんですか?」
寝るまではいろいろとあったものの、杏実は一度も目覚めることなくぐっすり寝ていたのだ
その間に、颯人は何度か起きていたという事だろうか
仕事?……もしくはあの部屋でなにかあったのだろうか?
やはりなにか別の仕掛けが……
「何かって……お前覚えてねーのか?」
「え?」
颯人は一瞬横を向き、真剣なまなざしを杏実に向ける
覚えて…?
何のことだろう
杏実が首を傾げていると、颯人はその様子にうんざりしたような視線を向ける
「何があったんですか? また変な仕掛けが発動したんですか? やっぱりあの部屋は危険だったんですね……」
「危険って……はぁ…」
颯人は呆れたように短くため息をつく
杏実がその様子を不思議そうに見ていると、颯人はその顔をちらっと見た
そしてなにか思いついたのか、意地悪そうに口角を上げた
「お前。自分がなにしたか覚えてねーんだな?」
「え?」
「そもそも……なんで俺の布団の方で寝てたか、気にならねーのか?」
ハッ
その言葉で朝の状況を思い出す
そうだ。洗面所で寝ていたはずだったのに、目が覚めたら颯人の布団で寝ていたのだ
その時の颯人の体温を思い出し、再び心臓が早鐘を打ち、身体がカーと赤くなる
顔が真っ赤になっているだろうことはわかったが、そんなことは気にしていられない
なにか―――――無意識にしてしまっていたのだ
「私……何したんですか?」
「なんだと思う?」
「う……覚えてないんです。洗面所から歩いた記憶もないし、あの後朝倉さんと会話した覚えもありません……」
「ふ~ん……覚えてない…ねぇ。……あんなに激しかったのに」
「え!?」
激しかった!?
いったい何をしでかしてしまったのだ
やはり無意識に颯人になにか……迫ったり……変態みたいな…
杏実がいろいろと(といっても想像力に限界がある)考えを巡らせていると、その青ざめた顔をみて颯人は「くっくっ…」と笑い始めた
「なんで……笑うんですか!?」
杏実がさらに動揺していると、颯人はその様子を見て楽しそうに笑い声をあげた
こんな風に屈託なく笑う颯人を見るのは初めてだ
その時のことを思い出してるのだろうか?
弁解しようにも全く覚えていないのだ
なすすべもなく、そんな颯人を不安そうに見つめることしかできない
一通り笑い終えると、颯人は杏実の方をみる
穏やかな笑顔を浮かべていた
「嘘だよ」
「は?」
「洗面所に寝てたお前を運んだのは俺。自分の布団に寝るのが嫌だって言ってたから、俺がそっちに寝かしただけ」
「え?!」
「お前は寝てたよ。俺はそのあと杏実の方の布団で寝たし」
「そうだったん……ですか…」
その言葉にホッと胸をなで下ろす
しかしそうなると新たな疑問が浮かんできた
「じゃあなんで……起きたとき一緒に…」
「それはお前が…」
颯人が杏実の質問に答えようと口を開いたとき、ハッと気が付いたように颯人はバックミラーを見る
そしてたちまち口をつぐんだ
「? 朝倉さん?」
杏実が名前を呼ぶと颯人は前方を見据えながら「チッ」っと舌打ちをした
「聞い~ちゃった…」
杏実が突然の颯人の変化に戸惑っていると、後ろの席から楽しそうな声が聞こえてきた
杏実がその声に驚いて後ろを振り向くと、フミと圭がニヤニヤした笑顔を浮かべてこちらを見ていた
「フミさん、おばあちゃん……起きてたの?」
なるほど……これに気が付いたのかと思う
「……颯人のそりゃ楽しそうな笑い声が聞こえちゃ~な…」
「いつの間にか、仲良くなったのね~」
「う…ん?」
仲良く?それはどうだろう
さっきのやり取りを見ていてそう思ったという事だろうか
正直仲が良くなったとは思えない
ある程度の誤解は解けたとは思うが、颯人にとってはただの同行者というだけだと思う
「一緒に寝てたって言ったかい?」
「え?」
「颯人も興味ない振りしといて……やっぱり…」
「ふふふふふ……」
「うふふふふ……」
「くそ黙れ。ババアども…」
隣の席から不穏な空気が漂ってくる
それには気が付かず(いや。気が付いていてもきっと態度は変わらないだろう)フミと圭は楽しそうに笑い合っている
まずい…
この流れは取り返しがつかなくなりそうだ
思わず祖母達と颯人の間に入らなくては、と口を開いた
「フミさん、おばあちゃん……もうその辺で…」
「やっぱりあたしゃの判断に間違いはないんじゃ。これからも可愛い孫たちのキューピット役になってやらんといかんと確信した」
「あらあら。颯人くんは大丈夫?」
「もちろんじゃ。あの朴念仁じゃいつまでたっても相手なんか見つからん」
ピシっ
例えるなら颯人のこめかみに一つ……また一つと青筋が立っていく音が聞こえてくるようだ
隣からの怒りのオーラ―が手に取るようにわかる
「昔はそれなり遊んでたようじゃが……技術だけ磨いて何になる。本当に大切なもんも見つけられんやつは、まだまだあおちゃんじゃ」
ピシっピシっ
「フミさん!?」
ハラハラとフミに呼びかけるが気が付かずフミは話続けている
「大体颯人は昔っから……」
「黙れ。ばばあ!!! これ以上つべこべ言いやがったらここで降ろすぞ!!!」
「ほれほれこれじゃ。さてはあたしゃらを降ろして、杏実ちゃんとどっかに行くつもりじゃな?」
「……んなわけあるか!!! 杏実も降りろ!!!」
「ええ~!!!」
帰り道
この後も降ろされることは無かったものの、フミと颯人の喧嘩は続いたのだ
圭はその風景をほほえましい風景のように、にこやかに見守り、杏実はハラハラと時折割って入る(と言っても大概とばっちりを受けてへこんで終わる)
そんなすったもんだで今回の旅行が終わった
今まで全くに繋がりのなかった颯人との接点
思いがけず繋がって……でもまだその距離は遥か彼方
しかしこれから起こる―――――予期せぬ出来事で二人の距離は近くなっていく
でも……もし事前にこれから自身に起こる出来事を知っていたなら
私はどちらを選ぶだろう
彼との距離を…………選べるだろうか?




