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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 3 〉
34/100

34.キスの意味


やさしいキスだった

そっと触れるように、何度もついばんでキスされる

初めての……あの軽蔑を含んだキスとは比べられない

きっと……恋人にするような

やさしいキス


たまらなく辛くなって涙があふれてきた

今颯人は杏実を見ていない

誰か別の……

誰か別の…


颯人はやがてキスを深めようとして、そっと手を杏実の頬に触れた

同時に、颯人の手が杏実の涙で濡れた

颯人はハッとして杏実の顔を見つめる

杏実の目からは絶えず涙があふれ出しており、その瞳でじっと颯人を見つめていた


颯人の瞳の焦点がはっきりとし、杏実と視線が交差した

それと同時に、今の状況を自覚したのかバッと身体を起こした


「俺!? 今…」

顔を横に向けて、右手で口を覆う

バツが悪そうに眉間にしわを寄せ、何度か瞬きを繰り返していた

ひどく動揺しているようだった


その横顔を見つめながら杏実も何を言ったらよいのかわからない

頭が混乱していた


「悪い寝ぼけてた…」


颯人はそうつぶやく

まるでそれ以上説明することがないというように、それきり何も言わない

二人の間に沈黙が流れる


颯人が杏実を通して見ていた人は誰なんだろう


恋人?

でも……”会いたかった”ってことは元?

彼はあんなふうに切なそうに……やさしく恋人に触れるんだろうか?

その相手が杏実でないことが悔しい


同時に…

改めていままで颯人のことを何も知らなかったことに気が付いた

ずっと片思いをしていた

しかし『スクラリ』で働いていた時でさえ、恋人は誰だったのか噂で聞く程度

颯人にどんな出会いがあったのか

誰を思っているのか

そんなこと知らない


知りたい

聞きたい

でもそんな資格は杏実にはない


口を開けば、今にでも聞いてしまいそうで……何も言えなかった


何も言わない杏実を、怒っていると勘違いしてか、颯人は謝罪の言葉を口にする


「悪かった。一度ならず二度……じゃねーな…三回目か。回数の問題じゃねーけど悪かった。……嫌だったよな? ごめん」

そういって、すまなさそうにしている


「杏実?」

うつむいて何も言わない杏実の反応を見ようとしてか、颯人は杏実の名前を呼ぶ

それにつられて、杏実は颯人を見た

まだ、何と言ったらよいかわからなかったけれど


当惑する杏実の顔を、颯人が見る

颯人がその表情から何を感じ取ったのかわからない

颯人もしばらく何も言わず杏実を見つめていた

真剣なまなざしだった


やがて意を決したように颯人が口を開いた


「似てたんだ…」


”杏実と分かってキスした”

そうといわれることを期待していた訳ではなかった

でもその言葉はまるで杏実の胸にナイフを突き刺したように冷たく突き刺さった


続きは聞きたくないと、心が叫ぶ

でも口は知らずに動いていた


「………誰に、ですか?」


その言葉を受けて、一瞬颯人が言いよどむ

しかし……すぐに真剣な表情で答えを返した


「……俺の大切だった―――――犬に」


……


その言葉は一度杏実から通りぬけた


今なんて?


呆然とする杏実に気が付かず、颯人は話し続ける


「4年前に亡くなったんだ。俺にとって家族同然でいちばん大切な存在だった。まあ……とっくに死んで、いないってのはわかってるけど、寝ぼけてたから…」

「犬……にですか…?」

「まあな」

「朝倉さんは犬にキスするんですか?」

「するわけないだろ。そこはちょっと寝ぼけてて混乱していたというか……ほんとに悪かった」


犬……

犬…………

いぬ?!


ちょっと待って……

どう解釈を……

家族同然!?

大切な存在!?


喜ぶべきなのか……悲しむべきなのか…

いや。ここは怒るところなのかも知れない

しかし颯人の犬の話をする寂しそうな様子を見ると複雑な気持ちになる


しかしまだ半信半疑だった杏実は、疑問が頭に浮かび知らずにつぶやく


「ミルク?」

「?! お前、なんでその名前……ミルクは犬の名前だ」


『ん……ミルク…?』


確かにあの時、颯人はそう口にしていた


そう思い出すと、がっくり肩の力が抜ける


なんだぁ……


恋人じゃなかったんだ…

ほっとして涙があふれて、自然に笑いが込み上げてきた


よかった……


急に笑い出した杏実に、颯人はほっとしたように表情を緩める

そして頭をポンポンと叩いて「ごめんな」とつぶやいた


その時玄関から控えめなノックの音がした


「お客様? お目覚めでしょうか?」

仲居さんの声だ


「6006号室のお客様から……朝ご飯は6006に来るようにと伝言がございます。……いかがいたしましょうか?」


杏実と颯人はその言葉にハッと我に返る

そして二人の距離があまりに近いことに気が付いて急いで飛び退いた

再び心臓が早鐘を打ち始めていた


コンコンッ

再び今度は強めのノックの音が響く


「お客様? ………まだ眠られてるのかしら…」

怪訝そうにつぶやく仲居さんに、叫ぶように返事をしたのは言うまでもない




この時はそれ以上考えてなかった

颯人の言葉がすべてだと思っていた


あのキスの意味も

「会いたかった」とつぶやいた…

「君は……誰?」と言った彼の本当の意味を

やさしいまなざしが誰に向けられていたのかを


――――――深く考えていなかったんだ



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