2.香り
「なんだ……朝倉もうきたのかよ」
「……悪いか」
「え~……せっかく一人でキャンディーちゃんの甘い癒しを堪能しようと……」
バシッ!
「って!」
「……黙れ」
平田は再びたたかれたことに抗議しようと口を開きかけたが、朝倉の鋭い視線に一蹴され口をつぐんだ。
ふっ
杏実は漫才のようなやり取りに、思わず笑いが漏れる。このようなやり取りを見たのは初めてではなかったが、いつもながら仲の良い2人だと思う。
杏実のその笑い声に、二人がこちらに目を向けた。
「あ……すみません」
「かわいい~!!!」
思わず謝る杏実の声にかぶさるように、平田の叫び声が響く。
「……え?」
「キャンディーちゃんの笑顔、くるね~! 子猫? みたいで、僕一瞬で癒されちゃうよ~」
平田が叫びながら、今にも抱きつきそうな勢いで両手をつかんできた。平田の王子様のようなきれいな顔が急に度アップでせまってくる。
その距離に驚いて、反射的に頬が赤くなった。
「もっと……笑って?」
そして誰もを悩殺する王子スマイルで、さらに顔を近づけてきた。
ちょ……近いっ!!!
とんでもないプレイボーイっぷりに男の人に免疫のない杏実はなすすべもなく手足を硬直させる。
「あ……あの…はなれてください……」
必死で抵抗を試みる。しかし動揺して声が上ずってしまう。
直後――――――目の前の平田が視界から消えた。
平田の手が離れたかと思うと、あたたかい背中と力強い腕に包み込まれる。驚いて顔を上げると、無造作に整えられた漆黒の髪―――――朝倉の後姿だ。
平田さんからかばってくれた……?
スーツから伝わる温もりから微かに森の中にいる時のような安心感のある香りがする。しかしどこまでも尊大で意志の強さを思わせる男性的な香り……その空間にとらわれた杏実の身体も心も心臓の鼓動さえも翻弄していくのだ。
近くにいるだけで、彼に包まれてしまうような。
そう―――――その低く響くテノールの声も……
「おまえは……いい加減にしろ」
「なんだよ~? ほんとのことなんだからいいだろ」
朝倉の不機嫌な声色を聞いても、平田は笑顔で軽い調子を崩さない。
「ったく……そんなことだから、俺は同期というだけでお前の面倒な女に巻き込まれる羽目になる」
「そんなこと言って……全部冷たくあしらってるくせに。結局そのことで傷ついた女の子が、また僕のもとに来るんだからね」
「当たり前だ。関係ないことにいちいちかまってられるか」
「ほ~ら? じゃあいいじゃん」
「よくない。迷惑だ」
「固いな~」
「お前は軽すぎる」
「ちっちっ……わかってないなあ。かわいいものに素直にかわいい、って言ってるだけだよ」
「………見境がねーんだよ」
「え~……だってかわいいもんはかわいいし、女の子ってやわらかいし……触りたくなるのは本能でしょ。朝倉だって、アメちゃんに触りたくならない?」
え?私?
朝倉の背後でボーとしていた杏実は、突然の話振られて驚いて顔を上げた。
「やわらかそうで……甘くて……いい匂いする………だろ?」
一瞬、朝倉の背中がこわばるのを感じる。朝倉は一瞬杏実に視線を向けたが、すぐにそらしてしまった。
「彼女は関係ない」
「え~……一緒じゃん。おまえこそいつもそんなだから『黒の王子』とかいわれるんだよ」
「どうでもいい」
「ふ~ん……まあいいや!」
平田はそういうと、ちらっと意味ありげに杏実に視線を向けた。しかしすぐに興味が無くなったように、その視線をそらすといつもの席へと足を運び始める。
「アメちゃん、ホット。一つね~」
さっさと席に着いた平田は、もう話は終わりというように、こちらに向けてひらひらと手を振っている。朝倉はあきれたように一つため息をついて、こめかみに手を置いた。
マイペースな平田に振り回されているのは、杏実だけではないらしい。
「朝倉さんは……ミルクティーですか?」
杏実が温かい背中から距離を取り、後ろから様子をうかがうように訪ねると、朝倉がゆっくりと振り向いた。そして杏実と視線が合うと少し表情を和らげる。
「ああ……よろしく」
朝倉は一瞬杏実にとろけるような笑顔を見せると、平田が座る席のほうへ歩いて行った。