13.御曹司の悪意
―――……帰りたい
先ほどのゲームは、これでもかと続いている。
よくも飽きずにできるものだと……ある意味感心する。ウノだってこんなに続かないと思う(みんなでするゲーム=ウノという発想は、いまどき若い女性としてどうかと思うが…)
おなかもいっぱいになり、さすがに退屈になってきた。帰れないなら、せめて朝倉の近くにいって声だけでも聞きたいと思う。
本当は話がしてみたい……しかしその勇気はなかった。
そっけなくされるだろうとわかっているから。
「はぁ…」
(出るのは勇気でなくて……ため息だけなのよね)
情けないなと思う。
二年前には告白までしようと決意したのに、今は話しかけることすらできないなんて。
月日とはお互いの距離だけでなく、気持ちの距離も離してしまうのだろうか。
そのとき妙な気配を感じ……何気なく顔を上げた。
(あれ?)
―――みんなの視線が杏実に向いていた。
「え?」
(なに?)
気が付くと隣に御曹司が座っていた。びっくりして思わず目を見開いて御曹司を見てしまう。その反応に満足したのか、御曹司は顔に笑みを浮かべた。
「次は君だよ」
そういって杏実の前に置かれている番号を指さした。杏実はその指先を追うようにテーブルの前におかれた番号をみた。
"1番"……しかしその番号に何の意味もないことを知っている。このゲームは御曹司がルールを決めているのだ。
その時、杏実の膝にそっと御曹司の手が置かれた。突然のことにびっくりして身体を揺らす。
服越しとはいえ、御曹司の手の重みとかすかなぬくもりがたまらなく気持ち悪かった。そしてこの距離の近さも、鼻につく濃厚な香水香りと服に染みついた煙草の臭いも何もかも嫌悪感を生んだ。
そしてなによりその視線が………
御曹司は、杏実の様子を面白そうに見ていた。
まるで醜悪なオオカミが弱いウサギを………面白いおもちゃを見つけたかのように見えた。
「あ……あの……?」
御曹司は笑みを浮かべたまま、やがてはねっとりと値踏みをするかのように杏実の全身を見つめてきた。途端その視線に、足先から全身に悪寒が這い上がってくる。
”危険”
本能的な何かが、頭の中でそう叫んでいた。
(なんか……やだ…)
怖くなって後ずさろうとする。そんな杏実の腰を、逃がさないというように御曹司の腕が回り込み、杏実の動きが封じられた。
とっさに山川に視線で助けを求めたが、山川も酔いが回っているようで面白がっているようだった。
「君……今日ほとんど話してないね? なんか……見た目とは違って純情そう……」
御曹司はそういいながら、杏実の膝に手を置いてゆっくりと太ももを撫でる。
「や……やめてください…!」
「はは……そういうの新鮮だなぁ。―――ねえ君? キスしたことある?」
「は?」
とんでもない質問に顔が赤くなる。杏実はその手のことは未経験だったからだ。
しかしそんな初心な反応に、ますます御曹司の笑顔が面白そうにゆがんだ。
「わ~……ないんだ?」
「………」
「じゃあ……キスにしよう! こうゆう子がどんな風にキスするか見てみたいし……案外激しかったりして…くっくっ」
(この人ほんと最低………)
窮地に陥ってるがその焦りよりも、御曹司の歪んだ根性に怒りが湧いてくる。思わず湧いた嫌悪感に御曹司を睨みつけた。完全に接待という立場は飛んでいた。
しかし御曹司はそんな杏実の様子にひるむことなく、醜悪な笑みを深めたままで面白そうに話し始めた。
「じゃあ……相手は誰にしようかな? 初めての相手だし、やっぱり少しは選んであげないとね~」
そう言って楽しそうに周囲を見渡す。そうしながらも杏実の手首を強い力で掴んでいた。痛い―――それ以上に逃げられない…
「まあ……僕でもいいけど王様だから―――そうだ! 彼にしようかな」
そういって朝倉を指さした。
朝倉はこちらを向いていた。その指名を受けてか、一瞬驚いたように目を大きく開き……しかしすぐに状況を認識したのか、眉間にしわを寄せ不機嫌そうな表情になった。御曹司の前でやわらかい表情を崩さなかった朝倉だったのだが、今回はさすがに嫌悪感を隠しきれないようだった。
「お断りします」
そうきっぱりいい。杏実にも鋭い視線を向けた。
拒否されるのはわかっていた。しかし向けられる視線の冷たさにショックを受ける。
「へ~……それは残念だな…」
御曹司は楽しそうに笑い声をあげた。断られた杏実を馬鹿にするような笑い方だった。最初から朝倉が断るとわかっていて指名したのだ、杏実をみんなの前でみじめにさせるために。
その行動が杏実にとってはどれだけ衝撃があるものか……知る由もなく。
しかし御曹司の思惑は成功したことになる。そして御曹司はあらかじめそのシナリオだったかのように立ち上がり……
「かわいそうだし……僕が相手したげる」
そういうと、涙目にうつむいていた杏実の腕を無理やり上に引き上げた。強い力になすすべなく立ち上がった杏実の手首をとり、無理やりみんなから見えやすいスペースのある場所に引っ張り出される。
そして………あっという間に御曹司の手が杏実の顎に添えられ、御曹司の顔が近づいてきた。
「い……いや!!」
思わず顔を逸らすと、拒否したことでいらだったのか「っち」と舌打ちをして杏実を一喝すると、再びきつく顎を固定され御曹司が近づいてきた。
必死で逃れようとするが固定され動けなかった。
助けを求めても、周りのみんなは面白そうに囃し立てるばかりだった。
(なんで……)
こんなことなら無理やりでも来るのやめておけばよかった!!
(嫌……嫌!!!)
思わず体を固くして恐怖から目を逸らすように瞼をギュッと閉じる。
その時、ぐいっと体が後ろに引っ張られる力を感じた。強い力で肩から反転させられ―――――同時に………唇に温かいものが触れた。