第六十三話 信ずる心、疑う心
結局のところ、薪は何も語ってくれなかった。あえて言うなら『自信がない』ということだけ。儒楠がごまかして終わりにするのかといったがそれすらもひらりとかわして薪はさっさと寝る支度に移ってしまった。仕方なく、穂琥も儒楠も睡眠をとることにした。
翌日。大声を上げている者がいる。儒楠と穂琥と偲葵だ。
「ったく、あのヤロー、どこ行きやがった!?」
「ん・・・儒楠君があれほど言ったから外には行っていないとは思うけど・・・」
梨杏であれば出入り口を見張っているものとのつながりがあるため、外に出たかどうかを確認できると偲葵からの情報で梨杏の部屋に行くこととなった。そういうことで梨杏の部屋をノックして穂琥が中に入る。その後を儒楠が続こうとしたが、穂琥が立ち止まってしまったため、中に入ることが出来ない。早く中に入るように促そうとして、部屋の中が見えて儒楠も固まった。
会話から察せられると思いますが、朝眼が覚めた時点でかの偉大なる愨夸様がいらっしゃいません。それなりに早い時間に眼を覚ましたはずだというのに愨夸様が寝ておられた場所から温もりはなく既に冷え切っていた。儒楠の嫌な予感もあって外には出るなといってあったのにまさか出てしまったのだろうか。そう思って必死で探していたというのに。
それが何だよ。梨杏の部屋に入るとそこにいるし。必死で探していたこっちの身にもなってくれ。
「け、結構探したんですけど・・・・」
「悪い。もう終わったからいいよ」
立ち上がった薪は梨杏に向き直って笑みを送る。
「じゃぁ、さっきの話、宜しくな。いい返事を待ってる」
薪はそれだけ言うと部屋をさっさと出て行く。それに従って儒楠たちも部屋を出る。
薪はそっと思考する。アホと子ども、ましてや人間であるならごまかしは簡単に出来る。が、ここには儒楠がいる。これを誤魔化しきるには相当骨が折れる。そういう思いもあって儒楠を見ているとそれに気づいた儒楠が少し不機嫌そうになんだよと返す。なんでもないとそっぽを向いた薪だが足元から声が飛ぶ。
「薪、梨杏様と何を話していたの?」
純粋、無垢なその質問に果たしてどうしたものかと悩む薪。ひとまず簡単に言うことができないんだと偲葵に伝える。偲葵はふ~んと納得しないなりに引き下がってくれた。このくらい聞き分けの良い奴らが揃っていればいいのだけれど。そんな事を考えていた薪の耳に儒楠のくすっと噴出すような笑いが聞こえて疑問の表情を向ける。
「いや、薪が女性と内緒話とは・・・ってね」
「あのな・・・・」
「ごめん、わかっているって。ただなんか、可笑しくて・・・」
含み笑いをする儒楠を不思議そうに見詰める偲葵。
「さて」
何かを区切るように言う薪の言葉。この後には必ず『実行』が待っている。薪の眼も確実にその方向だ。儒楠はすっと身構える。
「そろそろ叩きに行きたいな」
やはりか、と儒楠は思う。ここに来る原因となった駕南火に会うために。そしてここの人々を苦しめる羽目となった根源を叩き割るために。ついに行動を開始するという。しかし、それにしては情報が少なすぎる。しかし薪は不敵の笑みを浮かべた。少しは情報を入手したという。
「行ってもいいかな?それともまだここにいろと?」
薪の挑発するような言葉に儒楠はため息をつく。こうなったらもう既に準備は整っている。これ以上はここにいるだけ無駄だということを指す。儒楠は肩の力をふっと抜いて胸の前に手を当てて薪へそっと頭を下げる。
「貴方様の仰せのままに」
「はん。わざとらしいことしやがって。腹立つな」
「お互い様さ」
互いに不敵な笑みを浮かべて笑い合う。それに全くついていけない穂琥と偲葵だった。
出発することを伝えるべく、梨杏のところに行って来て欲しいと薪が儒楠に言うと儒楠はその答えをひどく渋った。
「なんだよ、駄目か?」
「んーー・・・・」
「・・・・・。わかった。オレが行ってくる」
儒楠の中を察して薪は呆れたように手を振って梨杏の部屋に向かっていった。
「儒楠君?」
「ん・・・。オレ、あいつニガテだわ・・・・」
本当に苦そうな表情で儒楠がそう言ったので本当に苦手なんだなと悟る穂琥だった。一度はなしが区切れたところで申し訳無さそうに偲葵が尋ねてきた。
「一緒に行っちゃ・・・・駄目だよね・・・」
偲葵自身もわかっている。駄目なことくらい。それがひしひしと伝わってくる。伝わってくるからこそ、穂琥はどこか胸が苦しくなった。
「これから危ないことがあるかもしれない。そんな時、偲葵を絶対に護ることができるかわからないんだよ。そんな危ないところへは連れて行けないよ」
「・・・でも、薪なら・・・強いんでしょう?」
「いいや。アイツも、結局はオレ達と何も変わらない。万能じゃないんだよ。この世で生きとし生けるもの、万能なものなんて有りはしないんだよ」
儒楠の諭すようなその言葉が穂琥の胸を寄り深く痛めた。
「あいつは誰よりも大切なモノを失ってきた。それで偲葵まで失う羽目になったら薪は壊れてしまうよ?」
子どもにそんな酷な事を悟らせるのはよくないかもしれない。それでもどこか薪も受け入れているこの偲葵であるのならば、理解をしてくれるはず。そう信じている。
「うん。待っている」
その『信じ』を裏切らずに偲葵は小さくそう答えた。