第六話 属する世界の違い
帰宅途中の出来事。薪がはたと足を止めた。そしてあらぬ方を見て怪訝な表情を浮かべている。それから穂琥の腕を掴んで着いて来いと走り出す。何が何だかわからないけれど諦めて着いていくことを選ぶ穂琥だった。
とある家の前で薪の足は一度止まった。そしてその家を凝視している。その様子を見ていることしか出来ない穂琥は怪訝な表情を浮かべる。そして薪はその家のインターフォンを押す。しかし、返答は無い。留守なのかと思った穂琥だったが、薪は何も気にしないかのように勝手に家の敷居をまたぎ、玄関の戸を開けてずかずかとその中に入っていったので驚いたなんてものではなかった。
中には頬を濡らした女性がいた。その膝元には白い顔をした男性が横たわっている。見るからに既にその顔に生気は無い。息を引き取った後だろう。
そんな女性にも気にしないように薪はきょろきょろと辺りを見回している。勝手に入ってきた男女にその女性は酷く驚いている様子だった。穂琥はそんな女性に平謝りして何とか薪から意図を聞きだそうとする。
「旦那、か。いつ逝ったんだ?」
薪の言葉に流石の穂琥も怒りが沸いた。大切な人を失った人間にそんな言葉をかけるなんて酷すぎる。しかし、よく見ると薪の目は女性を見ていない。むしろまったく別のところを見ている。それから怪訝な表情になる薪。
「居るんだろう?そこに。出てきても良いだろう。この男に何かあるのか?」
薪が突然喋りだす。穂琥もその女性もチンプンカンプンで硬直する。一体薪は何を言い始めたのだろう。穂琥でもわからないのだ、この女性にそれがわかるわけも無い。穂琥は半ば、薪の頭が壊れてしまったのではないかという不安に駆られた。
「出ないか・・・。この女性の記憶はオレが持つ。いいだろう?」
「ふん」
薪の言葉に呼応するように響いたその声に、女性は酷く驚いて反応する。誰も居ないはずなのに、声が何処からとも無くしたのだから。その声を聞いた穂琥のほうは久しぶりに腹の底からぞっとしたものを感じた。怒りというか、なんというか。前回会った時と同じ様な感覚。儒楠が『嫉妬』と呼んだ感情だ。つまり。今声を発したのはあの『ヒト』だ。
「よう。久しぶり、でもねぇか」
笑いながら薪は言った。
真っ黒いローブのような服。フードを深くかぶり容姿がはっきりと輪郭取ることが難しいそれは横たわる男性の脇に現れた。
「貴様の助力をする為に居るのでは無いぞ」
男か女か、わかりづらいその声音と口調だが列記とした女性。死神、綺邑。
「わかっているよ。さて、あなた、名前はなんていうの?ちなみにオレは薪。これは穂琥。ちょっと用事があってここまで来させてもらった」
薪の唐突の質問に、むしろ此方のほうが聞きたいことがたくさんあると言いたげにその女性は言いよどんだ。
「幸奈、です。このヒトは翔蒔です」
幸奈と名乗った女性は震えた声でそういう。目の前の少年たちは一体ここに何をしに来たのだろうか、わかるわけも無く、また教えてくれる様子もなく。
薪は幸奈の名を聞いた後に綺邑に向き直る。
「で?綺邑よ。何故お前がここに?」
「これは私が扱う」
ぶっきら棒に冷たく言い放った綺邑だが薪は折れることなくそんな綺邑に尋ねる。だから、何故?と。綺邑は面倒くさそうな表情をしたが諦めたように語る。
「罪。しかし別に悪くは無かろう。救ってやろうとは思う」
綺邑の言葉に幸奈は震えた。言っていることはきっと理解し切れていないだろうけれど、何故、この翔蒔が死んでしまったのか経緯を考えると、最初に言った『罪』という言葉に引っかかりを覚えたのだろう。幸奈は綺邑の言葉に聞き入るようにして耳を傾けた。
「が」
綺邑は言葉に否定的な接続詞をつける。薪もその接続詞を気にして首を傾げる。綺邑が助けると判断したのであれば、難なく救うことが出来るはず。否定する要素など無いはずだが。
「この男自体に生きる意志が無い」
薪はその言葉に差し当たって疑問に思うことは無かったらしく黙する。しかし、穂琥と幸奈はその言葉に驚く。幸奈にいたっては薪や穂琥が何で、綺邑が何かを知らないから、余計に混乱しているのだろう。
「オレらは『眞匏祗』という種族だ。そしてその黒いのが『死神』といったところだろうかね」
幸奈はひたすら口をパクパクさせていた。現状を理解することが出来ていない。
「死神自体はなんとなく耳に覚えはあるだろう。ま、その覚えのもののイメージとは随分と異なったものだけどね。ともかくだ。オレも詳しいことまではよくわからないし、知るつもりもない。けど、この死神はあんたの旦那を生き返しても構わないと言っているんだよ」
薪の羅列する言葉に幸奈はさらに混乱する。しかし、生き返らせることが出来るということを知って幸奈ははっとした表情を見せた。
綺邑が誘うのは死者の魂。事と場合によってはその魂をもとある場所へ返すことが出来る。現に、薪もそれで命を救われているのだから。しかし、今戻そうとしている男、翔蒔の魂は元の器に戻ることを拒否した。過ちを犯したことによる罪悪感で元に戻るのもおこがましいと。
「オレも過去に過ちを犯した。そして死ぬはずだったところをこの死神に救われた。気持ちはわかる。でも、死ぬことが罪をかぶることではない。罪を償うことではない」
薪の声に諭されるように幸奈は瞳を揺らした。
「生きて、やらねばならぬこともある」
「あなたは・・・・一体、何?」
「此処には有らぬ存在、というかね」
薪はそっと言い募る。今までの薪とはどこか雰囲気が違う気がする。その言葉回しがどこかかっこよく思う穂琥だった。
「あなた達は・・・一体・・・。私にとって何ですか?幸ですか?不幸ですか?」
震える幸奈の声。それが求めるものは光か闇か。幸奈に期待に沿う事を言うつもりは無い。いや、いうことはできない。だから薪はありのままを伝える。
「オレ達がそれを決めることは出来ない。あんたが決めればいい。ただ、オレはあんたに幸福をもたらしたいとは思っているということは伝えておく」
信じる信じないは別の話。薪たちは幸奈に味方するつもりでいる。しかしその『想い』が幸奈にとって幸福になるかは分からない。感じ方など様々だから。
薪の言葉に幸奈はふっと肩の力を抜いた。そして潤んだ瞳で小さく呼応する。
「貴方たちを信じます」