第五十七話 異なる角度の視線
薪と儒楠が眼の前を走っていく。それの速さに穂琥は嫌気がさしてきた。
「ちょっと!早すぎ!待ってよ!」
苦情の言葉を漏らすと振り向いた薪からの怒号がとんだ。
「ふざけるな!夜が明けたらまたあの猛暑だぞ!お前、次倒れたらそのまま干物になれ!」
「ひどい!」
ある程度まで走っていって急に薪が速度を落としたので穂琥は軽く薪にぶつかりそうになった。
「なぁ、儒楠。今どのくらいの速度だ?」
「え?オレの?まぁまぁかな?」
「なら、もっと上がるな?」
「ん?まぁ、上がるけど」
「よし」
薪は儒楠の何かを詮索し終えると穂琥の横に並んだ。そのまま穂琥の足元を掬い上げるようにして抱きかかえる。
「ふほっわ!?」
「黙れ。お前遅いからオレがこのまま連れて行く」
「ええぇぇぇ!!??」
「文句言うならもっとスピードを上げろ」
そういいながら薪と儒楠は一気にその速度を上げた。穂琥はそれを見て苦情を言うのを止めた。先ほどの速度の倍以上の速さになったことを知ったから。どれだけこの二人が自分に合わせて走ってくれていたのかを知ったから。
随分と猛スピードで走り抜けている。この速さは一体なんだっていうんだ。さすが眞匏祗、としかいえない速さ。眞稀を使えないにしろ、基礎体力は人間とは比較できぬもの。一体これは時速何キロだ。
突然の急ブレーキの後、穂琥の尻は痛い音を立てて地面と激突した。
「いったぁい!下ろすなら普通に下ろしてよ!!」
「うるせぇ、ぼさっといているのが悪いんだろう」
薪の背中から叩き落された穂琥は不貞腐れながら立ち上がる。到着した目的の地。そこには小さな村があった。しかしおかしい。人が全くいない。もぬけの殻だ。
「何だ?何かあったのか・・・?」
「わからない・・・。オレが以前来たときは随分と賑わっていたはずだけど・・・」
薪と儒楠の不安そうな声が空っぽになったむらに木霊した。しかもこの村はただ空になっているだけではなくあちこちが荒らされている。まるで崩落した村。
そんな村で詮索を始めた折、地面を踏みしめる音に気がついてそちらに目を向ける。
「誰かいるのか?」
村がこんな状態になったのは今から数日前。突如現れた訳のわからない輩に襲われこの村は崩壊した。村人のほとんどはその輩に連れて行かれた。逃げることの出来たものだけ隠れ場に非難している。でも。それでも村に用事があった。村に行かなければならない用事があったから。探し物をしたくて怖いのを抑えてここまで来た。そうしたらまた訳のわからない輩が三人やってきた。またみんな連れて行かれてしまう。恐怖がぐっとこみ上げる。
逃げなくては。逃げなくては。怖い。怖い。ゆっくりと下がる。建物の中に居たけど既に荒廃している建物の中では砂利もたくさんあって下がった際にその砂利が音を立てた。その音を耳にして二人が鋭く此方を向いた。そして一番手前にいる奴が声を発した。しかし恐怖のあまりなんと言ったかまで聞き取ることが出来なかった。そしてその声を発した奴はこちらに歩み寄ってくる。
―もう駄目だ・・・。このまま連れて行かれてしまうんだ・・・
小さくなって隠れている棚の後ろ。震えて涙が零れそうになる。直ぐ後ろで足音が聞こえた。そして隠れていた棚ががたっと動かされて見つかってしまった。
「ひっ!」
「そんな声を上げなくてもいいのに」
至って怖いという印象は受けないその声に恐る恐る顔を上げた。
「何故隠れたんだ?」
その問いに腹が立った。何もかもお前たちのせいだというのに。この村が、みんなが壊れてしまったのはお前たちのせいだというのに。
「ふざけるな!全部お前たちのせいだ!どうせおれも連れて行くんだろ!?勝手にしろよ!どうせ殺すんだろ!この人殺し!恨んでやる!憎んでやる!死んでも絶対に!!」
勝手に口が動く。恐怖で震えているけれど。それでも最後まで罵声を浴びせる。そしてそっと懐に手を当てる。ここに入っている『お守り』を使う必要があるかもしれない。
「ん~・・・。何か勘違いをしているなぁ・・・。オレは別にどうこうするつもりはないんだけどな。一体ここで何があったのかを知りたいだけなんだけど?」
「お前らがこんなことにしたんだろ!?お前らが一番よくわかっているだろ!」
近づいてきた男に対して懐に忍ばせていた『お守り』を突き立てる。鋭く光る短刀。それが見事に男に腹部に刺さった。初めて感じた人の肉を刺した感覚。気味が悪いけれどそれでも必死だったから何振りかまって入られない。
「何しているの!?」
女の声が耳に響いた。その向こうにも誰かがいる。目の前の男は無言。懐に入り込んでいる自分を男はぐっと抱きしめた。その感覚に恐怖と呼べるものが吹っ飛んだ気がした。そしてそのまましゃがみこんで男に包み込まれるような形になってしまった。
「怖かったんだな。何があったかはわからないけれど、でも大丈夫。オレらは何も悪いことはしないから。安心して・・・」
自分の腹部が刺されているにもかかわらずなんともいえぬ穏やかな声。そういえば刺された瞬間にうめき声のひとつも上げていなかった。
「大丈夫。オレが護ってあげるから」
その声がどうしてだろうか、心底安心できた。いや、しかしそれは駄目だ。安心してはいけない。顔を上げて男を睨みつけてやろうと思った。しかしあげたその先にあったのはなんともいえない優しい笑み。月明かりに照らされたその表情から悪意の欠片も感じない。
思わず後ずさる。男は一度短刀に手を添えてぐっと引き抜いた。そしてその短刀を脇においてこちらに向き直る。後ろでは口に手を当てて顔を青くしている女性が見える。その奥にもう一つ影があるけれどそれは暗がりで顔がわからない。
「大丈夫か?キミに怪我とかはないかな?」
自分の腹から血が出ている奴の言葉じゃない。後ろで女性が悲痛な声を上げているが目の前の男がそれを制している。
「オレなんてなんとでもなるけど、この子はそうもいかないだろう」
「それは・・・」
抵抗しようとした女性に対して奥の男がそれを止めた、と思う。何せ目の前の男と声に差異を感じなかったからよくわからなかった。
「で、でも!もういいでしょう!?その人、もう言うつもりもないじゃない!ほうっておこうよ・・・!それよりもアンタのその傷を・・・」
「おいおい。この子、小さい子どもだぞ?暗いから見えていないだろう、お前」
「え・・・・?子ども・・?」
抜けたような女性の声に一瞬面食らった。
「オレは普通に見えるけどなぁ」
「え?!」
「まぁ・・・オレもうっすらと・・」
おそらく三人の会話。どうにも男二人は同じ人間が喋っているようにしか思えない。しかし、それにしてもこの三人の緊張感のなさは一体なんだ。
「あんたたち・・・何?」
「あぁ、自己紹介がまだだったね。オレの名前は薪。キミは?」
素直に自己紹介されてさらに混乱する。しかし何故かこの薪と名乗った男に素直に名前を教える気になる。
「偲葵・・・」
「偲葵ね。わかった。キミは一人かい?他にもいるよね?」
そう尋ねられてどきりとする。果たして仲間の居場所を言っていいものか。悩んでいる偲葵の思考を知ってか知らずか。薪はすっと立ち上がり胸に手を当てて礼儀正しく頭を下げた。完全なる敬意の姿勢。
「御困りの様なので我らで出来うることがあるのならば何なりとお申し付けください」
わざとらしくも聞こえたその言葉だが表情が穏やかに微笑んでいる。
「孜々緒という場所はここだよね?オレらは実は駕南火という者に会いに来たのだけど知り合いかな?」
その名前を聞いて偲葵は眼を丸くした。