第四十六話 怒りは静まる
突然の出来事。息が詰まるほどの苛烈な『気配』が降り立った。鈍感と薪に罵倒されている穂琥ですら息が出来なくなるかと思うほどの強大なモノ。苛烈で強大。しかしそれは決して負のオーラをまとってはいない。ただ純粋に大きすぎる『気配』なのだ。
「何故・・・!?」
今から数分前、薪がやっと起きてきた。その時間にはとっくに暗くなっていた。
「昼寝じゃなくて一層のこと朝まで寝てなさいよ!」
寝ぼけている薪に一喝している穂琥。起きてくるのが遅かったことにどうやら憤慨している様子の穂琥。薪は今かなり不安定な状態にある。もし、今眠って再び眼を覚まさなくなってしまったらどうしようというのが穂琥の本音。だからこんなに長いこと眠っていられるとどうしても不安になってしまう。
そうしてボケッとしている薪にぎゃぁぎゃぁ喚いているとそこに降り立った苛烈な『気配』があった。胸の奥が詰まるような呼吸が苦しく息を数個とも吐くことも一瞬忘れさえ、下手したら心臓を動かすことさえも忘れてしまいそうだった。この苛烈な気配を『神気』と呼ぶのだろう。その神気の根源はいうまでもなかった。
「れ、簾乃神様・・・!?」
ふわっと軽やかに降り立った簾堵乃槽耀の神。薪が酷く緊張した様子で何様で参ったのか尋ねていた。
「何。心配事と礼を兼ねて」
簾乃神はその美声を部屋に木霊させた。神気というものをこんな小さな地球で感じることになるとは正直薪も予想だにしていなかったことなので緊張なんてものではないくらい固まっていた。無論、穂琥も。
「その小娘。無事で何より」
「・・・え?」
「戦闘前に随分とそこの小僧がぬしのことを気に留めていたからなぁ」
「簾乃神様。如何に神といえど言っていい事と悪いことがあるのでは・・・?」
薪の警戒しながらも多少の怒りの滲むその声に簾乃神は高らかに笑って見せた。
「はっはっは。何をそんなに怒る。正直に言ったまでさ」
簾乃神のその言葉に薪はぐっと押し黙る。それ以上の追求はやってはならない。相手が神である以上、余計な事を言って機嫌を損ねてはいけない。とはいえ、この簾乃神がその程度のことで怒るかといったらきっとそうではないだろうが、そこは『神』という存在に対する礼儀というものだ。
「さて、小娘よ。ぬしにはまだ正式に礼を述べていなかったな」
簾乃神が穂琥にむく。その美しい瞳が穂琥を捉える。それに捕まって穂琥はより一層呼吸を忘れた。その苛烈な神気と美しさに何もかもを呑み込まれて。
「感謝している」
神の言葉。それは一つ一つに力を有している。神の発した言葉で簡単に人や眞匏祗は翻弄される。そんな力を有している神の言葉でこれを言わせるということがどれほど凄く、どれほど畏れることか、きっと穂琥にはわからない。それでもそのすごさだけはなんとなく伝わる。
「それで、神よ。用件はそれだけでしょうか?」
薪の言葉に神妙な表情をして向き直った。
「報告だ。京鏡の奴が他の神々の許しを得たとね」
「ほう。神々とはそんなに安易に許しを得られるものでしたか?」
「ふふ。随分とでかい口を叩けるようになったものだな。まぁ良いが」
簾乃神は愉しそうに笑った。
「時期、とだけ言っておこう」
意味ありげに笑うその姿もどこか妖麗で美しい。その雰囲気に呑まれてしまう人間も眞匏祗もきっと数多くいることだろう。呑まれたものたちがその後どうなったかなど御伽噺でも読めばわかることかもしれない。
それはさておき、簾乃神の報告はこれまで。そろそろこの場から消えようというとき、ふっと簾乃神が思い出したように薪に呼びかけた。
「少し、引っ掛かるなぁ。ぬしよ、運命を導く者として忠告しておいてやる。以前見たであろう?夢、を」
簾乃神がそう言った直後、薪の眼が大きく見開かれた。
「引っ掛かるのだよ、それが。気をつけろ」
「え、ちょっと待っ・・・って、話を!」
薪の言葉など聞かぬように簾乃神はそこから神気一つ残さず消え去ってしまった。後に残ったのは苛烈な気配に押しつぶされていた自身に残る怠さだけだった。
以前、修行の疲労でソファにて眠ってしまったことがあった。穂琥が治療をしてくれようとして眼が覚めたあの時だが。あの時薪が妙に飛び起きたは妙な『夢』を見たせいだ。その夢のことを今、簾乃神は引っ掛かる、気をつけろと言い残した。
またか、と薪は肩を落とす。決戦前に言われた穂琥の身を按ずる不安な言葉。そして今回も、似たようなものだ。まだこの不安から離れてはもらえないのだろうか。