第三十話 護り護られ交差する想い
何度も繰り返す地鳴りと崩落音。階段は崩れ落ち、薪を抱えて上に行くだけの力が穂琥には残っていなかった。先ほどの開眼が桃眼であるはずがない。そして穂琥の提唱した言葉は三つ。残り五つ。つまり全部で八つ。この八つの提唱を一つ一つ言っていくごとに眞稀が倍増していく。しかしそれは同時に使用者にも負担をかけることとなる。
出口を探して走っている穂琥の耳にものすごい爆発音が聞こえた。地震が起きたような足元のぐらつき。そして嫌な予感がする前に穂琥の足元は壊れて崩れ落ちた。極度の疲労のせいで落ちている間に意識が薄らいだ。
地面との接触感を得る。あまりの疲労のせいか、痛みを感じなかった。
―あぁ、もうさすがにだめだな。このまま瓦礫に埋もれてしまうんだ・・・
うっすらとあいていた眼を完全に閉じて。身体の力を抜いた。瓦礫が落ちてきて全身にその痛みが走るのを待つ。
いつまで経ってもその痛みがこない。それどころかどこか暖かい眞稀を感じる。慣れ親しんだ落ち着きのある眞稀を。穂琥はそっと眼を開ける。
「薪・・・?」
「よう」
胡坐をかいて座り地面に手をついている薪の姿が眼に入った。辺りを見回せば薪の作った結界でドームが出来ており瓦礫が落ちてくることはなかった。
「薪!良いよ!もう・・・!私が遣るから・・・!」
「何言ってんの。お前じゃ無理だって。繊細な技だし。特に今の穂琥の眞稀じゃ出来ないよ」
薪の優しげな声が穂琥に耳に届く。先ほどとは違ってはっきりと聞こえる声。
「ありがとう」
薪の声。はっとして薪を見ると薪は地面から手を離して眞稀を解除する。すると瓦礫は再び開いた空間に捻じ込もうと振ってくる。そしてそれらを粉砕して何とか形成を保ったところで薪は一息ついた。
「さて。何があったかわからないんだ・・・。お前、わかるか?」
「えと・・・」
穂琥は出来うる限り正確に物事を伝えようと思った。それがひどく難しいことだと知って。李湖南が憎い。だからどうしても平等な言葉を言うことが出来ない。でも薪はそれすらも汲み取って話を聞いてくれていた。
とにかく言えることは言った。ただ、無意識だったので李湖南に放った時に言った言葉までは思い出せなかった。薪はそれを眼を伏せて聞いていた。
「当てようか」
「え?」
「大歳、太白、太陰。そうだろう?」
「え・・・あ・・・うん!そうだ!」
「まぁ、オレも少しだけ覚醒していたからなんとなく聞こえた気がしたし、お前の『眼』から感じる気配がそれだからきっと間違いない」
「え?」
薪はこんな状況だというのにどこか嬉しそうに微笑んだ。それに穂琥は首をかしげると薪は過去に黒眼に匹敵する力を紫火が有していたと話したことを語った。それが今回穂琥の使った力。
「名前を白眼という」
薪はそっと微笑んで自分の目を押さえてどこか切なくどこか嬉しそうに言う。
「母上の血だ。穂琥はそれを強く受け継いだ・・・。よかった、母上の力を継いでくれて。父上ではなく」
薪の最後の言葉は皮肉に満ちている。それは逆に薪自身をあらわす。穂琥の正反対、つまり父の血を濃く引いているのが薪であるから。穂琥はそんな薪の心を感じ取って小さく頷いた。
白眼の力。八つの提唱を経て相手へダメージを与える強き力。最初の三つは先ほどの三つとして残りの五つ。歳刑、歳破、歳殺、黄幡、豹尾。もっとも、これらを紫火が使ったことなどほとんどなく、歳破までを提唱されたものなど存在しない。それほどまでに絶大なる力なのだ。
「オレが思うにこの数ある眼の中で最強の力だと思うよ」
薪が本当に嬉しそうに語るその姿を見て穂琥はどこか胸を撫で下ろすことが出来たような気がした。
「さて。ここを出ないとな」
「どうやって出よう?こんな瓦礫まみれじゃ・・・」
「あと少しでオレも回復できるからそれまで待ってて。そうしたら上に移動術で上るから」
眼を閉じて回復にいそしむ薪の姿を見てやっと考える時間を得る。いや、本来ならこんな考える時間などほしくはないのだが。
果たして自分は役に立てたのだろうか?邪魔しかしていないのではないだろうか?薪をここまで追い込んだのは他でもない自分だ。眞稀が互いに切れてしまっている今、治療するわけにも行かずましてや寝るわけでもなく薪はただ目の前に座って眼を伏せてじっとしているだけ。そんな薪の身体には生々しい傷で覆われている。血は固まっているようだが薪の気持ち的には・・・。
「何変な顔してんだよ」
突然声を掛けられて顔を上げる。薪が眼を開けて一直線に穂琥を見ていた。そんな真っ直ぐな眼を薪に向けられて穂琥は眼を反らして逃げる。
「気にすることはねぇよ」
まるで穂琥の心を見透かしたように薪が言う。今度は穂琥が薪を見て薪が眼をずらした。
「穂琥は十分遣ってくれたよ。そんなくらい顔する必要はないよ」
「でも・・・薪の身体・・・」
「まだ頭はくらくらするけどもう少ししたら替装してなんとかするよ」
穂琥は薪の腹に眼をやる。血で染みて真っ赤になっている。
「そら、痛かったけどな。李湖南の奴、思いっきり刺してくるからさ」
「そうじゃなくて・・・」
「は?オレは李湖南にしか刺されてねぇもん」
「え?!」
「オレの体内には李湖南の眞稀しか残ってねぇし。ということは李湖南にしか刺されていないって事だろう」
眞匏祗が眞稀を込めて相手を刺した場合その刀に乗せられて相手の体内に勝手に眞稀が流れ込む。それは本当に微弱なもので少しの時間が経てば消えてしまうもの。
「だからオレは李湖南にしか刺されていない。お前がそこまで気にする必要はないということ。わかるか?」
「う、うん・・・」
未だに落ち込み気味の穂琥を見て薪はため息を吐く。仕方ない。こうなったら昔の傷口を開くしかない。
「おい」
落ち込む穂琥にこちらに意識を集中させる。そして愨夸紋があるところを穂琥に見せる。愨夸紋ということは無論、毅邏の呪印もそこにある。
「はて?オレは三歳のときに誰を殺した?」
「違う!あれは薪じゃなくて・・・」
「それ、今のお前に否定できる権利ねぇぞ」
「う・・・」
確かにそうだ。きっと状況は少し違うけどきっと意味合いは同じなのだろう。
「な?気にするな」
「・・・・うん。わかった。ありがとう」
穂琥の顔に少しだけ浮いた笑み。少しは落ち着けたようでよかったと肩を落とす薪。
「私ね・・・思ったの」
「ん?」
薪を護りたい。それは今でも変わることはないし、これからも変わることはないと持っている。でもさっきまでの穂琥の心はひどく醜く歪んでいた。護ってほしい。護られたい。ずっと薪の後ろにいたい。散々護ると言っていたくせにいざとなったらそんな臆病で。心のどこか奥できっと薪が助けてくれるとか思っている自分がいる。いざとなったら護って言うずるい言葉が。護ってもらえるっていう甘えた考えだけが浮かんでくる。
「サイテーだよね」
自嘲する笑いを浮かべる穂琥。薪は動きにくいであろう身体を無理に動かして穂琥の前に来ると穂琥の頭にて置いた。
「ずるくない。甘えてなどいないよ」
優しい薪の言葉。こういう言葉を期待してしまう自分がすでに醜い。
「オレだってそう思うことはあるさ。そういう感情は当たり前なんだよ」
「薪も・・・?」
予想外の言葉に穂琥は震えた。
「おうよ。穂琥が白眼開眼したのはすごい嬉しい。オレだってさっき、黒眼で暴走して穂琥に護ってもらったんだぜ?」
感情なんて生きていればさまざま存在する。憎んだっていい。殺してやりたいって思ったっていい。ただ、それを自分の中で認めて肯定して遣ればいい。そうして自分の中にもそういう感情はちゃんと存在するんだということを認識した上でちゃんと前を向いて歩いていけばいい。そうすることで傷ついた誰かを庇い護ることが出来る。護ってもらう安堵感を知っているから護ることが出来る。それを知らないものに本当に護ることなどは出来ないのだ。
「ただ、一つだけ。今回の件で気に入らないことがある」
薪にしては妙な言い回しだと思って涙眼を薪に向ける。そこにあるのはどこまでも深くどこまでも優しい空色の瞳。
「オレの変わりに鬼になる。そんなこと、思っちゃぁ、いかんよ」
「あ・・・」
「気持ちはわかるんだ。でもやっぱりだめだよ。お前はお前。穂琥という存在なんだ。だからそれを壊すようなことはしないでくれよ」
「・・・・うん」
「穂琥はオレを支えてくれているんだ。しっかりね。だからオレは真っ直ぐ立っていられる。だから悩むな。そういうことで悩まれるとオレも辛い。な?」
「うん」
もう涙でちゃんとした答えすら出来なかった。穂琥の泣いている背をそっと包むように薪が包む。どこまでも暖かいそのぬくもりで。
さっと替装する。血まみれだった服装が一気に新品になる。
「さて。そろそろ上に出よう」
「平気?」
「あぁ」
薪に掴まって移動術で外に出る。外は何にも変化がなくて驚いた。もともと先までいた場所は眞稀で作られた特殊な空間。薪と穂琥が修行をしていた場所と同じようなもの。だからあそこの空間で如何に眞稀を放ったところで外に影響は出ないということだ。
「ふう・・・」
薪はその場に座り込んでしまった。如何に薪とはいえ、こんな短時間で回復できるわけもない。穂琥は焦って駆け寄ったが薪は困ったような表情で大丈夫と答える。
薪はさらにもう一度替装する。今度は眞匏祗の格好ではなく人間の格好。故に特徴的な髪も目も。普通の茶色身がかった黒に変わった。穂琥も同じように替装して人の格好になると薪に肩を貸しながら自宅へ目指して歩き始めるのだった。