第二十六話 争いを避ける理由
移動した先は荒野だった。人に見つかってしまってはひとたまりも無い。ゆえに眞稀でその全貌を隠しているのだ。開け方を疑問に思った穂琥だったが、薪は向こうが招いている以上、勝手に開いてくれると言う。
薪の言ったとおり、何も無い空間が勝手に歪んで誓茄が中から出てくるのが見えた。
「会いたかったわ!中々外に出してくれなくてね」
誓茄は薪を見て嬉しそうに笑った。薪は主とやらに会わせてほしいというと誓茄は少し悔しそうに笑った。
「あら、もう主の話?せっかちね」
「早く用を済ませろ」
中からさらに圭が出てきて誓茄を不機嫌にさせた。わかっていると誓茄は機嫌悪そうに答えると戦闘態勢に入る。
「用?」
「以前言っただろう?その娘を預けてほしいと」
圭が冷たく言い放つ。薪が額に力を入れて渡すわけが無いと答える。
「えぇ、大切なのはわかるわ。でも奪うの!」
誓茄が刀を取り出して薪に飛び掛る。薪は一気に刀を二本出して一本で誓茄をはじき、気配なく近づいていた圭をもう一本で弾き飛ばす。
「鼓斗、斬れ!」
吹っ飛びながら圭がそう叫んだ。ふっと後ろに眞匏祗の気配。鼓斗が刀を振り上げているのだった。後ろを取られたのもかかわらず薪は軽々と鼓斗をはじき返した。空中に飛ばされた鼓斗はふっと回転して地面に着地した。
「へぇ。いい刀だな」
「あぁ、舞姫と散姫だ。どちらも美しい『姫』だろう?」
薪の言葉に鼓斗はのどを鳴らすように笑った。
「確かにいい『姫君』だなぁ」
「でもさすがに空。いきなり序盤で己の所有する刀を全て見せてしまうなんて」
薪の持つ刀を見て圭が言い放った。それに無言で返す薪だったが、誓茄が高く笑った。
「あら?そうかしら?彼は強いわよぉ?二本だけなんてあり得ないわ」
眞匏祗は己で有する刀の数には限りがある。別に一祗が有している刀に限りがあるわけではない。ただ、手荷物としてもてる刀に限りがあるというだけのこと。簡単に言えば人間が筆箱に入れて持ち歩ける文具の数に限りがあるように眞匏祗にも一度に持てる刀に限りがあると言うこと。
本来なら大体1本から2本。多ければ3本持つことも可能だが。愨夸ともなれば話は別だ。愨夸くらいになればたやすく6本は所有できる。しかし、それがばれてしまっては愨夸とばらすことになる。それは出来ない。
ゆえに、露見できる刀は3本まで。その場に合わせて刀を選ぶ必要がある。そして今一気に二本出したのは相手の数が多いからだ。そして何より今出した『姫』の刀は薪の意思とは関係なく相手を迎撃できる特殊な刀。無論、薪の真意にそぐわない行為はしない。それがために突っ込んできた誓茄、圭、鼓斗に怪我の類が無いのだ。
穂琥を奪うまで主は顔を出さないらしい。全く腹の立つ相手だ。穂琥に恐れを感じているのだろうか。だとすれば大したものだ。穂琥の底知れぬ力を感知したことになる。だとしたらなおのこと、穂琥を奪わせるわけには行かない。
目の前に刀を構える薪。そしてそれ見ている穂琥の心に闇が陰る。争いを嫌った薪。それの理由。無論、傷つけて失いたくないということは知っている。しかし、そういうことではない、そういう問題でもないということを穂琥は思い知った。
以前、台所で指を切ったことがあった。眞匏祗のクセに包丁ごときで指をざっくりと切るなど何事だと怒られたが、そう言いつつも治療をしてくれた(本来なら自分で治せるがわがままを言って薪に治させたというのが妥当)薪を見て穂琥は首をかしげたことがあった。このとき初めて薪の療蔚の技を正面から見たのだが、薪の目が明らかに泳いでいるような気がしたのだ。
治してくれた後は傷口も何もなく、怪我をした痕跡が全くなくなっていたので気分が上々だった。しかし、やはり気になるのは薪の反応。慣れるはずの無い療蔚の技はやはり堪えるのだろうか。
「ねぇ・・・まさかとは思うけど・・・」
穂琥が途切れながらに薪にたずねる。
「血、怖い?」
穂琥の放った言葉に薪は不機嫌そうに目をそらした。あ、図星だ、と思った穂琥だったが小さく不機嫌そうに怖いと薪が言ったので穂琥はぎょっとした。
「当たり前だろう。トラウマだ、馬鹿。餓鬼のときにどれだけ血を浴びたと思ってんだよ」
穂琥はそれを聞いてぞっとした。そうだった。わずか三歳という幼い薪の苦痛の出来事。愨夸を潰そうと企んだ眞匏祗の眼に捕まりやりたくも無い殺害を何千何万と犯してしまった薪にそういった類の恐怖心があってもおかしくは無かった。
それでも過去に幾度も薪は先決を浴びる羽目になっている。その全て、何事も無いかのように振舞っている。以前、穂琥の初めての実戦に出たときもそうだった。
「ばーか。怖いからに決まっているだろう」
「え?」
「はっきり言うけどね。この世の中で起きること全てを含んで何が怖いってそりゃぁ穂琥よ。お前を失うことだ。それに勝るものは無い。だから血を見る羽目になってもお前だけは護るんだよ。わかるか?」
「は、はい・・・」
「つっても、血が怖いのは事実です。認めます」
そんな会話をしたのを思い出す。そう、薪は血液恐怖症だ。おそらく穂琥が目の前にいたからあの程度の震えで済んだのだろうが、もし、気を抜いてもいいようなら昏倒していてもおかしくないくらいの恐怖を『血』から感じるようだった。
血が怖い。それはすなわち命を削ること。だから怖いのだ。そしてあのときの惨劇を脳裏に思い浮かべる羽目になるのがさらに一層恐怖なのだろう。
だから怪我をしたら治す。そう決めていた。でもやっぱり薪はすごい。これだけ刀を振るっているのに未だに誰も傷ついていない。
「ねぇ。馬鹿にしているの?」
圭が薪に尋ねる。鼓斗のほうも斬らないとはどういうことだと尋ねてくる。如何に敵といえど殺したくは無いと薪が答えると誓茄が笑い声を立てた。
「その心がけ、立派だわぁ!尊敬する」
「偽善事だろう」
鼓斗が誓茄の言葉にかぶせるように言う。誓茄は少しだけ不機嫌そうに鼻を鳴らした。
圭が刀を振るってくる。薪はそれをはじきながら再び襲ってきた鼓斗と誓茄の刀も受け流す。その華麗さに見惚れるものがある。誓茄が固執して薪と戦いといった意味がようやく理解でき始めた圭と鼓斗だった。
穂琥はただ見ていることしか出来なくてなんとももどかしい気分になった。結局、自分には何も出来ないのかもしれないと思った時、途方も無い悲しみが込み上げて来るようだった。そんな折、ふっと風が吹いてそれが急に突風と化した。その勢いに押されてよろめいた。よろめいた足の先に地面は無かった。大きく裂かれた地面に溝が出来ている。穂琥は流れるように底に落ちて行ってしまった。
「穂琥!!」
薪が叫んで穂琥を助けに行こうとすると目の前を鼓斗に邪魔される。
「あのまま我が主の下へ。邪魔はさせない」
「邪魔しているのはどっちだ!」
薪は勢いよく刀を振って鼓斗を飛ばす。しかしもう遅く、裂けた地面はどこにも無かった。
「手合わせ、願う」
鼓斗が低くうなるようにそう言った。薪は仕方なく刀を構える。
―穂琥・・・無事でいてくれ・・・。すぐ・・・すぐに行くから・・・!
薪の刀を握る手に自ずと力が入る。誓茄と圭はすでに主の下へ戻ったらしくこの場にはいなかった。薪は鼓斗を強く睨む。そして小さくため息を吐いた。
「わかった。ならオレも少しは本気を出そう」
「替装、するのか?」
「あぁ」
薪はふっと瞼を閉じて眞稀を込める。すっと小さな風が起こり薪の服装が変わる。
もとより戦うつもりは無い。今はただ、穂琥を探すことだけしか考えていない。ならばここはこいつと刀を交える必要は無い。散姫をしまうと舞姫に集中する。そしてその集中して溜めた眞稀を勢いよく爆発するように放出する。放たれた眞稀は地面をえぐり大きな爆発を引き起こした。
「くっ・・・!!」
鼓斗のうめき声。鼓斗は眞稀を高く上げ、辺りを覆っている土ぼこりを振り払った。そこに薪の姿は無かった。
「逃がしたか・・・・」
口惜しそうに鼓斗は表情をゆがめた。
穂琥。無事でいてくれ。ただひたすらに切にそう思って走る薪。