第二十三話 命の意味するもの
支度をしている薪の背に声を掛ける。薪は振り向かずにそのままてきとうに返事をする。
「どうして命ってあるの?」
穂琥のした突然の質問に流石に薪は振り向いた。
「え?」
薪の返して来た言葉を穂琥はそっと胸に抱く。
命とは掛け替えの無いものだと、大切なものだと知っている。そのつもりだ。それなら何故我々の命とは簡単に費えてしまうのだろう。どうしてこうもあっさりと消え去ってしまうのだろう。生きていて命を持っている。持っているときはそれは思った以上に重くていつまでもそこにありそうな錯覚を得る。しかし、亡くしてしまう時は一瞬にも満たない。この世に生を受け燃ゆる炎を灯して。それでもその炎は消えるときはふっと一瞬にして姿を消してしまう。残るのはその煙だけ。そこに炎があったという形だけ。
「どうして生きている意味があるの?どうして命って大切なの?」
「そんな事、オレが知るわけないだろう」
薪は顔を前に戻して以外にもあっさりとそう応えた。穂琥はその回答にどこかがっかりしながら薪の背を見た。
「ただ・・・」
薪はそのまま言葉を続けた。
「だから命は大切なんじゃないのか?簡単に壊れるものほど大事にするじゃないか。消えてしまうから楽しいんじゃないか」
薪の言ったことの意味はなんとなくわかる。それでも命とは脆すぎる。どうしてこんなにも大切にしなければならないのだろう。それがわからない。
「オレが思うに、命そのものに意味は無い、ってことかな」
予想外の薪の発言に穂琥は目を見開いた。あれ程までに命を大切にしていた薪が言うような言葉には思えなかった。
「命に意味があるのではなくてその命が生む夢や愛に意味があるんじゃないかね」
穂琥はその言葉を聞いてはっとする。
「私はあなたを愛します、って台詞とかみたいにさ。別に恋愛どうこうだけじゃなくて家族や友、それらに向ける愛情とか。それが大切なんじゃないかな。だからその夢や愛を受け継いでこうして生物は繁栄していくんだろう?」
命は呆気ない。それは確かに変わらない事実。でもその命が強固で永遠であったなら一体生物がこの世にいる意味は何になる。その者が朽ちてしまうからそれが育んだ愛や夢、希望が朽ちることなくこの世界を包み込んでくれるのではないだろうか。
薪は昔、その手で夢も希望も愛も自分のその手で消してしまった。だから失いたくない。もう二度と。
「でも・・・それでも・・・死んでしまうのは辛いよ?」
薪はそっと振り返って穂琥の目を凝視する。今までに見たこと無いくらい深い瞳の色に穂琥の心は震える。
この世に生まれ出た以上、必ず皆平等に命が尽きる。しかし生まれたからには愛を育み、希望を与え、与えられ。夢を抱いてそれを語る。それには命が必要で器が必要。それらを壊しまうことがあってはならない禁忌であるのだろう。
「意味が無いといったら悪い言い方だけど、つまりは大切なのは『心』って言いたいだけ」
薪の目の奥が震えているように穂琥には感じた。薪もどこかで怖いのかもしれない。いや、そもそも薪がこの戦いを怖くないとは一言も言っていない。もしかしたら『失う怖さ』を知っている薪のほうがこれから行われる争いを恐れているのかもしれない。
「怖いから・・・。失われる命なんてあっていいのかな・・・って」
「・・・そうだな。悪いな。ごめん」
薪が小さく謝る。それに驚いて穂琥は聞き返す。すると薪は視線を落として申し訳無さそうな顔をする。そうした薪から聞いたのは穂琥を眞匏祗の世界へ返したいということ。それでもそれが出来ないという事実。
「悪い。本当に。そもそも連れてくるべきじゃ無かったよな・・・。本当にごめ・・え?!」
謝りかけた薪が驚いて言葉を切ったのは後ろから穂琥が抱きついたからだ。そして耳元で震える穂琥の声が聞こえる。小さく何度も謝る、か弱い声が。
「ごめん。私のほうこそ。争いが嫌いなんて薪が一番わかっていることだったよね。ごめんね・・・。こんなに急にやるって言ったのにも理由があるんでしょう?」
「・・・痲臨を、奴らが所有しているらしい、って言う噂をね」
「・・・うん。そうだね。早く取り戻さないとね」
穂琥の言葉に少しだけ温かみが戻る。不安が少しだけ消えていく。そんな穂琥の声を聞いて薪はより一層の不安を高める。
「オレは・・・」
どうしたらいいのだろう?そんな事、穂琥に言うわけにもいかない。それでも誰かにこの愨夸という重圧な責任を擦り付けたいと思ったことが過去にどれほどあっただろうか。それでも今、こうして穂琥を前にして自分が愨夸でよかったと時折思う。愨夸ならこの世界を変える力を有している。いつかこんな苦しい思いをしないですむ世界を作りたい。生きることに苦しまぬ世界を。
「ねぇ。薪にとっての夢や希望って何?」
「オレの・・・?」
「そう」
少し明るく穂琥の声が薪の声に被さる。薪はいまだに背中にくっついている我が妹の顔を見る。そして小さくため息をついた。
「言うまでもあるか?」
「え?」
「オレの夢と希望?そんなの、お前に決まっているじゃないか」
薪のその声は自身に満ちている。迷いなんてものがあるわけもない。それが嬉しくてたまらない。穂琥はさらにぐっと薪に抱きつく。そして嬉しさを一心に篭めて薪へ言葉を送る。
「私と同じだ!私も薪が夢と希望、生きる糧だもん」
その言葉に薪がどんな顔をしたのか穂琥には見えなかった。それでも心から感じる眞稀の感じに柔らかいものを感じていた。
「なぁ、穂琥」
「何?」
薪が少し声を低くして名前を呼んできたので少し驚いた。
「お前、明日、ここに残れ」
「え?」
薪はただひたすら穂琥を失うことを恐れている。だから、この家に残って戦闘が終わるのをここで待っていろと。そんな薪の言葉を聞いて穂琥は胸の奥がひどく熱く感じた。
「今、決心付いた」
「え?」
穂琥が薪からさっと離れて嬉しそうに言った。薪は首をそちらに向けて穂琥を見る。
「戦闘で私に薪を護ることなんて絶対に出来ない」
「だから・・・」
「出来ないけど私は薪の心を護る!だから明日は連れて行って」
穂琥はふふっと嬉しそうに笑った。それがどこか薪の心を痛めた。それと同時に薪の心に何か暖かいものを落とした。
「馬鹿だよな・・・」
「何それ!せっかく私が・・」
「いや、お前じゃない」
「え?」
薪は自らを卑下して笑う。要らない心配をしたと笑っている。薪は小さくいつもより少し弱い声で一言ぽつりと言った。それが穂琥には聞き間違えではないかと思うくらい意外な言葉だった。