第二話 信頼を得た人間
替装して変わった格好には手首にリングが着いていた。それを薪は引き千切る様に取る。それをしてからの薪が放った眞稀に男は圧倒された。しかし穂琥にはその眞稀の強さがよくわからない。きっと普段から薪の眞稀に慣れているということと薪が男にしかその眞稀を放っていないことが原因しているのだろうけれど。きっとこれも薪にばれたらただではすまないので黙っていることにする穂琥だった。
男が軽く震えているのを見ながら薪がため息混じりに理解できていない男に説明をくれてやる。
「オレはね、諸事情によって替装しても直ぐに力が増大しないようにセットされているんだよ。このリングによってね。だからコイツを外さないとほとんど意味が無いのさ」
引き千切ったリングを掌に載せて男に見せる。男は口惜しそうな顔をして黙っていた。そして薪が体制を変えて男へ突進する。その速さときたら穂琥には目で追うのがやっとだった。
「主の下へ帰らねば!」
男はそう叫ぶと地面を抉って薪の視界の邪魔をした。ブレーキをかけて薪は止まる。土埃が収まったとき、男の姿はなかった。
「あ~あ、逃がしちゃった。珍しいね?そんなミスするの」
穂琥が薪の元によって嫌味を篭めて言ってみたが思いの他自体は軽くないことを穂琥は薪の表情から悟った。
「こうやって姿を消すときっていうのは眞稀を使う。だからそれなりの感知能力があれば追う事が不可能なわけではないんだよ」
「だったら追えば良いじゃない?」
「出来たら既にしている」
薪の放った言葉。眞稀を完全に消されてしまっているせいでその後を追う事が出来ない事実。
「主、か・・・。気になるな」
薪がぼそりと言った。そんな薪に穂琥はふと疑問を覚える。薪は愨夸だ。今更ながら愨夸だ。現実世界に愨夸より強い眞匏祗は存在しないはず。なのにその愨夸である薪を凌いで眞稀を操るものがいるのだろうか。
「薪は・・・どのくらい力をセーブしたの?」
「あの男に対してか?追跡に対してか?ま、どちらにしろどちらも全力に近い感じでやったんだけどな」
穂琥はその薪の返答に少し不貞腐れた。そういうことが聞きたいんじゃない。
眞匏祗は人間とは比べ物にならないくらい強い。そんな事言われなくたってわかる。つまりそんな眞匏祗がこの世界で大暴れするわけにもいかず薪たちは力を強制的に抑えてここにある。その地球での根本的なセーブがどのくらいかと聞きたかったのだ。とはいえ、襲ってくる側がセーブしているかは知らないことだが。
「眞匏祗のところにいる時と今との違いを聞いたのか。なるほど。そうだなぁ~。考えたこと無いから知らないな。適当だからな、いつも。感覚でこのくらいってね。ま、あえて言うなら10分の1も無いんじゃないか?」
ケロッと言った薪のその言葉に穂琥は頬を吊り上げた。そんな嬉しそうな顔をした穂琥に薪は首を傾げるのだった。
兎に角、一度落ち着いたのでもしかしたらまだいるかもしれない籐下と獅場の元へ帰ることにした。
戻ればそこにちゃんと待っている籐下がいた。どうやら獅場のほうは学校での宿題が山積みらしく仕方なく萎れて帰って行ったらしい。そんな事をまるで聞かずに穂琥は自分の世界でにやりと笑っていた。
確かに今回、敵を逃がしてしまったがそれは相手が薪に対して恐怖し怯え、逃げ去ったのだ。普段の欠片も力を出すことの出来ない薪に。よかった、薪はやっぱり強いんだ。そんな事を思って笑っていた穂琥の耳に思いがけない言葉が飛び込んできて思わず現実世界に帰ってくるのだった。
「さて。話もしないとな。籐下、来い」
「あぁ」
穂琥は耳を疑う。いや、待て待て。今後の話しとかもあるのだから人間である籐下を連れていては話に支障をきたすだろう。積もる話とかもあるだろうけれど今はそれ所では無いことを薪が一番よく知っている筈なのに。
疑問の表情を浮かべて薪にその疑問を言葉を使わずになんとか投げかけると薪はそれをキャッチしてあっさりとその回答を述べる。
「だって籐下は知っているから」
「・・・・・・へ?」
思いも寄らない薪の言葉に穂琥は硬直なんてものではなかった。
「あれ?薪、そのこと穂琥ちゃんに言っていなかったの?可哀想でしょ。オレね、穂琥ちゃんたちが『向こう』に行く前に薪から聞いたんだ」
少し困ったような表情を浮かべながら籐下が語った。薪が、あの薪が!ここまで人に対して信頼をしていることが意外に思えた。
薪の掛け声でともかく移動をすることにする。宿を探していて穂琥に阻害されていたことを思い出して薪はため息をついていた。しかし、ここは以前、薪と穂琥が住んでいた場所であって住まう場所が無いわけではなかった。無論、穂琥の家は残ってない。アパートのような所を借りていたわけだから既にそこは開いているはずもない。しかし、薪のほうは一軒家を持っていたし、何かあった時用にと売却はしないでそのままで取っておいてあるはずだった。よってその薪の家まで向うことになった。
当然のように薪の家はそこにあった。これでひとまず落ち着くことが出来るということで中に入ってひとまず休息、寛いで。一息つくと籐下が少し怪訝な表情で薪に尋ねる。
「何をしに戻ってきたんだ?よほどの事がない限り戻らないって言っていた気がしたんだけど?再会は嬉しいけどそれが気がかりでさ」
「眞匏祗の世界の・・・宝、かな。宝探しをしに来た」
薪の誤魔化すような言い方に籐下はむっとしたような顔になったがどこか納得したようだった。それにしても籐下相手に、普通に『眞匏祗』という単語を使ったので穂琥は目が遠くなった。
籐下の質問で何故眞匏祗たちが襲い掛かってくるかということを今更ながらに知った穂琥だった。
地球という小さな鳥篭の中で育った白鳥。その飛び方も駆け方も何も知らない。そんな白鳥が突然籠を飛び出して大空へと舞い上がる。手を引いてくれるものと一緒に。精一杯その翼を羽ばたかせて飛び続ける哀れな白鳥。美しく飛ぶ方法を知らない危うい白鳥は外敵に狙われてその命を危険に晒す羽目になる。一生懸命羽ばたくその翼の音は自らの位置を外敵へと知らせる。飛び方が危ういものに強いものはいない。しとめるのは簡単なこと。その美しき白い翼を紅く染めることは容易いことなのだ。
眞稀のコントロールがうまく出来ない穂琥はそうやって他の眞匏祗たちに自らの位置を知らせてしまう。この地球にもとより住まう者たちにとって新たな眞匏祗の来訪はただ単に己らの命を脅かす存在にしかなりえない。故に、やられる前にやる。
「ま、そういうわけで穂琥はほっとけば簡単にくたばるから護ってやらねーといけないわけだ」
「なるほど・・・」
「でも私、白鳥か~・・・きれいだぁ~」
「いや、あくまで大きさの例えだからな。お前は頑張って飛べてもアヒル止まりだ」
「酷い!それ!」
文句を言いながら薪の頭をぽかぽか叩く穂琥を他所に薪は何事も無いかのように話を進める。
「そんなわけでこっちに来てから随分と忙しい思いをさせられてきたんだよね」
「そっか。穂琥ちゃんってそんなに大変な状態だったんだ。人間を危険に晒すわけにはいかないからさっき走ってどっか行っちゃったわけか?」
「おう、そうだよ。よくわかってんじゃん」
穂琥も薪も人間ある籐下が眞匏祗である穂琥よりも物事の理解能力に長けているような気がしてならないと思うのであった。
そんな事を互いに思考していればそれを読みあって穂琥が薪を殴りにかかる。そんな状態を見て籐下は過去の薪と穂琥を思い出す。過去、といっても半年も経っていないようなそんな位だが、薪の雰囲気の変化に少々驚いた。薪は実際もっと棘のある性格だったような気がするが今はその棘があまり感じられないような気がしていた籐下だった。
「何?」
籐下の視線に気づいて薪が尋ねる。籐下は少し悩んでから発言する。
「いや、まぁ。その、なんとなく丸くなった気がして」
「そうか?ん~。いや、元からこんなだけどなぁ。表に出さなかっただけだと思うけど」
薪は神妙な表情で笑って答えた。薪の内心ではこうして感情を表に出すようになって来たのは眞匏祗の方でいろいろあったことを含め、儒楠の影響があるような気がしていた。
穂琥が突然空腹を訴えて冷蔵庫を漁る為に部屋を出て行った。その図太さに籐下は苦笑いをした。離れる前はもっと慎ましやかな女性であったような気がするのだけれど。籐下はそんな穂琥の背を見て薪との関係性に疑問を覚えた。
「穂琥ちゃんとさ、薪って。学校にいたときはなんか突然妙に仲良さげにしていたし、薪も他の女の子に対する態度とはまったく別の態度を取っていたからてっきり付き合い始めたのかとか思っていたけど、違うな」
「なんだよ、突然。まぁ、そうだろう。付き合っちゃいないしもとより誰とも付き合うつもりもねぇし。ちゃんと考えてみればわかるって」
薪はさもどうでもよさそうに答えた。確かに薪はそういうことに疎いから当分そう言った感情を有することは無いんだろうなと呑気なことを思う籐下だったが、では何だ。この二人の関係は。
「一体何?同じ眞匏祗だからそんなに仲いいのか?」
「たかが同じ種族だからってここまで必死になって護ろうとはしねぇよ。そんなにオレは暇じゃない」
薪の言った言葉の意味を籐下はまだわからない。薪の性格上、護ることができるものなら全てを全力を以って護るはず。それでも暇が無いからそんな事をしている場合ではないと言う薪の言葉の真意は簡単なこと。薪は愨夸だ。愨夸が誰構わず手を差し伸べるという行為は簡単な話ではない。数が多すぎてそれこそどの手に差し伸べればいいのかわからなくなってしまう。しかし、薪とてそれを無視しているわけではない。愨夸になってもまだ未熟さが多くあるからなんともいえないが、薪の愨夸としての最終目標は恨むことのない世界。そんな世界が本当にあるとしたらそこは神の世界か何かか。そんな風に思うけれど極力それに近い世界を作ること。それが薪の目標、せめてもの償い。
話が反れたが、ともかく籐下は薪が愨夸であることまでは知らない。故に疑問を覚える場面は多々出てくることだろう。
「で?どういう関係なんだ?」
「双子の妹だよ、あのバカは」
それを聞いて驚愕した籐下。
驚くのも無理は無い。そもそも学校に転入してきた穂琥は最初薪のことなど欠片も知らなかった。もし、兄妹であるというのならそのときに感動の再会をしてもおかしくない。
「オレらは眞匏祗だ。記憶の改ざんくらいできる。それにそうやって記憶を失ったどこにいるかもわからない妹を探すのが前回、地球に行ったオレの本当の目的」
そう語る薪の言葉を聞いて確かに納得できる節が多くある。妙に仲良くなりだしたのもきっとその記憶とやらが戻ったことが理由だと考えれば納得できるし、他の女の子に対する態度と異なった態度を取る薪にも合点がいく。なるほどなるほどと納得している籐下の頭を薪が突然鷲掴みにして地面に叩きつけたので籐下は酷く驚いたが視界の隅に鋭く光る槍のようなものが見えたのでぞっとした。
薪が籐下の頭から手を離したので頭を上げて振り返ると槍のようなものが壁に当たったらしく人一人包めるくらいの大穴を明けているのを目にした。
「悪いな、口で言うより早いと思った」
「い、いや・・・護ってくれてありがとう・・・」
よくわからないけれどそれだけは理解できたので謝礼の言葉を述べる。
薪は籐下の周りにドームのようなものを作るとその中に居れば多少はもつからと言って穂琥のほうへ走っていった。残された籐下はあまりの状況に驚きすぎて呼吸すら忘れてしまいそうだった。そしてそれと同時に眞匏祗という危険性を認識した。聞いただけでは全くわからなかったことだが、薪が全力をかけて穂琥を護ろうとする意味がなんとなくわかった気がした。一瞬でも気づくのが遅れれば籐下の頭はあの槍のようなものに粉砕されていた。そんな命のやり取り。少しも気を抜けない恐怖の世界。それを同じ年の少年と少女が身を置いている。目の前にいる。それがなんとも言えず・・・・。
台所であたふたしている穂琥に駆け寄ってひとまず穂琥が無事であることを確認する。
「よかった。来い、退治しに行くぞ。籐下も居るから早いとこ片付けないとな」
「うん!」
穂琥は薪の背を追って駆け出した。
目の前に立つ男女。その風貌からしてどう考えても人間ではない。
「こんな愚図を潰すのにあいつは戸惑ったわけ?」
女が甲高い声を上げる。男は黙って目の前のものを見据える。
「こんなしょぼい結界しか作れないようなヤツにアイツはすごすご負けて帰ってきたって言うの?」
「触らないほうがいい」
目の前の男女が何であるせよ、会話していることを聞く限り、薪たちにとって敵であることを意識させられた籐下。そして男の忠告を他所に女は籐下の周りに張られているシールドに触れる。すると女は数メートル後ろに吹っ飛んだ。
「だから言っただろう。雫杜がそこまで弱い奴ではない事位知っているだろう」
「っさいわね!私より弱ければ皆同じよ!それに比べて・・・。今回の彼は敵ながら惚れちゃいそうね~」
女は頬に手を当ててうっとりとした表情を浮かべた。先程、吹っ飛んだときに出来た傷ももう癒えている。眞匏祗ならばこれが普通なのだろうか。その辺のことは全くわからない籐下はただ、今あるこの状況下で生きていられるかの方が重大であった。
男女は籐下から目を離すとあらぬ方向に目を向けた。そうしている二人の会話で眞稀を隠していないとか、その方が抹殺しやすいとか言っているとなるとおそらく薪と穂琥のことを言っているのだと理解できた。
女はやたらと嬉しそうな顔をしながら男に行ってもいいのか訪ねていた。男のほうはそれを肯定していた。すると女はさらに嬉しそうになり、にたっと気味の悪い笑みを浮かべるとその場からぱっと消えた。男は籐下のほうを見下ろして言った。
「運が良かったのだよ、君は。いや、悪かったのかな」
そういうと男はその場から消えた。籐下はただ黙して薪たちが帰ってくるのを待つことしか出来なかった。