第百十七話 呑と覚醒のこと
そんな呆れた声を出した綺邑ですらそのまま言葉を残して姿を消してしまった。穂琥はただそこに立ちすくんでいた。
部屋で小さく蹲って穂琥は長い時間を過ごした。色々な気持ちが混在する。そもそも、儒楠は今どうしているのか。一体なぜ入れ替わったのか。穂琥は不安を募らせる。
ドアの開く音が聞こえた。穂琥はガバッと顔を上げると少し困ったような表情の薪がそこにいた。
「薪!」
穂琥は飛び上がって薪の元へ駆け寄る。
「よかった!目、覚めたんだね!?本当に・・・よかった・・・」
「悪いな、心配かけた・・・」
「ううん・・・。もう平気?」
「あぁ」
薪はそっと笑う。その笑みがどこか弱々しく穂琥は心が揺らぐ。一体なぜこんな弱い笑みを見せるのだろうか。
「穂琥。あんまり覚えていないんだが・・・。お前、怪我とかは・・・?」
「え?あ、ううん、していないよ」
「そっか、よかった・・・」
ほっとしたような薪の表情に穂琥はぐっと詰まるもの感じる。自分で護ると決めた対象を自ら傷つけて何になる。薪はほっと深いため息をつくと少し遠い目になって腹のあたりをさすった。
「ん~、目が覚めたらさ。綺邑がいてさ。その直後まだ気を失ってしまってね」
「・・・・・え?」
「腹に見事な踵落とし喰らってさ。またそのドきつい事・・・。今でも少し痛いんだけどさ・・・」
忠告も無視に力の暴発をさせたことを怒った。そして護ると決めた穂琥ですら危害を加えようとしたこと。また過去と同じ過ちを繰り返すのか。綺邑はそう憤怒した。
「ま、そういうこと」
「え?」
「ひとまず回復は大体出来たからもう一度寝て完全回復するわ」
「う、うん」
あくびをしながら薪は自室へと戻っていった。穂琥はその背を見送ってそっと瞳を伏せた。
翌日の午後。穂琥はリビングで丸くなっていると薪が降りてきた。結局あの後寝ることができずにこの状態に至る穂琥はぐったりとしている反面、降りてきた薪はすっきりと爽快な表情をしている。しかしその表情にどこか影がかかっているように見えるのは恐らく穂琥の気のせいではないはず。
「よく寝たわ。久しぶりに寝た」
伸びをしながらリビングに入ってくる。穂琥は一度視線を落としてから薪に戻す。
「いいよ、そんな・・・ムリしないでも」
「無理?してねぇよ」
「しているよ・・・。気を遣わせて・・」
「・・・・まぁ・・・。そらな」
薪はどこか違うところを見る。
「オレのせいで穂琥に辛い思いさせてしまったし」
「私・・・でしょう・・・」
薪は小さくそれを否定した。そっと穂琥の隣に腰を下ろすと薪は天井を見詰めて目を細めた。
「儒楠に穂琥の護衛を頼んだのは穂琥がどうなるかを確認するためでもあったんだ」
「え?」
薪は穂琥から離れ、それが一体どんな影響を及ぼすか、それを確認する必要があった。穂琥は地球で育ち、地球の環境に順応して生きてきた。よって眞匏祗であるという自覚は本来目覚めきっていない。故に、眞稀のコントロールが下手で薪の保護無しでは生活がままならなかったということになる。眞匏祗としてちゃんと機能できていないのだ。だから穂琥という殻の中で眞稀が燻ってしまっていた。だから一層のこと薪の保護を取り払い穂琥だけの力で何処までやっていけるかの確認が必要だった。
しかしそれは予想を超えて危険なものとなってしまった。燻っていた炎はそのまま沈下されてしまう。だから消えてしまう前に薪が地球へ戻り何とかする必要があった。そうしたときに、裏界へと持っていかれそうになってしまった。
「でも・・・どうしてそんな事を・・・・?一言・・・そう言ってくれれば・・・」
「言ったらたぶん意味がないんだな。そう意識してしまった時点で無意味だ。今回みたいに知らないからこそ穂琥のその魂石へ異常を与えたんだ」
穂琥が何処まで出来るのかを知るために。
「それって・・・私を試した、ってこと?」
「ん・・・・まぁ・・・。試したといえば・・・そうなるな」
言いよどむ薪。他者を試すような事は極力したくはないのだが。穂琥とてきっと嫌がるだろうと思う。薪は穂琥の怒号が飛ぶのを待った。しかし、返ってきたのは怒号でもなければ文句でもなかった。小さな謝罪だった。
「それって・・・。私が薪の期待に答えることができなかったということ、でしょう?」
「穂琥・・・。それは違う・・・・違うよ穂琥」
「本当・・・?」
「あぁ」
隣で不安げな穂琥の頭をそっと撫でる。穂琥はそれにしばらく大人しくしていた。
それからふっと穂琥が綺邑のことについて尋ねてきた。綺邑も穂琥同様、力を消耗してしまっていた。しかし、正確に言うとそうではないのだが。
「あくまで仮定の話だけど」
薪は少し考えた風にいう。
全体的なバランスの崩れが大きな要因だと綺邑が語った。そもそも穂琥の体内にある眞稀が体外へと放出されることで力は失われていく。しかし、薪がいたときは薪自身が無意識かでそれを回収し穂琥へと返還していた。だから薪がいなくなった状態ではそれが成されないために絶えず洩れ続け穂琥は力が低下してしまった。今となっては人間と同じレベルまでに。
ついでに言えば薪の力が暴走してしまったのもここにある。普段、慣れていない療蔚の眞稀を体内に一度入れそれを穂琥へと返す作業がどれほど己の眞稀を喪失することか。戦鎖である薪には相当負荷になる。しかしずっとそれを行っていれば自ずとそれが癖になる。そんな折に穂琥とはなれ、それを行わなくなってしまっいさらには完全に放出できていなかった療蔚の眞稀が体内に残りそれとの反発による暴走。
そして綺邑。以前、穂琥の護衛のためにと人型をとって傍にいた。その際には穂琥の眞稀を一つの『力』として珠に込め、それを活用し顕現していた。しかし、今回綺邑はその活用するためのものなど一切なく、己の力のみで人型へと代え顕現していた。それは恐ろしいまでに力を要した。その要因としては右目の呪いが原因、といえるかもしれないが。とにかくそう言った不安定且、脆いときに薪までもが暴走し、その力を抑えるのに力を使えば浪費だって激しいはずだ。
「だから今は簾乃神と陣黎神の保護の下回復中らしい」
「え?お姉ちゃんそんな事教えてくれたの!?」
「いや、陣黎神がいらしてね。初めて会ったが驚いた。簾乃神は逆に全く神気を感じなかった。とにかく。陣黎神がそれだけを言うと笑って消えたよ」
穂琥は頷きながら聞いていた。そしてふと。思うこと。
「そっか!やっぱり薪は自分の力に呑まれた訳じゃなかったんだ!」
「は?」
「いやね、簾乃神様が来たときに薪が自らの力に呑まれた訳じゃない、とだけ言って消えてしまったんだけど!今の話だと私のっ・・・・私の・・・・・・?」
少し間が開く。
「・・・・まぁ、そうだな。オレの中に残っていた穂琥の眞稀にオレは呑まれた訳だ」
「や、やっぱりそうなの!?わっほー?!え、え、えっと、え、それってまさか・・・」
「・・・・・・。はいはいそうですよおれがおまえのちからにまけたってことですよ、もんくありますか」
「・・・・いえ、ありません・・・」
相当棒読みで返してきた薪の言葉に同じ様に棒読みで返す穂琥。まぁ、穂琥の場合は硬直による棒読みだが。
「はぁ・・・。だから言っただろう。お前は『強い』んだよ」
「そっか・・・」
何だか不思議な気持ち。穂琥はそれを抱えてふっと瞳を伏せるのだった。
「・・・今軽くやってみるか」
「・・・・・・」
薪からの言葉。
「・・・・え?」
穂琥は反応遅れて返す。
「剣術だと眞稀は関係ないでオレが勝つだろうからただの眞稀のぶつけ合い。今はオレもいるし穂琥の力少し戻ってきているはずだし少しやってみるか」
「え・・・いや・・・」
「勝てるんじゃね?お前」
「え・・・・・・あ・・・」
「よし、行くぞ」
薪に強制的に連行されていく穂琥。いや、確かにこんな話をした後では、もしかしたら勝てるかもしれないとか思いますよ。そんな期待を胸にしながら穂琥は薪に連行されていった。