第十一話 認められた者
幸奈を抱えたまま薪は家の中に入る。そんな薪を見て穂琥は不安を隠せずにいた。あの薪が、酷い汗を掻いている。それはでも、当然のことだ。わき腹が酷く抉られ、その状況で自分と大差ない女性を抱えてここまで運んできたのだから。途中、穂琥が代わると言ったが、編に刺激を与えてしまえば死んでしまうからと交代を許さなかった。
幸奈を下ろしてから薪はため息をついて穂琥に向う。
「さて。ここにくればひとまず眞稀が保護をしてくれるから直ぐに死ぬようなことは無い。そこで、穂琥。悪いけど脇腹の治療を頼めるかな」
「あ、当たり前じゃない!」
穂琥は急いで袖をまくって薪の服を捲り上げる。その現状に絶句する。今までに見たことのない刀傷。まるで何かに食いちぎられたような酷い荒れ方。それだけじゃない。酷いところでは軽い壊死が始まっている。本来だったら死んでいてもおかしくない。
「大丈夫か?」
傷の状態を見て絶句した穂琥に心配そうに声を掛けた薪に穂琥は逆に怒号を上げる。
「それはこっちの台詞!何考えているの!?こんなので・・・!!普通、死ぬって!?」
「ま。オレ普通じゃないし。向こうもね」
「え?」
薪の言った言葉が理解できなったけれど、それがどういうことか聞いている暇があったらさっさと治療をするべきだ。
穂琥はすっと深呼吸する。まず、薪の状態の確認。
血は薪自身が自分の眞稀で止めているから支障は無い。しかし、そのぶん体力を消耗していくことになるので早く何とかしなくてはいけない。そんな眞稀で無理に止血をしていることもあり、眞稀の流れの状態もあまりよくない。こういった怪我に効く治療は確か、城の書庫で見た記憶がある。それが今、有効かはわからない。未だかつて例を見ないものだから。それでもそれを試さなければ薪の腹部はどんどん壊死していてしまう。眞匏祗にとって壊死とはイコール、消失ではない。上手いこと治癒することが出来れば再生だって容易なことだ。
「薪・・・。その、結構辛いかもしれないけど・・・その・・」
「いいよ。全てお前に任せる。穂琥が最善だと思うことをすればいい」
言い淀んだ穂琥に薪はそっと言う。その言葉の優しさが嬉しくて。そして何より、任せるといった薪からの信頼がたまらなく嬉しかった。それに何より、心配などする必要すらなかった。だって・・・。
―相手は薪だもの
穂琥は意識を集中させてから眞稀を手に篭める。そしてそっとそれを薪の患部に当てる。本来ならばここで耐え難い激痛が走り、呻き声の一つでも上げるものだが部屋の中はいたって静かだった。
今回、穂琥が行った治療には傷の具合によって変わるが、比較的時間のかかるものだった。まして、今の薪のように重症の傷に当たっては普通よりも時間がかかった。故に数分間の治療となる。本来ならば、数十秒で終わるものだが。
「は、はい・・・お、終わった・・・」
過度な集中と大きな眞稀を一気に消費するということで穂琥はどっと疲れて後ろに倒れた。
「大丈夫か?それにしてもまあ、任せるとは言ったが的確な治療だったなぁ。やっぱ見る目はあるな」
「えへへ・・・。一応ね・・・少しは勉強したんだよ」
―薪の役に少しでも立てるなら・・・
穂琥はへらへらと照れ笑いしながら起き上がった。
「平気?辛くなかった?」
「何で?」
「だって・・・この術、相当辛いって・・・。でも薪は呻き声一つ上げないでむしろ涼しい顔していたから」
「あぁ、本来だったら苦渋の表情をしたかったけど頑張っている穂琥の意識の妨げになるからな、抑えた」
薪はそれを簡単そうに言って退けるので穂琥は驚く。そしてやっぱりこういうところでも薪には適わないと実感する。
「でも、次からはいいよ。痛いときは痛いって言って」
「おう、わかった」
さてと、そう言って薪は立ち上がって幸奈の元に腰を下ろす。
「ゆ、幸奈さん・・・平気なの・・・?こんな重症をそのまま長いこと放置するなんて・・・」
「支障は無いさ。これは時間の問題じゃないから」
「え?」
「まま、気にするな。とにかく幸奈は平気だ。そんなわけでお前はとりあえずその返り血やら泥やらシャワーで落として来い。その間にオレが何とかしておくから」
「え・・・あ・・・はい・・・」
薪に言われるままシャワーに入る。一体、幸奈はどうなってしまうのか、穂琥にはさっぱりわからない。それでも薪が大丈夫だといったのだからきっと大丈夫なのだろう。
しつこい土埃や泥に悪戦苦闘してやっと落としきり、風呂場から出て着替えを済ませる。髪を乾かしている間にふと気配を感じて振り向いて驚いた。
「き、綺邑さん!?」
「聞きたい事が有る」
短く端的に綺邑は言い放つ。何かと穂琥が聞くと綺邑は瞑について尋ねてきた。何故、瞑を眞匏祗ではないと判断したのか。
「まだ、完全なわけじゃないけど・・・桃眼で視た時眞稀が全く無かったから・・・」
それを言ってからふと思った。薪の眞稀もきっと視る事ができないと。
「ほう。それだけか?」
綺邑の続いての質問。穂琥はそれに少し戸惑った。応えるべきか否か。
「それだけなら良い」
綺邑はそう言って立ち去ろうとした。穂琥は違うと否定の言葉を述べて綺邑の足を止めた。
「もう一つ・・・雰囲気が・・・似ていたの・・・貴女に・・・」
穂琥の言った言葉は脱衣所の部屋に木霊した。綺邑は冷たく見下ろしてくる。その目が薪より冷たいったらありゃしない。
綺邑はその鋭い目をふっと伏せてからそうかとだけ言って姿を消した。穂琥は呆然としながらその様子を見ていた。それから思い立ったように髪を乾かし始めた。
部屋のほうで何かの破壊音が聞こえたのは髪が乾いた頃だった。まだ全快していない薪に敵襲なんて来たら溜まったものではない。穂琥は慌てて脱衣所を飛び出してその足を止めた。
「ごめんって!悪かったって!本当に!!うわっ!?」
薪の叫び声が聞こえる。穂琥はただ固まっていた。
見れば。敵でもなんでもない。でも味方とも言いにくい。それが薪にありとあらゆる足技を繰り出している。
「うわっほうい?!ちょっ?!マジ止めて?!ごめんって!何度も謝っているじゃん?!うわあぁ!!」
薪が押されているその映像を見て穂琥は長い目でその様子を見ていた。綺邑が回し蹴りやら踵落しやらひねり蹴りやらとにかく攻撃しまくっている。それを避ける薪の表情は最早必死。見ていて哀れと思うほどに。その薪の見事な圧され具合を見て綺邑が強いということを改めて実感したような穂琥だった。
呑気に見ていたのはそれまでで家のあちこちが破壊されていくのを見て、さらに薪の必死さ具合を見て気づく。いや、敵じゃないにしても感知していない薪にあれほどの動きをさせては傷口が開いてまた大変なことになってしまう。
「止めて!」
綺邑と薪の間に入って諸手を広げる。寸でのところで綺邑の蹴りは止まる。あと数ミリ遅かったら穂琥に当たっていただろう。そしてその圧力を感じて穂琥は一瞬だけめまいを覚えたほどだった。
「薪は今、完全じゃないの!!」
そう言って綺邑を睨んだ、睨んだ穂琥の目は一瞬にして迷いに変わる。綺邑のあまりに鋭い目が穂琥の心を折りにかかる。しかし穂琥はここでは折れていけないと必死になって綺邑に抗議する。
「ふん」
興味がうせたように綺邑は踵を返したので穂琥はほっとして座り込んだ。
「悪いな、穂琥。でもまぁ、大丈夫だよ。避けなきゃそりゃ当たるけど、綺邑だって本気じゃないんだし。それに傷の方だってそこまで無理にはさせてないよ」
笑いながら言う薪に軽くイラつき覚えながらも仕方なくため息をつく。
「じゃぁ、幸奈を頼んだよ」
「・・・」
綺邑の返事は無い。いつの間にか綺邑は幸奈を抱えていた。抱える、といっても別に担ぐとか抱きかかえるとかそう言ったわけではなく、宙に幸奈がひとりでに浮いているように見えるだけだが。そうして綺邑はすっと姿を消してしまうのだった。
幸奈が大丈夫なのか尋ねると薪は小さく笑いながら何とかなると応えたので今度は薪の傷のほうを確かめることにした。
「大丈夫だって。そもそも綺邑をあんなふうに怒らせたのはオレ自身だしな」
薪はどこか可笑しそうに笑って立ち上がった。
「いやね。あいつにしては随分と珍しい事をしたからそれについて言い過ぎたら怒られた」
まるで子どもみたいに薪がいうので穂琥はどこか拍子抜けした。
「っていうか、薪がそんな風に突っ込むくらい綺邑さんが珍しいことしたの?」
穂琥の質問に薪は少し悩んだ表情を浮かべた。なんだ、それは。私には言いたくないことか、と穂琥は内心で腹が立っていた。
「ま、いいだろう!言ったら言ったで言ってしまったんだからいいだろう!」
薪は何か納得したように頷いてから穂琥の様子を窺った。
「え?私の怪我・・・?そういえば圭と戦ったときに随分と怪我したのに・・・今治っているや・・・」
「治してくれたんだよね、綺邑が」
薪はどこか楽しそうに言った。綺邑が自分の怪我を治してくれたことに驚きを感じていた。いや、それよりも死者を誘うことを生業としている死神が人を、眞匏祗を癒すことが出来るのだろうか?
「ま、アイツも『特殊』だからな」
薪自身もそう言った事までは流石にわからないようだった。
「まぁ、そんなわけだ。じゃ、少し休養を取ったらやりますか」
「何を?」
「桃眼の完全な扱い方、といっておこうかな。オレだってそれに関しては詳しいわけじゃないけど、やらないよりはましだろう」
「わかった」
薪は穂琥の全快しだい、直ぐにやるといってきたので穂琥は首をかしげた。傷なら綺邑が治してくれた。だったら平気ではないかと。しかし薪はそれを否定した。綺邑が治したのは表面的な傷だけ。まだ、内側、つまり眞稀のほうの回復は出来ていない。眞匏祗は体内、体外全て眞稀にて修復する。そしてその眞稀が枯渇したときは傷の直りが遅くなる。さらには疲労度も溜まる一方だ。そこで綺邑が傷を治してくれたおかげで傷のほうに眞稀を回さなくてすむので眞稀の回復だけを待てば通常の状態に戻ることが出来るということ。
では薪は?薪は綺邑に治してもらったのだろうか。
「いや、オレは治してもらってないよ。オレは嫌われているからな~。穂琥は綺邑に気に入られてんだよ。だからそれについて突っ込んだらさっきみたいに蹴り殺されそうになったんだけど」
薪の言葉に意外性を感じながらも穂琥は納得せざるを得なかった。
薪は軽く手を上げて部屋で休むといって穂琥に背を向けた。あちこちが破損した家を治しながら薪は二階へと上がっていった。