第十話 出会いと別れとその向こうにあるもの
気がついたらそこは地面。全く見知らぬ土地へ一瞬で移動してきた。眞匏祗とは本当に摩訶不思議なものだと幸奈は実感する。
薪は警戒心を強めた表情をする。それが一体何を示すのか。簡単なことだ。奴らがこの場に現れる。それだけの事。
「あらぁ?もうきたの~?」
誓茄が声を発する。
「そちらから呼んでおいてそちらが遅れるとはいい度胸だな」
薪の言葉に誓茄はもだえる。これじゃ話にならないと薪は肩を落とす。すると後から圭と、新顔の男が現れた。
「始めてみるな」
「名乗るほどのものでは」
「伏せるか?」
「滅相も無い。必要が無いということです」
「名を与える価値が無いと?」
「考えすぎであります」
礼儀正しく見えるその男に薪は不吉な予感を感じた。
彼らは主からの伝達があるといってきた。薪は仕方なくそれを大人しく聞く。その伝達はこうだった。
―貴方を我が元まで案内申し立てる。気が向いたのなら足を運んで頂きたい。宜しく申し上げます、スウェラ様
薪はそれを聞いて険しい表情になった。誓茄は嬉しそうに『スウェラ』という名前なのかと尋ねてきたので薪はそれを否定した。すると少し残念そうな顔をしていた。
「以上で御座います。よろしければ我が主の下まで」
男はそう言って姿を消した。それに習って誓茄と圭も姿を消した。
一体何がしたいのか理解できないけれど、穂琥としては何故幸奈に突っ込んでこなかったのかが疑問に思えた。それを薪に尋ねようと思ったが穂琥はその寸前で思いとどまった。薪の様子が明らかにおかしい。
「どうしたの?」
「奴は知っている・・・」
薪の言葉に首を傾げる穂琥。
スウェラ、というのは昔、まだ巧伎が存命だった頃、巧伎がとある集落を訪れたときに仮名として使った名前だ。わざわざ偽名まで使ってその集落に入った目的など、最早言うまでもない。あえて言うなら、巧伎がその集落を出た時その集落は壊滅していた、とだけ言っておこう。
ともかく。そうしてスウェラという名前を知っているということは、あの集落の生き残りで此方が愨夸、乃至はそれの息子だということが既にわかっているということになる。その上で、我が元まで来いと言ったと言う事は、あの、『主』という眞匏祗は此方を叩き潰す算段が出来たということになるだろう。長きに渡った復習の炎を叩きつけるために。
そうして考えている間に奇妙な気配を感じて薪は剣を構える。
現れたのは瞑。ただひたすら此方を睨む。その目はおそらく幸奈を見ている。
「何しに来た?」
薪の質問に瞑は答えない。本当に無口で何を考えているのかさっぱりわからない。その後に圭がついてきた。瞑の目は一度圭を遅いといわんばかりに鋭く睨むと圭は軽く萎縮した。
「ゴメン・・・。そこの女は始末しろって」
圭がそういう。幸奈はひっと小さな声を漏らす。
「護りながら戦えるか、スウェラよ」
瞑のその言葉を聞いて薪は一瞬ぞっとした。前にも似たような感覚を得たことがある。死の淵に立ったあの感覚。確実に瞑は死の気配を纏っている。直感的にそう思った薪だった。そしてその危険性から薪は一瞬で替装する。
「始末など、させるか!!」
いきなり薪が巨大な刀を取り出して振り回したので穂琥は驚いたが、よく見たら振ったその先に瞑がいた。一瞬で瞑は薪の前まで来ていた。それに反応したから薪は刀を振るったのだろう。その勢いで瞑が吹っ飛んだ。
「大した餓鬼だ」
言葉を発する。それだけでどこかダメージを受けてしまいそうな程だった。これが歴代の中で特有といわれ最強と謳われていた死神の重みなのだろうか。これがあの綺邑の親なのかと考えると正直ぞっとする。
圭が幸奈めがけて刀を振るう。それに穂琥は気づき、何とかして圭の刀を弾き返す。薪と瞑が視界の隅で戦っている。ならば、穂琥だって幸奈を護る何かをしたい。あまりなれない刀を手に持ち圭に向う。
「お前、慣れていないな。実戦したことあるのか?」
「い、一度だけ・・・」
「ふぅん」
圭は興味もなさそうに声を出して再び襲い掛かる。
あちこちで激しい攻防が続く。一体何を考えているのだろうか。わからない。つい昨日、出会っただけの自分のために命を張って戦う少年と少女の行動の意味がわからない。どうして?
「どうして私なんかのために・・・」
震えた手を握って幸奈は小さな声を漏らす。こんな風に自分のために誰かが傷つくのは見たくない。見ていられない。でもどうしたらいいのかさっぱりわからない。
声。懐かしい声が聞こえる。
―生き抜けばいい・・・
はっとした。ずっと傍に居た大切な人の声。一体どうしてその声が聞こえたのかわからないけれど、幸奈はその声に耳を傾けた。かすれて消えてしまいそうな声だから周囲の音で簡単に聞き逃してしまいそうだった。
―生きて生きて・・・幸せになればいい
愛しい人。この世で最も愛した人。
「翔蒔・・・?」
聞こえた声の主。紛れもなく翔蒔のものだ。幸奈は震える。
―いつかきっと救われる、そう言ったのはキミだよ・・・?大丈夫。俺はずっと一緒に居るから・・・
幸奈は地面に膝を着いて涙した。暖かい声。それが何故するのかなんて幸奈にはわからない。それでも、その声の暖かさに嬉しくて涙が止まらない。そして今、必死で戦ってくれている彼らのためにも、しっかりと意思を持たなければいけないのだと感じる。もう聞こえなくなった翔蒔の声を耳に残しながら幸奈はそっと立ち上がった。
薪は先程から違和感があって仕方なかった。滅多に喋らないと聞いているが、目の前のこの男、瞑は先程からずっと口元がにやけている。まるで何かを楽しんでいるかのように。嘲笑っているかのように。
「何がおかしい?」
薪の問いにやはり瞑は答えない。しかし、瞑は薪の質問とは全く関係のないことを口にした。その口元は酷く歪んだ笑みだった。
「礼、とだけ言っておこうかね」
「は・・・?何を・・・」
瞑の攻撃を受けつつ攻撃しながらの会話のため、まともな会話はしていない。一方的な投げかけになっているその言葉のやり取りの中で薪はその瞑の言葉の意味を理解できなかった。そうして、この時の言葉の意味を知るのは今からずっと先の事。
膨大な眞稀が膨れ上がって破裂したのはそれから間もなくだった。それはあまりに突然で流石に薪もその眞稀の破裂に対応できなかった。軽くその場から飛ばされて数メートル先に着地した。しかし、瞑や圭を見るともっと吹っ飛んでいるところからこの眞稀の原点が何であるか悟った。
「幸奈・・・!?」
薪は眞稀の風圧を抑えながら急いで幸奈の元に駆け寄る。幸奈の近くには穂琥が居るはずだ。近くで眞稀の圧力を感じてしまってはいくら敵意がなくても危ないかもしれない。それに幸奈はコントロールが出来るとはとても思えない。
風圧の中心には震える幸奈が居た。その傍に穂琥が居る。まるで台風の目のように中心部だけ何もない、静寂とした空間だった。そこに穂琥は呆然と立っていた。
「し、薪・・・!幸奈さんが・・!!」
「あぁ、正直驚いた。幸奈!もう大丈夫だから!落ち着いて・・・」
「し、しん・・・くん・・・」
幸奈は震えた声で呼応する。
「もう、平気だから。落ち着いて。ゆっくりと・・・そう、力を緩めて」
薪の呼吸に合わせて幸奈はゆっくりと眞稀を下げいく。今まで一度たりとも眞稀を使用した事がない者がいきなりこんなに大きな眞稀を爆発させてしまっては死に至る事だってありうる。薪は自分の眞稀と同調させながらゆっくりと幸奈の眞稀を下げていく。
やっとの事で収まった眞稀は先ほどの大きさなどまるで無かった様に静寂と化し消え去った。そして当の幸奈は気を失ってしまっていた。
「やってくれるね!」
圭が叫び声を上げる。薪が鋭くそちらを睨む。後ろでゆっくりと立ち上がった瞑を見て薪は眉を寄せる。全くだ。戦っているときからわかっていた。あの瞑は全く本気で戦っていない。それで居て薪と拮抗して剣を交えた。元が死神であるのならそれは理解できるが、何が理解できないかって、『主』と呼ばれるものに付き従っているということ。
「いつまで時間をかけているんだ?」
突然空気を割るようにして声を張ったのは鼓斗だった。圭が口惜しそうに状況を説明して少し不機嫌そうに顔をしかめた。
「瞑。お前が居ながら何でこんな事態になった?」
「・・・・・・」
「応える気など無いか」
呆れたように鼓斗は瞑から薪へと目を移す。それから強烈な眞稀が迸る。穂琥はそれに軽く気圧されたが薪は微動だにしなかった。あの程度の眞稀では気圧されるわけがないのだ。なんたってあの巧伎の眞稀を幼少期に何度も受け続けているのだから。それよりも慣れない死神の力のほうが今の薪にとっては堪える。
「ひとまず、そこの女を始末させてもらう」
鼓斗は素早く刀を用意すると薪に飛び掛る。
「へぇ。幸奈をやるって言っているのにオレに突っ込んでくるのか?」
鼓斗の刀を簡単に受け流しながら薪が飄々と言う。鼓斗は面倒くさそうな表情を浮かべながらもふんと鼻を鳴らして言う。
「よく言うな。結局、お前を鎮圧しなければあの女に手など届かないだろう」
「へぇ。わかっているねぇ」
薪のその余裕の態度が気に入らないのか、鼓斗はさらに刀を振り回す。しかし、それを意図も簡単に受け流すので鼓斗はさらに手に力を篭めていた。
ドン。鼓斗が勢いよく前のめりに倒れたのは薪が切りかかろうとしたところだった。薪は驚いて刀を止めた。鼓斗が素早く起き上がって怒号を上げた。
「瞑!何をしやがる!!事と場合によってはお前でもただでは済まんぞ!」
「黙れ、餓鬼風情が」
放ったその言葉に鼓斗だけでなく薪も竦む。
「そんな荒れた力で『スウェラ』が斬れるか」
低く重たいその声は耳を解して心臓を貫く。無駄に意気が上がってしまうほどの重圧に薪は歯噛みする。
「さて。二対一か。キツイなぁ・・・・」
「居るだろう?そこに、眞匏祗が」
薪の言葉に鼓斗が笑いながら言う。穂琥を指差して。
「残念だがあいつは戦闘要員じゃないんでね。相当なことが無い限り先頭にはださねぇよ」
薪の言葉に鼓斗はにやりと笑う。それから躊躇無く穂琥へ斬りかかる。薪は穂琥と鼓斗の合間に入って刀を受け止める。その直後、薪の右脇腹に激痛が走った。鼓斗を勢いで投げ飛ばしその激痛の原因を弾き飛ばす。
目の前で一体何が起きたのか、一瞬過ぎてわからない。鼓斗が来たかと思ったら薪が来て、薪が来たかと思ったら瞑が来て。それから目の前には誰も居なくなった。
「薪!?平気!?」
「大丈夫だ、とりあえずここは引くぞ!」
「あ、う、うん!」
「させるわけ無いだろう!?」
鼓斗が鋭く刀を振り上げる。薪はそれを上手いこと避けて穂琥のほうへ走る。穂琥と自分との間に瞑が滑り込む。あまりに突然の乱入に勢いが止まらず瞑の懐に突っ込んでしまった。
本当に短い時間だったはずが酷く長い時間に感じられた。そっと頭の後ろに手が回されて瞑が薪の耳元に口を近づけて小さく囁く。その言葉を聞いて薪は仰天する。そうして瞑は薪を地面に叩きつける。
その時間は現実にしてみればきっと一秒も無かったかもしれない。それでも薪にとっては何十秒にも、何分にも感じていた。そして瞑の言ったその言葉の意味を理解できずに地面に叩きつけられても混乱が解けず、直ぐに動くことを忘れた。
「幸奈さん!!」
穂琥の叫び声で薪ははっとして飛び上がって幸奈の倒れていたほうを見る。そこで目に映ったものに薪は全身の力が抜けた。
幸奈の身体を見事に貫通する瞑の刀。幸奈は全く以って微動だにしない。瞑はそのまま幸奈を投げるように地面に叩きつけると踵を返して数歩歩いて姿を消した。幸奈を仕留めたことで圭も鼓斗も満足したらしく、同じ様に姿を消した。
すぐさま傍に駆け寄った穂琥は幸奈を抱きしめて何度も名前を呼んだ。何度も。それでも幸奈はぐったりとして動く気配を見せない。
「幸奈さん!幸奈さん!!お願いです!目を開けてください!!幸奈さんってば!」
叫ぶ穂琥の手から薪は幸奈を奪い取る。そして様子を確認していた。穂琥はただ、幸奈が真っ青な顔をしてぐったりしているのでそれが怖くて涙が止まらなかった。確実に匂う死の気配。それだけで穂琥は目の前が真っ暗になってしまっていた。それに反して薪は意外に冷静に幸奈の状態を見ている。
「何しているのよ!!何とか早く治療しないと!死んじゃうよ!薪!」
「・・・いや、するだけ無駄だ」
「何言っているの!?諦めないでよ!?まだ息はあるんでしょう?!」
「・・・」
穂琥の言葉に薪は答えない。ただ、刺された部分に手を当てているだけ。眞稀も何も練らずに。
「薪!あんたがそんな簡単に命を諦めるような奴だって思わなかったよ!私がやるから!」
「いや、いいんだ。本当に」
「何が!」
「幸奈は死なない」
「だからっ・・・え?」
薪の言葉に穂琥は思考が急停止した。横たえてある幸奈の腹部、つまり瞑に刺されたところに左手を添えてただ黙ってみている。穂琥はそんな薪に不安な目を送った。そうして薪の状態を少し確認してはたと気づく。左手で幸奈の腹部を抑えているのはわかる。では、右手は?膝を立てているために右手がどうなっているのか見えない。それでも穂琥は何故かそれに嫌な予感しなくて薪に尋ねる。
「薪・・・?右手、どうしたの?」
「え?別に。怪我はしていないぞ」
「そう・・・なの?」
薪の言葉にきっと偽りは無い。それでも穂琥の不安は消えない。何か嫌な予感がする。それがどんどん膨らんでいくのはきっと直感と呼べるものなのだろう。
「薪、右手・・・見せて」
「何だよ。別に怪我なんてしていないって言っているじゃないか」
「見せて」
穂琥は無理やり薪の腕を引っ張った。思いの他、薪の腕は簡単に前に出てきた。そして出てきた薪の手を見て驚いて思わずその手を離してしまった。
「ま、真っ赤ジャン・・・?!掌が・・・血まみれだよ?!」
「別に怪我じゃないって・・・」
掌を見せて薪が言う。確かにその掌に怪我の類は見えない。しかし、穂琥は一瞬でそれが何であるか理解した。
「薪!わき腹!!」
幸奈を跨いで薪の右に腰を下ろす。明らかに薪は嫌そうな顔をしていたが抵抗することは無かった。
「あぁっ・・・!?何これ?!」
薪の右脇腹は酷いまでに抉られていた。先ほど。穂琥の目のまで一瞬にて行われた刀の交差の中で瞑によって引き裂かれた部分だった。
「酷いよ、これ!?何とかして治さないと!」
「いや、今はいい。それより幸奈を運ぼう」
「え?!そんな事言っている場合じゃ・・・」
「それこそ、そんな事言っている場合じゃない。オレはまだ平気だが、このままだと確実に幸奈は死ぬ。いいのか、それでも」
薪の脅すような強い目に穂琥は無言で首を振った。それしか出来なかった。よしと言って薪は幸奈をおぶって立ち上がった。