最終話 喫茶こもれびの謎解き日和
翌朝、開店前に行われた採用面接の結果、美咲は喫茶こもれびの正式な従業員となった。
「採用条件を確認します」
カウンターを挟み、ひよりが履歴書へ目を落とす。
「勤務時間は原則として朝八時から夕方六時まで。休憩は一時間で、週休二日。忙しい場合は残業をお願いすることもありますが、残業代はきちんと支払います」
「さすが高瀬オーナー、しっかりしてるな」
「人を雇うんやから当たり前です」
「クリームソーダは?」
「従業員価格で提供します」
「無料ちゃうん?」
「そんな福利厚生はありません」
「交渉の余地は?」
「ありません」
「厳しい会社やなあ」
「嫌なら、今からでも辞退していいよ」
「働きます。よろしくお願いします」
美咲が笑顔で頭を下げる。
ひよりも立ち上がり、親友ではなく新しい従業員となった美咲へ、深く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして、ひよりが新しいオーナーとなり、美咲がその最初の従業員となった喫茶こもれびが始まった。
ひよりは店内の仕事と経営を担当し、美咲は持ち前の明るさと営業職で培った会話力を生かして客を迎えた。
最初はコーヒーの種類すら十分に分かっていなかった美咲も、ひよりに教わりながら少しずつ仕事を覚えていった。
「ブレンド一つと、アイスコーヒー一つ。それからクリームソーダ二つ」
「クリームソーダは三つやで」
「伝票には二つしか書いてへんよ」
「一つは私の分」
「仕事中に勝手に注文を増やさんといて」
「味見も仕事やろ?」
「一日に何回味見するつもりなん?」
「品質を維持するためには、何度でも確認せなあかん」
「私の言葉を都合よく使うな!」
二人のにぎやかなやり取りは、すぐに常連客たちの日常になった。
石田も新体制となったこもれびへ変わらず通い、SNSで店を紹介し続けた。
『長年愛されてきた喫茶こもれびが、若き二代目オーナーへ引き継がれました。名物のコーヒーと温かな雰囲気はそのままに、店内は以前よりもにぎやかになっています。もちろん、身近な謎を解く看板娘も健在です』
「石田さん、最後の一文はいりません」
「一番大事なところやろ」
「私はもう看板娘やなくて、オーナーです」
「ほんなら、謎解きオーナーやな」
「もっと嫌です!」
「二代目看板娘は私か?」
美咲が横から尋ねる。
「立候補せんでええねん」
石田の投稿や、それを見た客による口コミの影響もあり、喫茶こもれびを訪れる人はさらに増えていった。
平日の昼でも満席になる日が増え、休日には店の外で席が空くのを待つ客も現れた。
店が有名になるのはうれしい。
しかし、こもれびは昔ながらの小さな喫茶店だった。
カウンター席と窓際のテーブルをすべて使っても、入れる客の数には限界がある。
「これ以上お客さんが増えたら、回しきられへんな」
閉店後、美咲が売り上げを確認しながら言った。
「せっかく来てくれた人を、何組も断るのも申し訳ないよね」
「店を広げるしかないか」
「簡単に言わんといて。建物を大きくする場所なんてないやろ」
ひよりが答えた、その数日後だった。
こもれびの隣で長年営業していた洋服店が、店を閉めるという話を聞いた。
店主が高齢になり、後を継ぐ人もいないため、契約を終えて引退することにしたという。
「隣、空くんやって」
美咲が言った。
「聞いた。でも、次にどんな店が入るかは分からへんよ」
「ひより」
美咲が、何かを思いついたときの顔でひよりを見る。
「まさかと思うけど……」
「そのまさかや」
「借りられるか聞いてみる?聞くだけなら無料やで」
その日のうちに、二人は洋服店の店主を訪ねた。
「長い間、お疲れさまでした」
ひよりが頭を下げる。
「ありがとう。こもれびは最近、ずいぶん繁盛してるみたいやな」
「おかげさまで。ただ、店が小さいので、お客さんを案内できないことも増えてきまして」
ひよりが事情を説明すると、美咲が続けた。
「もし次の借り手がまだ決まっていないなら、この場所をこもれびの客席として使わせてもらえませんか?」
「ここを、喫茶店に?」
「はい。壁の一部を通れるようにして、今の店舗とつなげたいと考えています」
突然の提案に、洋服店の店主は驚いたものの、長く続いてきたこもれびが広がるのであればうれしいと賛成してくれた。
次に二人は、不動産会社と建物の貸主へ相談した。
隣の区画も借り受けたいこと。
二つの店舗をつなげるために、許可を得たうえで改装したいこと。
賃料が増えても経営を続けられるよう、売り上げの推移や改装後の計画も資料にまとめた。
そこで力を発揮したのが、美咲だった。
営業職だった頃の経験を生かし、改装後に見込める客数や売り上げ、商店街にもたらす効果を分かりやすく説明する。
「こもれびの客席が増えれば、商店街を訪れる人も増えます。待ち時間にほかの店へ立ち寄る人も出てくるため、うちだけの利益にはなりません」
美咲は相手の条件を確認しながら、賃料や工事の範囲について粘り強く交渉した。
ひよりも必要な費用と現在の売り上げを何度も計算し、無理なく返せる範囲で改装資金を準備した。
何度もの話し合いを経て、二人は隣の店舗区画を新たに借り受けることに成功した。
「ほんまに契約取ってきた……」
ひよりが契約書を見つめる。
「私を誰やと思ってるん?」
「クリームソーダばっかり飲んでる人」
「元営業職や!」
「知ってる。ありがとう、美咲」
「急に素直になるな。照れるやろ」
改装工事が終わると、喫茶こもれびは以前の二倍近い広さになった。
元の店内は大きく変えず、義雄と千鶴が作ってきたカウンターや窓際の席も残した。
隣の区画には新しいテーブル席を設け、田村が撮影した店の写真や、これまでに解決してきた謎にまつわる品々を飾った。
拡張後の店を訪れた常連客たちは、入口でそろって目を見開いた。
「広っ!」
「ほんまに隣まで店になってる!」
「これなら毎日来ても座れるな」
「毎日来るなら、ちゃんと毎回注文してくださいね」
「新しい席、俺の指定席にしてええ?」
「指定席制度はありません!」
義雄と千鶴も、客として新しくなった店を訪れた。
「ずいぶん広くしたな」
義雄が店内を見回す。
「勝手に変えて、怒ってます?」
「もうお前の店や。好きにしたらええ」
「でも、元のカウンターは残しました」
「残さんでもよかったんやぞ」
「残したかったんです。ここが、こもれびの始まりですから」
義雄は何も答えなかったが、満足そうにコーヒーを口へ運んだ。
それから一年が過ぎた。
広くなった喫茶こもれびは、寝屋川一番街商店街でも一、二を争う大きな店となった。
SNSだけでなく、地域の雑誌やテレビ番組でも紹介され、休日には行列ができることもある。
二人だけでは回せない時間が増えたため、忙しい時間帯には大学生や高校を卒業したばかりの若者をアルバイトとして雇った。
「注文を間違えても、最初は誰でも失敗するから大丈夫やで」
新人へ声をかけるひよりを見て、美咲が笑う。
「ひよりも昔、同じこと言われたん?」
「義雄さんには、次は気をつけろって言われた」
「全然違うやん」
「でも、失敗したあとも働かせてくれた。だから意味は同じやと思う」
ある日の閉店後、二人は新しく増えた窓際の席に座っていた。
美咲が一冊の古いノートを開く。
そこには、これまでこもれびへ持ち込まれた謎や、ひよりが解決してきた出来事が書き留められていた。
「なあ、ひより」
「何?」
「これ、物語にしたら面白いんちゃう?」
「物語?」
「今まで、いろんなことがあったやろ。誰も頼んでへんのに、ひよりが勝手に気になって調べ始めて」
「相談されたことも多いよ」
「自分から首を突っ込んだことも多いやん」
「言い方が悪いねん」
「写真の裏に残された約束とか、消えたコーヒーカップとか、大晦日のチョコレートとか。全部まとめて、小説にするねん」
「私が書くん?」
「当事者なんやから、ひよりが一番詳しいやろ。事実をもとにしたノンフィクション小説や」
「登場した人の名前や事情は変えなあかんよ」
「そこは許可を取ったり、分からんように直したりしたらええ」
ひよりはノートへ目を落とした。
そこには、こもれびで過ごした長い時間が詰まっている。
義雄と千鶴。
美咲や家族。
いつもの常連客たち。
この店を訪れ、胸の奥に隠していた思いを話してくれた人たち。
謎を解くことは、答えを当てることだけではなかった。
誰かが言葉にできなかった気持ちを見つけ、過去から前へ進む手助けをすることでもあった。
「確かに、書いてみたら面白いかもしれへんね」
「やろ?」
「でも、タイトルはどうするん?」
美咲は少し考え、窓の外から差し込む夕方の光を見た。
「『喫茶こもれびの謎解き日和』とか?」
ひよりは、その言葉を心の中で繰り返した。
自分では探偵ではないと言い続けてきた。
それでも、こもれびには今日も人が集まり、小さな謎と、その奥にある大切な思いが持ち込まれる。
「うん。ええタイトルやと思う」
その日から、ひよりは閉店後の時間を使って物語を書き始めた。
最初は何から書けばいいのか分からず、何度も文章を消した。
それでも、美咲や義雄、千鶴、常連客たちから当時の話を聞きながら、一つずつ思い出を文章へ変えていった。
数か月後、完成した原稿を前に、美咲が驚いた顔をする。
「ほんまに一冊分書いたん?」
「美咲が書けって言ったんやろ」
「言ったけど、まさか本当に書き切るとは思わんかった」
「無責任すぎるやろ!」
「それで、どうするん?」
「出版社へ送ってみる」
「採用されるかな」
「それは向こうが決めることやろ。送らんかったら、絶対に本にはならへん」
「ひよりらしいな」
二人は顔を見合わせて笑った。
ひよりは原稿の表紙を、もう一度確かめる。
『喫茶こもれびの謎解き日和』
その文字の下には、自分の名前が記されていた。
原稿を封筒へ入れ、丁寧に封をする。
そのとき、入口の扉が開き、頭上のベルが鳴った。
「すみません。少し相談したいことがあるんですが」
入ってきた客が、古い手紙を手にしていた。
ひよりと美咲は顔を見合わせる。
「謎解きオーナー、出番やで」
「その呼び方はやめて」
ひよりはそう答えながらも、客が持つ手紙へ視線を向けていた。
どうやら、こもれびに謎が持ち込まれる日々は、これからも変わらないらしい。
このときの二人は、まだ知らなかった。
ひよりが出版社へ送った物語が書籍となり、多くの読者に愛されるベストセラーになることを。
その本を読んだ人々が日本中からこもれびを訪れ、店の名前がさらに広く知られていくことを。
そして、二人が営む喫茶こもれびに、これからも数え切れないほどの出会いと不思議が待っていることを。
木製の扉が閉まり、ベルがもう一度、小さく鳴った。
温かなコーヒーの香りに包まれながら、喫茶こもれびの新しい物語が、今まさに始まろうとしていた。
完
あとがき
ここまで『喫茶こもれびの謎解き日和』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
本作は、寝屋川の小さな喫茶店を舞台に、好奇心旺盛な大学生・高瀬ひよりが、店へ持ち込まれる身近な謎を解いていく日常ミステリーとして始まりました。
ひよりは最後まで、自分は探偵ではないと言い続けていました。しかし、誰かが困っていれば放っておけず、気になることがあれば納得するまで調べてしまう。そんな彼女の好奇心によって、多くの謎と、その奥に隠されていた人々の思いが明らかになっていきました。
物語を書き始めた頃は、大学生だったひよりが、最後には義雄と千鶴から喫茶こもれびを受け継ぎ、オーナーになるところまで描くとは考えていませんでした。
ひよりや美咲、義雄や千鶴、個性豊かな常連客たちを書いていくうちに、喫茶こもれびは登場人物だけでなく、僕にとっても大切な居場所になっていきました。
義雄と千鶴が築いた店をひよりが受け継ぎ、その隣には履歴書を持ってきた美咲が立つ。最後は、ひよりがこれまでの出来事を『喫茶こもれびの謎解き日和』という一冊の物語にする、本作そのものへつながる形で締めくくらせていただきました。
物語はこれで完結となりますが、喫茶こもれびの日常はこれからも続いていきます。
今日も木製の扉が開いてベルが鳴れば、誰かが新しい謎を持ってくるかもしれません。ひよりはきっと「私は探偵ではありません」と否定しながら、それでも気になって調べ始めるのでしょう。
ここまでひよりたちを見守り、喫茶こもれびへ足を運んでくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




