世界最強の剣士
空を見上げれば清々しいほどの青空が広がっている。風が頬を撫で、心地の良い太陽の光を俺を優しく包み込む。
「いい天気だな」
戦いに明け暮れていたあの日々の中ではこんな些細な事にすら気付けなかったな。王都の喧騒から離れた田舎ならでは暖かさ。
空を自由に飛ぶ鳥、放牧された家畜が自由気ままに野草を貪っている。少し離れたところでは子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。なんて平和な光景だろうか。
そのまま目的地も決めず自由気ままに村の中を散歩していれば、外様の俺に対しても村の人たちは気さくに話しかけてくれる。
長い付き合いの知り合いに紹介して貰った、遠い遠い辺境の村ではあるが⋯⋯いいところだなと心から思った。
「おい、聞いたかよ。あの剣聖がダンジョンの探索中に亡くなったってよ」
「嘘だろ!あの英雄様でも攻略できないダンジョンがあるってのかよ」
村の中を歩いていると、二人組の若者が興奮した様子で話しているのが耳に入った。正直、聞きたくもない話題だ。
世界各地に点在するダンジョン。それを制覇した冒険者は英雄の一人として扱われる。今、話題に上がった剣聖と呼ばれる男もダンジョンを制覇した英雄の一人だ。
「信じられないよな。三つ目のダンジョンも制覇間近って言われてたのに」
「もし制覇してたら御伽噺に出てくる英雄をも超える偉業だろ?二つのダンジョンを制覇する事さえ前人未到の偉業だってのに」
「バカ言うなよ。そもそも一つのダンジョン制覇する事すら並の冒険者には出来ないんだぞ。二つのダンジョンを制覇した剣聖がイカれてんだよ」
「普通はダンジョンを制覇して英雄の一人に数えられたら冒険者を引退して、どこかの国に所属するもんな。ダンジョン制覇の偉業だけで引く手数多だ。条件をもっと良くしようとして欲をかいて死んだなのかもな⋯⋯剣聖は」
「かもな」
若者の二人が楽しそうに笑っている。本人が聞いていないと思って好き勝手言っている。こんな田舎じゃ都会と違って娯楽も少ない。信憑性もない噂ですら、彼らにとって娯楽の一つなのだろう。
ただ、話の内容は聞いていていい気はしない。剣聖の事を何も知らないで、会ったこともないのに憶測だけで話して笑う。腹の立つ話だ。
「あっ!ロゼッタさん!」
気付けば足が止まっていたのだろう。二人の若者のうちの一人が俺に気付いて笑顔をを浮かべて話しかけてきた。一瞬、胸やお尻に視線を感じたのを見逃さない。女になってからというものこういう視線に敏感になった。
目の前の若者二人はまだ10代で俺に比べて、とても若い。有り余る性欲を持て余している年頃だろうな。
「こんにちは。何のお話をしていたの?」
「ロゼッタさんも聞きましたか?あの最強の剣士、剣聖───ロゼ・アレクサンドロスがダンジョンの探索中に亡くなったそうです」
噂自体は今日の明朝頃から流れていた。旅の商人が村に商売に来ていたからな。噂を流したのは十中八九あの商売だ。
辺境の地にあるこの村が世界の情勢や、英雄が亡くなったなんて情報を手にする機会は限られる。風の噂すら簡単には流れてこない。
「そうなのですか!あのロゼ・アレクサンドロスが!」
自分でも白々しい演技だとつくづく思う。それでも目の前の二人の若者は、噂話を聞いて俺が驚いていると思っている。
「はい!ロゼッタさんは王都から来られたんですよね?もしかして、会ったことがあるんですか?」
「そうですね⋯⋯会ったことはありませんが、かの剣聖についてはそれなりに知ってますよ」
「やっぱり王都にいたら耳に入ってきますよねー。けど、安心しました」
「何がですか?」
若者の二人が胸を撫で下ろしている。俺が剣聖と会っていないことに、何故この二人が安心擦るのだろうか?理解に苦しむ。
「だって良く聞くじゃないですか。かの剣聖は無類の女好きだって。貴族の令嬢を何人も侍らせてるとか。世界最強の男だからってやりたい放題してるって」
「なんだよお前、ロゼッタさんがもしかして⋯⋯なんて心配してたのか?」
「そうだよ、悪いかよ!」
本当に好き勝手言ってくれる。
女好きだとか、貴族の令嬢を侍らせているとか、ありもしない噂を信じて、剣聖をこき下ろして俺を気遣うことで自分の印象を上げようとしている。ちらっちらと俺の顔色を窺っているのがその証拠だ。本当に腹が立つ。
だが、彼ら二人にとっては仕方ない話だ。今の俺は王都からこの村へと越して元冒険者の女───ロゼッタでしかない。
まさか今、渦中の人となっている世界最強の剣士───ロゼ・アレクサンドロスが、女になっているなんて、到底思いもしないだろう。
俺だってそうだ。
どうしてこんな事になったんだろうなって、しばらく経った今でも思う。
そう、あれは俺が三つ目のダンジョンの制覇まで目前まで迫った日のことだ。
世界最強の剣士として、最初に名前が挙がる者を知っているか?
───『剣聖』ロゼ・アレクサンドロス。
すなわち、俺だ。
自分語りにはなるが、剣聖の過去の話ってなると聞くだけでも十分に価値はあるから、少しばかり聞いてくれ。
俺は農村の貧しい家に生まれた。日によっては食い扶持にも困るような貧しい家だ。俺はその家の長男として生まれた。
他と違うのは、物語に出てくる英雄に憧れて齢3歳から剣を振るっていたことだろうな。特に俺は剣の才能が他の人間より秀でていた。
ひたむきに鍛錬を続けていれば、10歳の時には村で一番強い男になっていた。体格が倍以上違う相手でも剣を持っていれば誰にも負けなかった。
15歳になった時に両親の反対の声を振り切って村を出た。跡取りだかなんだか知らないが、俺は農夫として一生を終えるつもりはなかった。
物語に出てくる英雄のようになりたい。
俺はその思いから王都へと旅立った。少し歳を食ったあたりから両親に申し訳なさを感じるようになったが、それはまぁ置いて置くとしよう。
英雄になる近道は冒険者になることだと言われている。世界各地に点在する誰が造ったかも分からない謎の建築物───ダンジョン。
中には莫大な富が眠っているとされているが、ダンジョンの中にはモンスターと呼ばれる怪物がひしめき合っている。
冒険者と呼ばれる者たちはダンジョンに眠る富と名声を求め、命懸けの冒険を日夜繰り返している。そして、ダンジョンを制覇した者は英雄として称えられる。
世界有数の指折りの実力者でなければダンジョンは制覇できないと言われているからな。ダンジョンの制覇者という肩書きはそれだけで大きな意味を持つ。国によっては爵位を与えてまで囲い込もうするレベルだ。
後は知っての通りだ。王都についた俺はギルドで冒険者として登録し7年の歳月をかけてダンジョンを制覇し、英雄の一人として扱われるようになった。
『剣聖』と呼ばれるようになったのはこの時からだ。
それから更に5年かけて俺はまた一つダンジョンを制覇した。前人未到の境地⋯⋯数多の英雄でさえ成し遂げられなかった二つのダンジョン制覇を俺は成した。御伽噺の話を実現させた。
最強の剣士として最初に名前が挙がるのも納得の理由だろ?多くの冒険者がダンジョンの制覇を夢見て、志半ばで消えていく。
ダンジョンを制覇した英雄でさえ、更なる名声を求めてダンジョンに潜りその命を散らす。それを理解すれば俺が成し遂げた偉業がどれほど偉大かが分かるだろう。
そして更に10年の時をかけて、俺は三つ目のダンジョンを制覇しようとしている。俺の年齢も今年で37歳⋯⋯歳を重ねる事に体は思うように動かなくなるが、俺の技術はより一層磨かれていく。
剣一本握りしめて俺の前に立ち塞がるモンスター共を蹴散らしながら奥へ奥へと進む。俺の長年の勘が確かなら、ダンジョンの最奥地───ボスエリアはもう直ぐだ。
さぁ、どんな強敵が俺を待っている!?
「あん?」
カチッというスイッチが入る音がした。
警戒していたつもりだが、古典的な罠に引っかかってしまったようだ。
罠が作動して俺を中心に魔法陣が広がっていく。赤い色に古代文字。意味は爆破か。
これもまた古典的な罠だな。踏んだ者を中心に大爆発を起こすというもの。モンスターの脅威だけでなく、こういった罠によって命を散らす冒険者は多い。
だが、俺は並の冒険者じゃない。英雄の中でも更に抜きん出た存在。世界最強の剣士ロゼ・アレクサンドロスだぞ。この程度の罠、簡単に対処して見せるさ。
足元に広がる魔法陣に魔力が籠り、赤く光る前に地面を蹴って距離を取る。この判断を一瞬でするのが一流の冒険者だ。
「ふっ」
爆発の範囲外へと逃れた俺の視線の先で罠が作動して爆炎が巻き起こる。あれに巻き込まれたらタダではすまないだろうな。巻き込まれたらの話だ。
「甘いな。俺は最強の剣士、ロゼ・アレクサンドロスだ」
余裕の笑みを浮かべ一歩足を踏み出した時、カチッとスイッチを踏む音がした。罠と認識した瞬間には俺の足元から煙が吹き出していた。
「くそっ!」
これまた古典的な罠じゃないか!だが俺はダンジョンで得た装飾品で眠りや痺れ、毒に対してに耐性がある。少し煙を吸ってしまったが問題はない!
この類の罠はダンジョンの至る所にある。当然対策はしている。だから問題ない⋯⋯筈。
「っ───!」
煙を吸った瞬間から体に激痛が走る。
なんだ、これは!!
俺が身につけている装飾品の耐性を無視している!?なら、これは毒じゃない!ましてや呪いでもない。
「ぐっ⋯⋯がぁぁぁ!」
体の中の骨が軋む。バキボキと中がぐちゃぐちゃになるような音と共にこれまで感じた事がない激しい痛みに意思が飛びそうだ。
「あああぁぁぁ!!!」
それでも意識を手放すまいと痛みに耐えながら力の限り吠える。ダンジョンで意識を手放せばどうなるか⋯⋯冒険者なら誰もが知っている。耐えろ⋯⋯耐えろ。
俺を誰だと思ってやがる!俺は世界最強の剣士ロゼ・アレクサンドロスだぞ!この程度の痛みで死に絶えるほど軟な男じゃねぇんだよ!!!
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ」
どれだけ時間が過ぎただろうか。何度も意識が飛びそうになりながら、意地と気合いだけで耐えて耐えて耐え抜いた。
長い冒険者人生の中でも初めても言える激痛が、ようやく収まった。まだ、ダンジョンにこんな凶悪な罠があるとはな⋯⋯。だが、生き延びたぞ。みたか、これが最強の剣士の底力だ。俺はこの程度の罠で死ぬような男じゃない。
だが、⋯⋯思っていたよりもダメージが多いな。この俺をもってしても立っていることがやっと。気を抜けば意識を手放してしまうだろう。くそっ、ここまでダメージを負ったとなるの今日でダンジョンを制覇するのは流石に不可能か。
「仕方ないか」
帰還用の転移石もちゃんと持ち合わせている。今日は撤退して傷を直してから再度挑戦するとしよう⋯⋯ん?
自分の声に違和感を感じる。
「あ!あ!あぁぁ!」
なんで俺の口から女の声がしている?俺の声は貴族の令嬢にも好評な低い男らしい声だった筈だ。なんで俺の口からこんな女みたいな声がしている?
体に起きた異常を確かめるように手を確認すると、そこにあったのはゴツゴツとした男らしい手ではない。剣だこ一つない、きめ細かい綺麗な手。
「なんだ、これ⋯⋯」
可愛らしい声が俺の困惑を代弁している。
視点をゆっくりと下げれば男の俺にはなかった筈の胸の膨らみがある。震える手で触ってみると、柔らかい感触が手に伝わってくる。それと一緒に胸を触られた感触がある。
「まさか⋯⋯」
嘘であって欲しいと願いながら、手を下半身へと持っていく。俺の手が触れた先に⋯⋯ある筈のものがない。
「俺の相棒がなくなってる」
いや、それどころじゃない。これは⋯⋯体が女体化しているのか?鏡がないので自分の姿がどうなっているか確認できないが⋯⋯このような現象に心当たりがある。
だが、あんなものは都市伝説でしかない。それこそ御伽噺に出てくる笑い話だぞ。
まさかこの俺がダンジョンに眠る最悪の罠───『性転換トラップ』に引っかかるだと!?
震える手で頬を抓ると痛みが広がっていく。残念ながら悪い夢ではないらしい。
「ちっ⋯⋯まぁいい。ダンジョンの罠であるなら解除方法もこのダンジョン内にある筈だ。後でじっくり探索して元の体に戻ればいいさ」
参考になるかは不明だが、物語で女体化した剣士はダンジョンの中で見つけた秘薬で男の体を取り戻した。まだ元に戻れる可能性は残されている。
「今日の探索は無理だな、一度帰るとしよう」
罠で体を作り替えられたせいか疲労で体を動かす気力もない。こんな状態で秘薬を求めてダンジョンを探索するほどバカではない。
痛みによって手放して、地面に転がっている愛剣のグレートソードを拾ってさっさと帰るとしよう。
「ん?⋯⋯え?」
いつもの要領で剣のグリップを持って背中に背負おうとしたが、剣が重くて持ち上がらない。
今の体は疲労困憊だ。だが、冒険者人生でこれよりも疲れていた時は何度かある。その時でさえ剣を持ち上げて背中に背負うくらいは余裕で出来た。
だと言うのに、どれだけ力を入れても剣が重すぎて持ち上がらない。ほんの少しだけグリップの部分が上がってはいるが、いつものように背中に背負うのは絶望的だ。
「嘘だろ⋯⋯」
女体化したことで剣すらまともに持てなくなったって言うのか? 俺の自慢の肉体も全てなくなってしまったってことか⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯」
思考が巡る。
長年冒険者を続けてきた冷静な部分が一つの答えを俺に導き出す。
「帰ったらそのまま引退しよう」
剣すらまともに持てない冒険者がダンジョンを探索するのはどう考えても不可能だ。俺が潜っているダンジョンの過酷さは他の誰よりも理解している。だから諦めた。
体が元に戻らなければ剣もまともに振れないのでダンジョンには潜れない。だが体を元に戻す秘薬はおそらくこのダンジョンのどこかに眠っている。ぶっちゃけ詰みだ。
「はぁ⋯⋯」
俺の輝かしい冒険者人生もここでおしまいか。できることなら三つ目のダンジョンを制覇して、俺の名前を後世にまで残して引退したかったな。
まぁ、金はたんまりとあるからどうにかなるだろ。隠居だ隠居だ。
ゆるーく余生でも過ごすとしますかね。




