【短編小説】きれいなみず
朝起きるとコップ一杯の水を飲まされた。
冷たい水だ。
アトピー性皮膚炎によく効くと言う高い浄水器を親戚から買ってきて以後、毎日だ。
その浄水器から出た水で黄色く汚れた浸出液まみれの顔を洗わされたが、不愉快さを不愉快で洗うのは難しい。
嫌悪倦怠、疲労とウンザリ。
あっという間に無気力で飾られたクソのミルフィーユがそびえ立つ。
アトピー性皮膚炎がマシになってから、もうその水は飲まなくなった。
その水が効いたのかは知らない。
別に水で良くなったとは思わない。
しかし相変わらず人生はクソだ。ずっとクソのミルフィーユだ。
いまもクソのミルフィーユだし今後もクソのミルフィーユだろう。
別にそれで構わない。
そもそも世界がクソなんだ。
だがスノッブな奴らが斜陽だと嘆く言葉は鼻糞より軽く価値が無い。
奴らから死ねば世界は少しマシになる。
電車に乗ればそこにいるのは自宅との境界が曖昧な奴らばかりだし、飯屋に行けば塩と油で飾った粗悪なタンパク質しかない。
本屋を覗けば呪術と大差無い医療本が山と積まれている。
本を読んで治せるならそうするし病院に行かないで済むならそれでいい。
逆の棚には何て書いてある?
「投資述」「金融教科書」「資本の新常識」「FIRE」「銭」「金」「金」「金」「金」「金」
その通りだ。
おれたちは資本主義の走狗だ。
ウンザリして見上げた天井には「下を見ろ」と書いてある。
下を見れば床に「死ね」と書いてある。
厭になって檸檬のひとつも置かずに本屋を出る。
欲しかったのは第三次世界大戦の脚本だ。
もしくはおれが書いた本だ。
その本を買って街を歩くのさ。
本を買う金は海岸で拾った流木とか小綺麗な石売った金かも知れないし、盗んだ車を売っ払った金かも知れない。
自分を売った金でもいいし、オヤジを狩った金でもいい。
金は金だ。
単なる道具でしか無い。本が本でしか無いのと同じ様に。
ビジネス新書だろうが純文学だろうがビニール本だろうが変わりなく本は本だ。
金も本も腹を満たす事はない。
燃やした時に暖を取れる程度だ。
結局、必要なのは本を捨てて街に出る事だ。
生活。生活。生活。
生産。
労働と消費と納税。
その隙間にあるのが金だ。
殺せ。
誰かが掘ったトンネルを潜って雪国だの胎内巡りだの成長の暗喩だのと言う奴らから殺せ。
高い浄水器からきれいな水が出続ける。
その綺麗な水はコップからあふれ出ると、部屋を満たした。
高い浄水器のきれいな水が内蔵に流れ込む感覚。
高い浄水器のきれいな水で顔を洗う痛み。
真実はそれだけだ。
そこには雪国も成長も無い。
願いも祈りも無い。
生きる苦痛だけがあった。
きれいな水は窓を割りドアを破った。
そのきれいな水は宇宙を満たしてきれいにした。




