桔梗の愛
花屋の店先に並んだ色鮮やかな花達を顎に手を当てながら悩んでいると
「どんなお花をお探しですか?」
感じの良い20台後半くらいの小柄な女性が小さな花のように可愛らしい笑顔で接客しに来る。
「妻に花を贈ろうかと思いまして」
「奥様への贈り物ですか、何か特別な日なのでしょうか?」
特別な日と問われ「えっと」と少し考えてから
「いえ、日頃の感謝を込めての贈り物ですね」
「それはいいですね! 奥様の好きな色とか分かりますか?」
「好きな色ですか……」
白い服をよく着ていたがあれは好きな色だったのだろうか? 小物はどうだっただろう、家の中にある妻の物はどうだっただろう……。
「そしたら、奥様のイメージに合う花を選ばれたらいかがでしょう?」
中々、答えを出さない僕に痺れを切らしたのか、助け舟を出してくれたのか花屋の彼女は別の提案をする。
妻のイメージ、それこそよく着ていた服の白色が真っ先に思い浮かぶが、そんな安直でいいのかと思ってしまう。
「少し見て回ってもいいですかね?」
「勿論です!」
と快活に花屋の女性は答えてくれる。
「これなんかどうですか?」
店の中に僕以外に客がいない為か花屋の女性は後から付いて来ており、どうやら僕に付きっきりで接客
してくれるようである。
彼女が見せてくれたのは真っ赤な薔薇であった。
「情熱の薔薇です。ブルーハーツです。それともバラ色の日々が好きだったりします? あ、もしかして情熱の赤いバラが好みですか?」
薔薇の名前が入った曲のタイトルをあげる花屋の女性。
花を関していれば何でも知識に入れるのだろうか、もしかしたら客に対して話のジャンルを広げる為にわざわざ覚えたのだろうか。そうであったら彼女のプロ意識には脱帽である。
しかし、全て有名な音楽でどれも聞いた事があったが、あまり妻のイメージには合わない気がする。それに、薔薇の花を贈る自分の姿も想像できない。
情熱の赤は僕には少し重すぎるようである。
申し訳なさそうにしながら薔薇を断ると他の商品を見て次は
「向日葵なんかどうです? 夏ですし季節にも合っていると思いますよ。花言葉もポジティブな意味も多いですから贈り物にぴったりですよ。11本の花束で『最愛』なんて花言葉もあります。密かに愛を伝えたい人むけです。まぁ、花屋の私が言うのもなんですが個人的には愛の言葉は直接言葉で伝えるべきだと思いますが」
花屋の女性はその饒舌さに段々とエンジンが掛かってきているのか、口が止まらない様子である。
向日葵は僕を見つめているように黄色く大きな花をこちらに向けている。
確かに妻の笑顔は好きだったが、こんな煌々とした様子でもない気がする。どちらかと言うと、花屋の女性にぴったりな花のように思えた。
「ちょっと妻のイメージとは違いますかね。ごめんなさい、せっかく選んで下さっているのに」
「いえいえ! こちらこそいっぱい喋ってごめんなさい、花選びになるとついつい気が入り過ぎちゃうので」
と、照れ臭そうに言いつつ活発な笑みを向ける花屋の女性。やっぱり向日葵は彼女だと感じる。そして、そうであれば尚更、僕の妻は向日葵ではないと思えた。
他の商品を紹介しようとノリノリで先導する花屋の女性の後を付いて行きながら自分でも花を探していると、それが目に留まった。
それを細いツタから伸びた先に薄紫色の花弁をつけた小さな花だった。
これだと思った。これはアイツだと思った。
「あの、すみません」
と、次の花の説明に行こうとしている花屋の女性の後ろ姿に声を掛けると彼女は笑顔で「はい」と振り
返る。
「これなんですけど」
おずおずと示す僕の指先を見て彼女の顔が更にパッと華やいだ。
「桔梗ですか! なるほど、なるほど」
と、親しい人間を相手にするように彼女は頷く。距離感を掴むのが上手いのか下手なのか分からない店員であった。ただ嫌な気持ちはしない事を思うと上手であるように思える。
「奥様はさぞ清楚でお綺麗な方のようですね。花屋の勘がそう言っています」
そろそろため口になるのではないかと言う距離まで迫って来ている気がするが、あまり気にもならないので彼女の問いに答える。
「まぁ、そうですね。物静かな人で騒いだりはしゃいだりするタイプではないですね」
それでも偶に見せる笑顔は花のように美しかった。と、ここまで言うには少し恥ずかしかったので心の内にとどめて置く。
「だとすると奥様にピッタリなお花だと思います。花言葉も『清楚』や『誠実』『気品』なんかがありますし」
なんだか確かにその花言葉はイメージ通りに思える。妻にではなく桔梗の花に対してそう思った。ただこの花を一目見た時に妻のように思えたのだからそのイメージはそのまま僕が妻に思っているイメージなのかもしれない。
「それに『変わらぬ愛』なんて花言葉もあって、とってもロマンティックなんですよ」
それを聞いて胸がピリっと痛む。とても残酷な事を聞いた気がした。
「これにします。お願いしてもよろしいですか?」
「はい! かしこまりました! お花は桔梗だけでよろしかったですか?」
「そうですね。それでお願いします」
「色はどうしましょう。青、紫、白、ピンクがありますが。予算に合わせて本数を決めますので、その分だけ色を混ぜて作る事も出来ますし、大体の色の配分を決めて頂く事も出来ます」
「紫を多めにあとはお任せします値段は5,000円程で」
「かしこまりました! 少々お待ちください!」
そういうと花屋の女性はさっさと花束を作る作業を始めた。少し待っていると「お待たせしました」と完成した花束を持って来てくれた。薄紫の中に青や白が散りばめられた美しい花束であった。
「それではこちらで会計を」
とレジに案内され言われた代金を払っている途中、ふとある事に気付く。
「そういえば、4色あったのに3色しか使ってないんですね」
確かこの花束に使われている紫、青、白の他にもう一つピンクがあったはずだが。
「申し訳ありません。実はこちらの勝手な判断でピンクは控えさせて貰ったんです。ピンクの桔梗が入っていた方がよろしかったですかね」
申し訳なさそうな顔を浮かべる花屋の店員は今にも別の花束を作り始めそうな雰囲気を醸し出していたので急いで大丈夫である事を伝える。
「いえ、僕はこの花束で大変満足しています。でもよかったら理由を聞いてもいいですか?」
と、言うと花屋の女性は安心したようにホッと一息吐き話始める。
「そうですね、桔梗ってポジティブな花言葉が多いんですけど、ピンクだけ少しネガティブな言葉があるんですよ。というのも、ピンクの桔梗が登場する物語があるんですが、愛ある話なんですけど夫婦が不幸になる物語でして奥様への贈り物だと言う事で少し控えさせて頂きました。唯一、『薄幸』なんてネガティブな花言葉もつけられていますし」
納得のいく説明である様に思えた。元から文句があった訳ではないのでその話を聞いたから、この花束をどうするという事はない。ただ、花束を変える事はないが、僕はピンクの桔梗を一本だけ欲しいと花屋の女性に伝えた。
花屋の女性はやっぱりピンクもあった方が良かったのかと焦っていたが、ピンクは贈り物とは別に欲しいと思った事を伝えると、少し不思議そうな顔で一本を丁寧に包み僕に渡し代金を言う。
代金を渡すと花屋の女性は言う。
「でも、花言葉は花言葉ですから、結局、渡す人の気持ちが一番大切だと私は思いますよ」
「私が言う事ではないですが」と続ける花屋の彼女。それは確かに言えた立場じゃないなと思う。
話を聞いても買った私への気遣いであろうと思い、その気持ちは素直に受け取る事にした。
「どうも、ありがとうございました」
と、軽く会釈して桔梗の花束と一輪のピンクの桔梗を持って花屋を出ていくと「ありがとうございました! またお越しください!」と元気な声が聞こえてきた。振り返らなくともあの向日葵のような快活な笑みを花屋の彼女が浮かべているのが想像できた。
目的地に着くまでに花屋の女性が言っていた話を調べてみた。
戦争に出た夫が妻の元に帰ると、豪華なお祝いの準備がされており、それを自分とは別の男との結婚祝いと勘違いした夫は激怒し、誠実さを伝えようとした妻は自殺し、本当の思いを知った夫もそれを追って自害するという話だった。
「僕は君を追う事は出来なかったな」
調べた物語を思い出しながら夏の太陽で熱くなった妻の墓石に水をかけながらそう呟く。
事故で死んでしまった妻の命日に僕は彼女に花束を贈りに来ていた。
線香をあげると煙の香りが鼻から抜けて行き、僕は手を合わせ、目を瞑り小さく俯いた。
目を開けて僕はそっと『変わらぬ愛』を供えてその場を後にした。
一人暮らしになった僕の家のテーブルに『薄幸』が一本だけ咲いていた。