第58話~トラウマ(ユーセ・クフェアという沼……その2)~
遡ること、10年前。
彼女は17才でまだ学生だったが、既に卒業後の婚姻が決まっていた。
幼い頃から美しく、隣に居るだけで不思議と『癒し』を与えてくれる、伯爵令嬢のユーセ・クフェア。
彼女が抱える唯一の問題は、途絶えた事のない、求婚の嵐だった――。
そんな日々から解放されるべく、クフェア家が早々と数多くの候補から婚約者に選んだのは、ユーセより2つ年上の『ルタウ・オルカット』という名の青年。
伯爵家の後継者でもあるルタウは、その柔らかな物腰や容姿に似合わず、仕事をテキパキと確実にこなす、優秀な人間だ。
親の決めた婚約だったが、当時のユーセに不満はない。
彼は常に彼女を気遣い、優しく穏やかに接してくれる。自分に『癒し』を求めずに『与えよう』とするルタウに、ユーセの心も次第に引かれ始めていた。
しかし……卒業まで1年を切ったばかりの春。何の予兆も無く、婚約が解消されてしまう。
理由はオルカット家が他国と手を組み、モスカトア王国の軍事機密を、漏洩させていた事実が判明したからだった。
この重大事件がキッカケで、ユーセとルタウの関係も、唐突に終わりを告げる。
『何も知らなかった』
その主張が認められて、ルタウ自身は罪に問われなかったものの、オルカット家の爵位は剥奪、資産も殆どが差し押さえられた。
一族の罪を認めた彼は、素直にそれを受け入れる。
ただ……ユーセを失う事だけは、どうしても納得が出来なかった。
『こんなにも愛し合っているというのにっっ!』
思い悩んだ末、ルタウは筆を取る――。
“愛するユーセ。
極東の国に、祖母の故郷があります。
モスカトアを出て、そこで2人の永遠を過ごしましょう。
16日の正午、思い出の丘で待っています“
ルタウの思い(手紙)を、手にしたユーセ。
『私だって、彼と一緒に行きたいっ! でも……』
誘いに応じれば、クフェア家に反逆容疑が掛けられる。
いずれ無実が認定されたとしても、調査と尋問の間に一族が崩壊してしまうのは、容易に想像が出来た。両親や姉弟……最近歩けるようになった甥っ子の顔が、脳裏に浮かぶ。
(ごめんなさい、ルタウ)
ユーセはクフェア家を……家族を選んだ。
その日の内に、急いで返事をしたためる。
“私は家族を裏切る事はできません。今まで本当にありがとう。どうかお元気で“
ユーセは短い文章で、なるべく期待を持たせないように努めた。
ルタウの幸せを願い、執事に手紙を託す。
これが彼に捧げる『最後の愛情……』となる筈だった――。
数日後。
何の予告も前触れもなく、クフェア家の『非日常』は始まった。
その原動力は恨み? それとも、底なしの愛情からか?
元・婚約者の行動が、今日もユーセを追い詰める。
「あの……ユーセ様? 本日も何通か届いておりますが、目を通されますか?」
執事が差し出した、手紙の束。
「ええ。申し訳ないけれど、また一緒に……」
「勿論です」
ベテラン執事に加えて女性使用人も、怯えた表情のユーセに寄り添う。
“愛しのユーセ。
貴女は今、誰を必要としていますか?
そろそろ、認めてはいかがでしょうか?
私でなければ、満たされないと。
他の人間では、貴女は汚れてしまう。
一刻も早く、私の元へ逃げて欲しい“
内容はどれも、差ほど昨日と変わらない。
だが……この狂気を帯びたラブレターは、1ヶ月間で何百通も、彼女の元に届いていた。
受け取り拒否や増員させた門衛に効果はなく、必ずそれは、屋敷の何処かに届く。
もはや1文字たりとも目にしたくはなかったが、中身を確認しなければ、命の危険に気付けない。
小さな言葉の変化でさえも『危うい』と、誰もが承知していた。
しばらくは攻撃に無反応を続けた。だがしかし、状況は少しも改善されない。
ただ2ヶ月を過ぎた頃から、手紙が花束へと変わった。
とはいえ中身は従来のそれとは程遠く、死者を弔う時に用いる草花だったり、全ての花が首折れしていたりと、やはり見るに絶えない物だ。
そんなある日――。
花束に小動物の死骸が添えられたのを期に、クフェア伯爵はルタウの異常行動に対し、抗議文を送った。
“これ以上の無礼があれば、国王の正式な許可の元、モスカトアから追放する“
それは抗議文をとは名ばかりの、最後通告だった。
オルカット伯爵夫妻(ルタウの両親)は、今も地下牢の中。
彼が何をしようと、止める人間が居ない現状を考えれば、当然の判断だ。
ここに来てようやく、通告が届いたと思われるその日から、嫌がらせはピタリと消える。
(良かった……)
数ヶ月振りに、緊張を解いたユーセ。
しかし、苦労して取り戻した『日常』も長くは続かず、以前よりも更に強烈な『非日常』が、クフェア家に訪れようとしていた――。
次回、第59話~トラウマ(ユーセ・クフェアという沼……その3)~
明日、投稿予定です。




