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37. 夢をくれたあなた。

 二十年前に、百年に一度の法則を破って“月の側”に転移した女性。彼女について知っていることは、泣きぼくろがあって凛とした美人であったこと、芯が一本通った女性であったこと、そして二十年前、子を身籠もっていたことだ。

 母はわたしと違って、大人びた顔立ちをしていた。性格についても、どちらかと言えば強気で、聞いたことと整合する。

 彼女が二十年前に身籠もっていたのは、わたしだろう。河津たちが言っていた、「今頃子供と幸せに暮らしているはず」という予想だけが、悲しいことに外れている。


 わたしを抱き締める紫水の背に手を回すこともなく、ただ突っ立っていた。今のわたしは紛れもなく、考えるあしだった。


 もう一つ、思い当たることがあった。


「変化したときの理性を代償に“陽の側”に帰したのは、お母さんなの?」


 紫水は頷く。


「そうだよ。法則を破って来たっていうのもあるけど、彼女には愛する夫と子供がいたからね」

「そもそもどうして変なタイミングで向こうに送られちゃったの」


 彼はゆっくり名残惜しそうにわたしから離れた。これまで見たことがないくらい慈愛に満ちた瞳が、じっとわたしに向いている。

 眉を下げて困ったように、


「どうしてだろうって二十年間考え続けていたんだけど、あのときのあすみちゃんのお腹には、きよのちゃんがいた。それが答えだったみたいね」


 と笑う。わたし? と問い返すと、また頷いた。


「きよのちゃんは異常なほど浄化する力が強い。お腹に宿った瞬間に陽と月のパワーバランスが均衡を保てなくなったんだ。だから応急処置的に“月の側”に送られた」

「この二十年、どうして均衡を保てていたんだろう」

「あすみちゃんに、浄化力の封印をしたんだ。僕は無理やりあすみちゃんを帰したことと、自然状態に逆らって封印したことに対する代償を払ったんだよ。でも心配だったから、時折こっちに来てあすみちゃんと会ってた。実は僕たち……一度会っているんだよ」


 母が長い時間を過ごした病室の景色と、目の前の紫水の姿とが合わさる。違和感なく溶け込んだ紫水には、確かに見覚えがあった。


「あのときお母さんに髪を結ってもらっていたのは、紫水だった……?」

「うん。今日は来ないと聞いていたからお見舞いに行ったのに、きよのちゃんが突然病室に来て驚いたよ。適当な隙を見て帰ったけどね。少しだけ記憶の改変をしたんだけど、思い出したんだね。あ、記憶の改変と言っても独学の催眠術を掛けただけだよ⁉︎」

「おかげさまで、かおりちゃんとお父さんに変な目で見られたよ」


 紫水はなんのことやらと首を傾げる。彼の片手を両手で取って、そっと握った。


「わたしに夢をくれたのは、紫水だったんだね。ありがとう」

「夢?」

「わたしね、お母さんが誰かの髪を結んでいるとき、すごく幸せに見えたの。それで美容師を目指すことにしたんだよ。だから紫水があのとき髪を結われていなければ、今のわたしにはきっと夢がなかった」

「……その夢を諦めさせようとしているのは、僕だよ?」

「夢があったから、今のわたしがあるんだよ。もちろん夢を叶えたかったけど、夢を持っていたことに意味があるはずなんだ」


 紫水のほうが泣きそうな顔をした。


 なんて表情してんの、とからかいながらも、“月の側”に帰らなければならない時間が刻一刻と近付いていることに気付いた。

 そういえばこちらでしておきたかったことを忘れていた。


「紫水。一緒にお母さんのお墓参りに行こう」

「いいの? ずっと無理に“陽の側”に来ていたから、彼女の体調がぐっと悪化してから世界のバランスが崩れかけて会えていないんだ。僕が最後に見たのは、痩せ始めた彼女だった」


 亡くなる直前の母の姿を思い出す。笑顔が不自然で、子供の頃のわたしは「怖いな」と思った記憶がある。


 墓地には同じ形をした灰色の墓石がずらりと並ぶ。生前には、個性が大事、信念が大事と言うくせに、死んだら個性も信念もあったものではない。


 わたしが母の墓参りを忘れるのには理由がある。石ひとつになってしまった母を受け入れられず、記憶から事実を弾き出そうとしているのだ。いつも墓参りをした後、ひどい悪夢にうなされる。

 初めて紫水が母の墓を見たときも、わたしと同じ様子だった。呆然としていて、現在の彼女の姿を拒否するように首を横に振る。


 墓石に刻まれた『松ヶ谷家』の文字を指でなぞり言う。


「“月の側”に来たとき、彼女は三國あすみだった。結婚の手続きが進んでいないとかなんとかで」

「ちょうどわたしが産まれる前、お父さんが単身赴任で海外にいたから。何度か向こうから書類を郵送してきたらしいんだけど、お父さん、書類の不備ばっかりで、全然手続きが進まなかったんだって」

「そうか。僕にとって馴染みがある三國姓はもう、古いんだね。……今さらだけど、結婚おめでとう」


 喉が締まったような声が、わたしの胸を締める。


 手を合わせ、母に思い思いの言葉を掛ける。お母さんが紫水に教えたラーメンの店で、今働いてるんだよ。お母さんのこと、河津さんたちがすごいって言ってたよ。


 ……わたし、もうここには来られないかもしれないんだよ。


 それだけは語りかけることが出来なかった。

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