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11. 紫水の覚悟とわたしの決心。

 困ったように頭を掻く紫水は、気まずい空気ごと食べてしまうように、チャーシューを口に運んだ。

 大口を開けて肉にかぶりつく彼の唇からは鋭い歯が覗く。獲物を捕らえて仕留めるさまが容易に想像できる、獣の牙。“月の側”に来てすぐに見た、獅子を口に咥えている紫水の姿を思い出す。

 わたしの視線に気付いて、「どうかした?」と尋ねられたが、「ううん、なんでもない」と首を振る。


 二人で神社へ出掛けたとき、彼の瞳に光がなかった。それが不気味に感じて手を振り払ったのだが。

 未だに見つめているわたしを首を傾げて見つめ返す彼の瞳は、命が宿っていて美しい。むしろ安心感を与えるほどの暖かい目をしている。


 あのときのビー玉のような無機質な瞳はなんだったのかと考えながらも、わたしはあのときのことを忘れたふりをして話し掛ける。

 決して謎が多く秘密主義的な彼を信頼したわけではない。けれどもわたしが“月の側”のことを聞ける人物は数少ないのだ。


「わたしが元の世界に戻る方法はある?」


 紫水は一度箸を止めたが、「食べながら話そうよ」と促してわたしも一本だけ麺を食べた。頬張った麺を飲み込むと、彼は眉を下げて言った。


「ごめんね、帰る方法はないんだ。正確に言うと『今はもうない』。ひとつだけ、大きな代償を伴うけれど方法はあったんだ。でももうその権利は使ってしまった」

「何人か“陽の側”に帰った人がいるってこと?」

「何人かじゃない。ひとりだけだよ」

「どうしてその人は帰らせたの」


 紫水は微笑んで「帰るべきだと思ったからだよ」とだけ答えた。

 わたしはそれ以上問い詰めなかった。彼の貼り付けたような笑顔と、言葉を続けようとしない様子から、話す気はないことが容易に窺い知れたからだ。


 もうひとつの気になったことを尋ねてみる。


「大きな代償、って? もう紫水は代償を払ったってことだよね」


 彼はまた口をつぐむ。代償についても話す気はないのか、と思っていると、おずおずと口を開いた。


「きよのちゃんは僕が変化した日のことを覚えているかい?」

「うん。ここに来たばかりで混乱してたけど、あまりに衝撃的な出来事だったから……」

「あのときの僕、完全に理性を失っているんだ。狐族は皆、変化が出来るんだけど、皆自分の意思で戦って、自分の意思で元の姿に戻る。本物の獣になって標的を追いかけ回して、始末した後も麻酔薬を打たれるまで誰かに危害を加えようとするのは僕くらいなんだよ。もはやどちらが悪かもわからないよね」


 そう言って嘲笑する紫水の表情は、あまりに痛々しかった。

 あの日、彼は獅子を噛んだ後もどこかへ駆け出そうとしていた。牙を剥き出しにして荒く息をする狐を見てわたしが感じたのは、『恐怖』だった。どちらが悪かわからない、という自虐を否定することもできず、わたしは黙り込んでしまう。


「河津さんたちが正確に麻酔を打ってくれるから安心だけど、もし元の姿に戻ったとき、大切な人の亡骸なきがらが隣にあったら。想像するだけで鳥肌が立つよ」


 まるで悪夢だ。大切な人が息を止め、ぴくりとも動かず、もしかしたら血に塗れ、口内には血の味が広がっているかもしれない。

 紫水は本当にその可能性と隣り合わせになって生きているんだ。目が覚めたらなんてことのない日常が待っている悪夢なんかじゃなく、動かしようのない現実として。


「戻れないだけで、変化するのは自制が利く。せめてもの幸いかな」


 獅子を追いかけるとき彼は意識的に狐になった。理性を取り戻して、どん底の絶望を味わうかもしれなかったのに。

 きっと兎部が傷付けられたから、被害者を増やすわけにはいかないと思ったのだろう。


 なにも言えないわたしに気を遣ったように、紫水は話題を戻した。


「そういえば、“陽の側”ではきよのちゃんが普段通り暮らしてることになっているよ」

「どういうこと?」

「自我も感情もない、偽物のきよのちゃんが、向こうの世界でこれまでのきよのちゃんと同じように振る舞っているんだよ。周りの人がきよのちゃんの意思だと思うものはすべて、プログラムされたものなんだけど」


 ニュース番組で観た、『思考や行動を学習して会話を成立させるロボット』を思い出す。家族や友人でさえ、会話相手が本人かロボットか見分けがついていなかった。“陽の側”で暮らすわたしはそのようなものなのだろう。


 お父さんやばあばが、偽物のわたしに違和感を抱いていてくれはしないか。


 淡い期待をしてみるも、ニュース番組を思い返すたび、きっと向こうの“わたし”は上手くやっているのだろうと思う。

 偽物だと気付けたところで、本物のわたしが帰れるわけではない。心配を掛けるくらいなら、向こうの“わたし”に託したほうが良いのかもしれない。


 ここにいるわたしは必要ないのかな。

 そんな考えが湧き上がったと同時に涙も溢れて、和服の膝元にぽたりと落ちる。和服の藍色がが黒っぽく変わる。


 紫水はわたしのほうをちらりと見たが、気まずそうに目を逸らした。いつの間にか箸が止まっている。


「……ごめん」


 彼の小さな声が聞こえて、わたしは涙ながらに決心をした。

 挑戦的な目を紫水に向け、見開かれた黄金色の狐目を真っ直ぐ捉える。


「わたし、“陽の側”に帰る方法を見つける。そのために出来るだけ情報が欲しいから、ここで働かせてもらえないかな?」

「でもそれは……いや、わかった。僕も協力しよう」


 言いかけた言葉が気に掛かるが、わたしはこの世界でもするべきことを見つけた。鬱屈とした気持ちが、方法を見つけてやる、という情熱に少し焼かれ失せたようだ。

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