09_婚約
「……なんであんたがここに引っ越してきてんの……?」
「サリエラに転職したからな」
「はァ!?どうして!」
二週間後。
エドアルドがなぜか、うちのアパートの隣に引っ越してきた。あまつさえ、サリエラの魔術学院講師に転職したという。意味がわからない。
アパートの隣り合った扉の前で混乱していると、彼は尊大に言いはなった。
「……僕はオカンじゃない。お前の世話を焼きたくなるのは、好きだからだ。鈍感め。ついでにいうと僕は犬派だ。ファルの毛並みは最高だった」
「よく覚えておけ」とエドアルドは謎に脅迫めいた声音で言う。愛の告白なのか脅しなのか、よくわからない。
いずれにしても、頭を強打されたかのような衝撃を受けたのは確かだった。
このスカした美形眼鏡が、自分を好きだとか……今の今まで考えたこともなかった。そういう素振りなんて特になかったよね……?
「あたしの自慢の耳が、ついに幻聴を拾うようになったみたい……! どうしよう!?」
「アホか、現実を受け入れろ」
ボケたら頭をぺちんとはたかれた。現実逃避くらいさせておくれよ。
さらに、エドアルドいわく、
「ファルが同族と結婚すると思いこんでたから、諦めようとしてたんだ。だが、そうじゃないなら、もう我慢しない」
だそうです。
へぇ、そっすか……
それからのエドアルドは、猛攻に次ぐ猛攻。隙あらば贈り物して、デートに誘ってくれる。たとえば、花、食事、お出かけ、バイトの送迎……
犬用の高級骨型オヤツまで貰った時は、正直「アタマ沸いてるんじゃないか」と思った。
でも……困ったことに、あたしはこいつに構われるのがそんなに嫌じゃない。
あたしたちは「カフェでの素敵な出会い」どころか、「遺跡の盗掘を邪魔され、殺しあい寸前までいった出会い」だ。そういう意味では、エドアルドが「理想の彼氏か」と言われたら、かなり微妙だと思う。
でも、どうにかしてあたしの気を引こうとする必死さに、絆されつつあるのも事実だった。
"人狼"のあたしのことも受け入れてくれてるし、エドアルドの月光のような髪は、とても綺麗だと思う。"人狼"の守り神、月神もこうだったのかな、とか思うし。
あと、スカしてて見た目キラキラでも、根はオカン系でいいやつだって知ってる。カタギだし、顔に傷はないし、いつもいいにおいがする。たぶんお風呂は毎日入ってる。
────あれ? 考えれば考えるほど、好条件な気がしてきたよ……?
そんなエドアルドは、散歩に行く度に、通りすがりの犬たちにものすごく懐かれている。突進してくる犬たちを慈愛に満ちた表情で撫でまわすエドアルドは、「猫にマタタビ」「犬にエドアルド」といった風情である。
そうして────伊達ではない眼鏡の策士は、たまにやらかしつつも着々と事を進め、元盗賊の"人狼"ファルことあたしの外堀を、いつの間にかすべて埋めつくした。
そこに至るまで、わずか数ヶ月。オカン改めやり手ババァか。
「……うぉん」
「僕の何が不満なんだ」
つい先日。
あたしの両親との面会も、エドアルドは卒なくこなした。婚約者という立場を手に入れた魔術師は、"獣型"のあたしを見下ろし、眼鏡の奥の切れ長の瞳を細めている。とっても機嫌がいい。
現在、あたしはエドアルドの自宅に連れ去られている(アパートの隣だけど)。そして彼の膝に乗せられ、思うさまモフモフされている。
背中や頭を優しく撫でられて……ついうっとり目を細めた。
くそう。なしくずしの状況に抗議したかったのに、このゴッドハンドが悪いんだ……!
「うー」
「ファル」
「……」
「うん、かわいいな。よしよし」
ふすん、と鼻を鳴らしつつも、正直な尻尾はパタパタと揺れている。
甘い声で誉められながら、首筋に顔を埋められ、ぎゅっと抱き締められて、あたしの理性はどっかにいった。つい、自分からもすりすりと顔を寄せてしまう。
……これでも、誇り高い"人狼"ですが何か?
ここまで来ると、こいつの前でゴロンと寝っ転がって腹見せした挙句、好きなだけ腹毛をモフらせる日も近い気がしてならない。
でも、さすがにそれは……ねぇ?
一応、知的生命体のはしくれとして、そこまで堕ちるわけにはいかないよね。うん。
……などと考えていたあたしは、こいつのモフモフへの執着を甘く見ていた。
フワッフワの腹毛を虎視眈々と狙う美形眼鏡と、最後の砦を守り抜きたいあたしの攻防は、この後も暫く続き────勝者は言わずもがなの、エドアルド。
なんか、あたしの尊厳がゴリゴリ削られていくんだけど。泣いていいかなぁ……!
……ちなみに。
このスカした眼鏡男は、「"人型"のファルも好みど真ん中だった」とのちに白状した。
そういうわけで、"人型"の時も、"獣型"と同じくらい溺愛されていることは、付け加えておきたい。
おしまい。




