08_転職
数日後、あたしは無事クラン公国を脱出した。
エドアルドには、目的地のサリエラ王国まで送ってもらった。そして「出世払いでいいから」と、当面の生活費まで渡されてしまった。
エドアルド様々だ。足向けて寝られない。
そんでもって本人は頑なに「気にするな」と言うのだ。いや気にするよ!
あたしは彼に「いつか必ず返すね」と約束し、お金はありがたく受け取ることにした。
エドアルドはなぜかあたしを「恩人だ」と言う。でも、それはちょっと違うんじゃないかなぁ……と思う。
遺跡で小部屋に閉じこめられたのは、あたしがわざとトラップを踏んだからだ。それなのに、こんなに甘えていいんだろうか……
悶々としながらも、サリエラでの新生活は順調にスタートを切った。
城の面接と実技試験は、無事通過。遺跡探索の専門職として、すでに働きはじめている。
最初の半年は試用期間。まずそれをクリアして、本採用になるのが目標だ。がんばろー。
ついでに、王都のカフェでバイトもはじめた。遺跡調査のない休日限定だけど、憧れのカフェの店員さん! カタギのお仕事!
新しい出会いもあるはず……と期待に胸がふくらむ。
あたしは冒険者とかお尋ね者だったから、ふつうの恋愛をしたことがない。
ギルドや盗賊時代の知人男性って、ざっくり刀傷があったり、指名手配されてたり、お風呂嫌いだったり、恋愛対象としてはちょっと……いや、かなりキビシかったんだよねぇ……
かといって、サリエラのお城の方々はキラキラしすぎて、ど田舎出身のあたしには眩しすぎた。
犯罪の前科がなく、見た目チンピラではなく、さりとて過剰にキラキラしてない、清潔感のある普通の殿方とテレテレしながら楽しいお付きあいがしたい。
カフェバイトでようやくその夢が叶うかもしれない。嬉しい……!
────さて。今日はそのバイト日。
「素敵なひと落ちてませんかー」と思いながら、せっせとコーヒーを運んでいると、白金の髪をキラキラさせた美形眼鏡が店に入ってきた。
女性の視線を一身に集める男。エドアルドだ。
「やぁ、また来たね!」
「……悪いか」
「別に悪くないけど、わざわざ国境三つも越えて来るなんて大変じゃない?」
「大したことはない」
そうかぁ。さすが宮廷魔術師。
エドアルドはこんな風に、月二回ほど様子を見にくる。推薦状を書いた手前、あたしがいい加減だったら困るからだろう。
それにしてもマメだな。
「ファル、バイト終わったら飯に行くぞ」
「はいよー……ではお客様、ご注文をどうぞ」
とっておきの営業スマイルを浮かべたら、「愛想ふりまきすぎ」と非常に苦々しい顔をされた。
相変わらず失礼なヤツだ。
「……エール、ジョッキで二つ、串焼き盛り合わせ、魚の香草焼き、きのこサラダで!」
「あいよ!」
威勢のいい返事をして、ふくよかなおかみさんは別のテーブルに注文を取りに行った。
バイトが終わってから、あたしたちは庶民向けの酒場に移動していた。以前エドアルドが連れていってくれた高級店もおいしかったけど、こういう店の方があたしは落ち着く。
「じゃあ、カンパーイ!」
「乾杯」
ジョッキをカチンと軽くぶつけて、エールをごくごく喉に流しこむ。
「ぷはーっ、仕事明けの一杯はサイコー!」
「飲みすぎに気をつけろよ」
「はいはい。エドアルドって、うちの母より過保護だよねぇ。やっぱオカン系だわ」
あははと笑うと、エドアルドは「やめろ」と嫌そうに顔をしかめた。
「そうだ、この間、ユンナがこっちに遊びに来てたの。『私はそろそろ引退するつもりだったので、骨董店のことは気にしないでください』って言われたよ。怒ってなくて良かったぁ」
「そうか」
あたしの言葉に、切れ長の瞳が僅かに和んで、笑みをかたちづくった。
王都で盗品専門の店を長くやっていた、老エルフのユンナ。彼女はあたしの取引先だった。
そのユンナの店を、騎士団に引き渡した張本人が、目の前のエドアルドだ。
店の場所がバレたのは、ひとえにあたしのせいだ。死ぬほど落ちこんだけど、ユンナは笑って許してくれた。
あたしはひとに借りを作ってばかりだ。いつか、何かの形で返せたらいいのだけれど。
ちなみに、ユンナもクラン公国を出て、温泉巡りを満喫しながらのんびり旅をしているらしい。少女のような見た目だが、中身はやっぱりおばあちゃん……とか言ったら殴られるかな。いや半殺しか。
エドアルドも国境を越えてまで仕事する気はないようで、ユンナのことは放っておいてくれていた。
ごくごくエールを飲んで、魚の香草焼きをつついていると、エドアルドがふと心配そうに口を開いた。
「過保護ついでに言っとくが、仕事は掛け持ちしなくてもいいんじゃないか。僕が貸した金なら気にしなくていい。体を壊したら元も子もない」
……冷たく見えるけど、エドアルドはやっぱりオカン系だ。彼の気遣いにまた笑いそうになって、慌てて口を尖らせた。
「無理してない。カフェのバイトって、いかにもカタギっぽいから一度やってみたかっただけだよ。
それにね、遺跡調査は楽しいけど、無人の廃墟が仕事場だと、素敵な出会いがないんだよね」
「……素敵な出会い」
串焼きをかじろうとした魔術師が、固まって言葉を繰り返した。そして、まじまじとこちらを見る。
「……何を言ってるんだ。王都のカフェに"人狼"が来る確率なんて、ゼロに等しいだろう」
「うん……?そりゃ、ほぼゼロだろうけど」
意味がわからず首をかしげる。エドアルドは暫し沈黙したあと、つとめて平坦な声で確認してきた。
「ファル、お前は"人狼"の男と結婚するものだと思ってたが、違うのか?」
「は? どこからそんな話が出たの」
「…………僕が以前、『"人狼"の血を残すべきだ』と言ったら、『うんそーだね!』って顔してただろ」
そうだっけ。
「……たしかに否定はしなかったけど、うちの両親は『種族とか気にせず好きな男と結婚していい』って言ってたよ。あたしもそのつもり、だけど……?」
「……………………何だそれ」
エドアルドは低く唸ると、片手で顔を覆って、深々とため息をついた。
…………エドアルドが何故かすごく落ち込んでる。手に持った串焼きも項垂れて見えるよ。
「僕がどれだけ必死に、諦めようと……」
はぁぁーーーーっともう一度ため息をついて、眼鏡の魔術師は顔を上げた。
何だか目が据わってる。
「ファル。もう一度確認するが、お前の結婚相手は"人狼"でなくてもいいんだな?」
「う、うん。だって、あたしとつりあう"人狼"の男はみんな既婚者だし。父より年上の族長に、『後妻にならないか』って言われたけどさすがに断ったよ……」
「断って正解だ」
「あとは十歳以上年下の男の子たち。でも、年下すぎるのもちょっと……」
「そうだな。年齢は近い方がいい」
それに、仮にあたしが"人狼"の子をがっぽがっぽ産んだとしても、一族の衰退に歯止めはかからないだろう。悲しいけど、それが現実だ。
一方、エドアルドはやけに鋭い眼光を眼鏡の奥に湛えて、「用事を思い出した」とカタリと立ち上がった。そして、
「覚悟しておけ」
と謎の言葉を残して、あっという間に魔術で消えさってしまった。
……何だったんだ。
呆気に取られ、あたしは魔方陣があった辺りを暫し見つめる。
そして「あ、食事に来たんだっけ」と思い出した頃には、エールはすっかり温くなっていた。




