03_変身
────気がつけば、どことも知れぬ、密室にいた。
さっと辺りを見回す。
一辺が十歩ほどの、真四角の小部屋。
四方の壁に窓や出口はない。高い天井の中央に、明かり取りの小窓がある。しかし、ひとが通れる大きさではない。第一、高すぎて届かない。あの窓からの脱出は不可能だと思った方がいい。
そして、ここに飛ばされたのは、あたしと……茫然自失の魔術師の二人だけだった。あのトラップは、一定範囲にいる者を強制移動させるものだったのだろう。
「どこだ、ここは……」
眼鏡の魔術師が呆然と呟く。あたしは満面の笑みで、状況を教えてあげた。
「見つけたトラップを発動させたのよ! やったー、飛ばされる系だったぁ!」
「何だと……? 貴様ぁ……!」
「お、やんの?」
眼鏡の魔術師はめちゃくちゃ怒ってる。でも全然こわくない。こんな狭い部屋で、魔術師と一対一とか、ボーナスステージでしかないからだ。
さっきの場所からかなり遠くに飛ばされたようで、近くに騎士の気配はない。こいつを援護する味方はいないというわけだ。
魔術が発動する前に、狩る。余裕だ。
相手の出方を窺いつつ、二本の短剣を素早く引き抜く。
魔術師は急いで呪文を唱えようとして……けれども強い魔力の気配は、一瞬でフッと消えた。それは、蝋燭の炎を吹き消した時の感じとよく似ていた。
「………………え、何。今の」
「くそッ」
男が悪態をつく。
彼はもう一度魔術を展開……しようとして、やっぱり失敗した。どうも魔力が消失してしまうらしい。
あたしは油断なく短剣を構えながら、軽く首をかしげた。
「…………魔術が使えない、とか?」
「…………」
悔しそうな唸り声が返ってくる。明確な返事はなかったが、それは答えたも同然だった。
「ここって魔術を打ち消す部屋なのかな。なら、あたしの不戦勝ー!」
わーいわーいと小躍りしたら、魔術師はあたしを激しく睨みつけた。
「あんたはあたしに手も足も出ない! ふふふー」
うんうん頷いてニコニコしたら、魔術師はギリリと歯ぎしりした。あたしは賭けに完勝したらしい。やったねー。
────と、喜んでられたのも一瞬だけだったァ!
「すっかり忘れてたけど、ここってまともな出口ないんだっけ……」
戦闘モードから意識が切りかわる。
そうだ。ここはほぼ密室だった。
「この手の部屋って、だいたい隠し通路があったりするんだけどなぁ……」
短剣はさっさとしまっとこう。
腰にさげた鞘に剣をおさめて、壁や床をペタペタさわる。それから──立ち尽くしてる男を、キッと睨みあげた。
「ちょっと……ぼさっと突っ立ってないで、出口を探すの手伝ったらどうよ!」
「出口……?お前、切り替えが早すぎないか……」
「何が言いたいわけ」
「僕を殺さないのか」
ボソッと尋ねられた。
あたしはむっと口を曲げる。
「魔術を使えないあんたを殺しても、ここが血の海になって不快なだけでしょ。二人で出口を探した方がよっぽど効率的ってものよ」
「……」
「あたしは無駄な殺生はしない主義なの!とっととやれ!!」
びしっと指さして言ってやった。
男は眉間に深い皺を寄せた。「ここに来たのはお前のせいだ」とか「盗賊のくせに」とか内心思ってるんだろう。でもあたしだって捕まりたくなかったんだから仕方ない。
それに、魔術を使えない魔術師なんて、一般人とほとんど変わらない。脅威でも何でもないものを殺すなんて、あたしの矜持が許さない。
立ち尽くしてた男も、こっちに殺す気がないのをやっと理解したらしい。黙って部屋のあちこちを探りはじめた。
……そして数刻後。
「……見つからないね」
「……ああ」
あたしのぼやきに、魔術師が疲れた顔で相づちを打つ。天井を見上げると、天窓から落ちる光は弱々しくなっていた。
「なんか薄暗いし、寒くなってきちゃった……」
「もうすぐ夜だな」
男はため息をついて眼鏡を指で直す。
……今気づいたけど、こいつやたら顔が良いな。ちょっとした仕草でも、腹が立つほど絵になる。
まあ顔がよくたって、今は何の救いにもならないけど。
それにしても寒い。季節は春先で、ここは深い山奥だ。夜になったらもっと冷えるだろう。
このまま、寒さと飢えで、こいつと干からびちゃうのかな。それだけは嫌……
「とりあえず朝まで体力温存しよっか。……ほら、これ食べなよ。毒とか入ってないから」
携行していたわずかな食料を二等分して差し出すと、相手は一瞬目を見張った。そして「……ありがとう」と素直に受けとる。
モソモソと干した固いパンを齧る魔術師を横目で見る。男はやはり、とてもきれいな顔をしていた。
ローブの色は、クラン公国の宮廷魔術師を示す濃紺。年齢は二十代半ばくらい。
細くて繊細な銀のフレームの眼鏡をかけているせいか、知的で冷やかな印象を抱かせる。髪はツヤツヤの白金で、月光のように輝いていた。
そうして食事を取っている間にも、小部屋はますます暗くなる。
"人狼"は夜目がきくから、別に暗闇でも構わないけど……この寒さは、どーにかせんといかん。
「ねえ、ちょっと」
「……何だ」
「むこう向いてて。服脱ぐから」
「……は?」
男はポカンとした。
気にせず、ガチャガチャと装備を外し始めると、彼は高速で壁の方を向いた。
「よし」
真っ裸になって、精神統一する。
少々変態ぽいけど、狼になった後で服脱ぐの、大変なんだよね……
しばらくすると……不思議な力が漲って、あたしの体に変化が起こり始めた。瞬く間に全身フッサフサの黒毛で覆われ、骨格が四つ足の獣のそれになる。
五本の指は肉球と爪に変わった。鼻面が伸びて牙が尖る。頭にはせわしなくピコピコ動く三角耳。
さっきまでここに存在していた女は、もう、どこにもいない。代わりに、漆黒の毛皮をまとった金の瞳の狼が、パタン、パタンと尻尾を揺らしてお座りしていた。
「うぉん!」
声をかけると、男はびくうっとして振り向いた。
あたしを見て、ハッと目を見開く。
「お前、"人狼"だったのか……」
「うぉんっ!」
さすが宮廷魔術師。よく知ってるね!
カシコぶったその眼鏡、伊達じゃないね!そう、あたしは"人狼"です!
……とは言えないので、パタパタ尻尾を振る。
正直、純粋にうれしい。だって、場合によってはバケモノ扱いされるくらい、うちの種族は知名度低いから。
黒狼になったあたしは、自分の服をくわえてトコトコ「眼鏡男」に歩み寄った。もう呼び名は眼鏡男でいいや。
そしてくわえた自分の服を、こいつの膝にバサッとかけてやった。
「わふ!」
「……たしかにこうした方が温かいが……」
眼鏡男は困惑している。
乙女の脱ぎたての服なんだから、もっと喜んだらどうなのか。
……しかしよく見ると、彼の顔色はまだ冴えない。体もかすかに震えている。
服を貸すだけじゃダメか。あたしはモフモフの毛皮だから寒くないけどね。
「うぉん」
「今度は何だ……」
さらにトテトテ近づいて、彼のそばに回りこみ、ひっついて丸くなった。これならあたしももっとあったかいな。
モゾモゾとポジションを決める間、彼は息をつめて固まっていた。だが気にしない。
……よし定まった。鼻先を尻尾に突っこんでじっとする。さすがに疲れがたまっていて、すぐ眠気が襲ってきた。今日は必死で走ったしね……
「……眠いのか?」
ふすん、と鼻をならして軽く目を閉じる。
出口の探索は明るくなってからにしよう。今はものすごく眠い。
眼鏡男がためらいがちに手を伸ばして、そっとあたしの背中を撫でた。自慢の毛皮をモフモフさせるなんて、恋人にだって許したことがない。
……というか、恋人なんていたことなかったわ。ここを出て助かったら、真剣に検討しようかなぁ。
彼氏の一人も作らずに一生終えるなんて、ちょっと寂しすぎるしね……
優しく背中を撫でられると気持ちが良い。
眠気はますます強くなって、あたしは睡魔に抗わずに意識を手放してしまった。




