番外編 01_眼鏡魔術師の、切なる願い
ヒーロー視点の番外編。全二話。
本編との落差が激しいかもしれませんが、笑って許してやってください……!
《エドアルド視点》
────その出会いは、僕の人生を変えた。
「お前、"人狼"だったのか……」
驚きとともに呟くと、漆黒の狼は、金色の瞳をキラリと輝かせて「うぉん!」と嬉しそうに鳴いた。フッサフサの尾が、ブンブン左右に揺れている。
尊い。
それしか言えない。
神々しく、凛々しく、そして愛らしい。僕はこの生き物に心臓を捧げてもいいと切に願った。
この尊い姿を見てしまえば──彼女、盗賊ファルを捕縛して、刑罰に処すという自分の任務が、邪悪な悪鬼のごとき所業としか思えなかった。
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僕──エドアルド・カースティンは、地方貴族の三男として生まれた。
兄が二人もいた僕は、相続には何ら関係のない立場だったけれど、愛情深い両親は、分け隔てなく僕ら兄弟を育てた。
しかし如何せん、僕はひどく病弱で、家のなかで過ごすことの多い子供だった。
少し無理をすると熱を出し、部屋で本ばかり読んでいる。おかげで、子供の頃から眼鏡。
そんな末息子を心配した両親はある日、フワフワの毛玉のような子犬を家に連れてきた。
子犬はバウエルと名付けられた。
コロコロ転がるように僕にまとわりつき、小さな尻尾を一生懸命ふるバウエル。
撫でてあげると嬉しそうにじゃれつく。いたずらして叱られ、しゅんとする姿もとてつもなくかわいい。
彼がうちにやってきた日から、僕の世界は一変した。唯一の友達であるバウエルに、僕は夢中だった。そして──いつしか、「犬」という存在全てに深い愛情を注ぐようになっていた。
それから歳を重ね、見違えるように体が丈夫になり、魔術師を志してからも、僕の犬を愛する心に変わりはなかった。むしろ、山岳地帯に聳える岩山のように、ますます揺らがないものになっていった。
成人した僕は、それまでの努力が実り、クラン公国の宮廷魔術師に登用された。
仕事に励むうちに、「月白の魔術師」などという恥ずかしい二つ名がついたりもしたが、概ね順風満帆だった。
だがある時、僕に最大の危機が訪れた。
その危機とは、炎竜に消し炭にされかけた事でも、悪徳魔術師の罠にかかって毒におかされた事でもない。
実家のパウエルが、"星海"へ旅立ったのだ。
地上世界の生命は、みな魂を持つ。器を失った魂は、神々の住まう"星海"に召され、休息を得たのち、再び地上に生まれ変わる。
それがわかっていても、別れは辛い。
僕は、十日間仕事を休んで絶食し、痩せ細って同僚からものすごく心配された。それまで皆勤だったから、なおのことである。
バウエルを失い、悲嘆に暮れていた僕だったが、かといって、王都の住まいで新しい犬と暮らす気にはなれなかった。
まず、バウエルを忘れられなかったのが、一つ。新しい犬を迎え入れることは、彼への裏切りのような気がしてならなかったのだ。
それと、宮廷魔術師は思いのほか忙しかったのが、もう一つの理由だ。
実は、いつでも愛犬を迎えられるように、当初から庭付き一軒家を購入してはいたんだよな。だが、宮廷魔術師ともなると、地方に派遣される案件が多い。
家に不在の間、愛犬を誰かに預けるとなったら、きっと心配で何も手につかない。
それで泣く泣く諦めた。
愛する犬と暮らすことが出来ない。それは非常に辛い事実だった。
町で出会う犬たちに癒されつつ、渇望に似た心の欠損を抱えていたある日。
……僕は、運命の出会いを果たしてしまった。
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「あっちだ!」
「僕が転移で追う!」
前を行く騎士に声をかけ、詠唱を開始する。
今日も、地方へ派遣される仕事。
遺跡を荒らし回る女盗賊がいる、と前から問題になってはいた。そいつを捕まえるために、魔術師と騎士団で隊を編成し、待ち伏せすることになったのだ。
そして、まんまと引っ掛かった盗賊──ファルを追跡し、僕らは遺跡のなかを駆けずり回っていた。
しかしこの女盗賊、めちゃくちゃ足が速い。人間離れした速さで、入りくんだ通路を疾走していく。
だが……鬼ごっこもいつかは終わる。僕たちは、ファルを袋小路に追いつめた。
そして、彼女と相対した瞬間。
雷に撃たれたかのような衝撃が、僕をおそった。
肩で切り揃えられた、漆黒の髪。
美しく輝く、大きな金色の瞳。
整った顔立ちはあどけなく、どこか人懐こさを感じさせる。
……かわいい。
それが第一印象。
しなやかな手足はすらりと長く、手練れの盗賊には全然見えない。彼女は眉を寄せてこちらを睨んだ。その表情すら、ありえないほどかわいい。
彼女の周りに、キラキラした光の幻覚が舞っているのが見えた。
鈍い僕でも、さすがに自分の状態はわかる。
……俗にいう、一目惚れだ。
周囲からは、犬以外には冷たいだの、クールだのと言われる自分が、突然恋に落ちるなんて──
激しく動揺したせいで、魔術の発動がわずかに遅れた。その隙に、女盗賊はトラップを発動させ──僕たちは、遺跡の別の場所に瞬時に移動していたのだった。
いや、でもな。
……いくら相手が好みど真ん中でも、任務を放棄するわけにはいかない。生まれたばかりの恋心を、断腸の思いで捩じ伏せる。
対峙する彼女も、短剣を抜いた。
だが────僕の魔力の塊は、蝋燭の火が吹き消されたかの如く、ふっと消失した。
何なんだ。
愕然としていると、ファルは、この小部屋に魔術を打ち消す仕掛けがあるという推測を立てた。そして、「あんたはあたしに手も足も出ない!」と勝利宣言した。
その勝ち誇った笑顔はムカついたが……やっぱりとてもかわいかった。憎さ余って、かわいさ一万倍だ。
────後から考えると……もしかしたら、僕はファルの命を奪いかねない攻撃魔術を、無意識に制限したのかもしれない。そんな気がしている。
まあ今となっては、誰にも真相はわからない。ただ、この時の僕は、彼女を傷つけずにすんで、心からほっとしていた。
それからは、はじめての共同作業。(この思考が非常にキモいのはよくわかっている。だからつっこまないでほしい)
出口のない小部屋に閉じこめられた僕たちは、必死に脱出方法を探した。だが、見つけられないまま夜になった。
彼女と二人きり。
動悸を隠して、クールを装う。
だがクールぶってみても、状況の悪さに変わりはない。凍えるような寒さは、容赦なく体温を奪っていく。食料だってない。
騎士小隊とは完全にはぐれたらしく、助けが来る気配もない。
絶望的な状況で、ファルは信じられないほど善良な行動に出た。
まず、敵の自分に、少ない携帯食料をわけてくれた。なんて優しいんだ。女神の生まれ変わりか……と内心絶賛した。
さらに彼女は、突然服を脱ぎ出した。僕は激しく動揺した。それはもう思春期の少年のように。
だが、彼女の行動は、純粋な優しさからだった。
狼に変身したかと思うと、寒さで震える僕に自分の服をバサリと投げかけ、ぴとっとくっついてきたのだ。
なんだ。
幸せはここにあったのか……
一瞬やらしい想像をしてしまった己を、脳内で激しく責め立てる。自分を全力で殴りたい。むしろ燃やしたい。
そんな自己嫌悪と同時に、驚きと嬉しさも炸裂していた。彼女は僕の憧れ────"人狼"という種族だったのだ。
"人狼"とは、魔物を祖先とする、希少な種族。狼に変身する不思議な能力を持つ彼らは、心から犬たちを愛する僕にとって、憧れてやまない存在だった。
"人狼"一族は、山奥の隠れ里に住むという。
なので、一生会うことはないだろうと残念に思っていたが、想像もしなかった所で夢が叶った。僕は、星海の神々に心から感謝を捧げた。
そして今、"人狼"──美しい漆黒の狼が、目の前で、すぴーすぴーと静かに寝息を立てている。
何度でもいう。
尊い。
その背中をそっと撫でてみる。やわらかな感触が、指先から脳に駆け抜けていく。
最高か。
その時、狼のファルがふるっと震えた。
……毛皮でも寒いのだろう。夜の遺跡はかなり冷えこむ。
これは親切心……下心なんてないから……と強く念じながら、ファルをローブの中に抱きこんで横になる。
そのあたたかな体温と、穏やかな寝息のおかげで、床が固く冷たくても、全く気にならない。
むしろ、職人が丹精こめて作った高級ベッドより、はるかに素晴らしい寝心地だと思えた。




