1話 茶筅丸
冬といえば?クリスマス、正月、お節料理、羽根つき、みかん、こたつ・・・
他にも色々ある。
だが、俺にとって、いや、俺たちにとっての冬は、そんな平和なものじゃない。
「頑張れ!ファイト!」
「速度落ちてるぞ!ペース上げろ!」
「あと8周、あとグラウンド8周!」
死に物狂いで走るクラスメートに、全力でエールを送る。見ている俺たちまで呼吸が荒くなってしまう。
私立若葉中学は、冬に必ず持久走があるのだ。
3年生は校庭14周、2年生は12周、俺たち1年生は10周走る。
それは地獄絵図に等しく、無言で走る者たちの絶望の表情と、エールを送る者の悲痛な顔が、全てを物語っている。
前半が終了した。次は俺たちが走る番だ。
スタートラインの前に立ち、覚悟を決める。
親友の立花湊と目が合った。彼は今、2kmを完走したところだ。肩が上下に、激しく揺れ動いている。
湊は俺を見ると、涙ぐんで敬礼をしてきた。思わず俺も泣きそうになってしまう。
「優、頑張って」
息苦しそうだが、優しい声音の声が聞こえた。幼馴染の鈴田美琴だ。
不思議と元気が出てきた。よし、頑張ろう。
「それでは始める。位置につけ!スリー、トゥー、ワン、GO!」
カウントダウンを英語でするなっ。心の中でどうでもいいツッコミをして、果てしないゴールまでの道を走り始める。
悪友と肩を並べて走っても、冗談を言い合う勇気は湧いてこない。そんな余裕は俺たちにはない。
1周目をクリアした。本当の地獄はこれからだ。友人たちからのエールの言葉さえ、悪意のある冷やかしに聞こえてしまう。
2周目、3周目。4周目に入った。序盤からかなり飛ばした為、酸欠に近い状態になっている。
呼吸をする度に肺が痛む。
評価がCになってもいいから、手を抜いて走れば良いじゃないか。と、悪魔がささやく。
だがそれでは、俺を応援してくれる友人たちに顔向けができない。走り続けなければ。
まぶたを開けているのでさえつらくなってきた。今は10周目。そう、ゴールまであと100mほどだ。
けれどもう、俺の体は限界だった。クラスメートの悲鳴が妙に遠く聞こえる。
全てが白に変わった。
◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆
状況が理解できない。いったい何が起こったんだ?
着ている服は、時代劇でお馴染みの和服だし、目の前に立派なおヒゲのおっさんがいるし。
「名を申せ」
え?言葉まで時代劇風じゃん。クラスメートが俺をからかってんのかな?今日、俺の誕生日だし。
とにかく、名前を言わなくては。
「茶筅丸にございます」
漆山優です、と言おうとしたのに、舌が勝手に動いた。
茶筅丸って、織田信長の次男坊だよね。って、そんなこと気にしてる場合じゃ無いし!
ここはどこ!?このおっさんは誰!?なんか、嫌な予感しかしない。
「わしは北畠具房じゃ。大河内城の城主を務めておる。
本日ただいまより、そなたはわしの息子同然。北畠の名に恥じぬよう、励め」
「はっ」
まただ。「はい」と言おうとしたのに、舌が勝手に動いて「はっ」と言ってしまった。
「一つ、お聞きしたいことがございます」
「ほう、何じゃ?」
縋るような気持ちで、北畠という名前のおっさんに聞いた。
「これは何という名の時代劇でございますか?」
おっさんは変なものを見るような目を向けてきた。
「時代劇とは何じゃ?」
一縷の望みが、抱かずにはいられなかった淡い期待が、一瞬にして消え去った。
お父様、お母様。俺はどうやらタイムスリップしちゃったみたいです・・・
「いえ、すみませぬ」
「そう縮こまるな。ほれ、茶筅丸を部屋へ」
「はっ」
おっさんの側に控えていた小姓が、前に進み出た。
「茶筅丸様、部屋へご案内します。こちらへ」
小姓の言うがまま、おっさんがいる部屋を出た。
しばらく歩くと、小姓はある部屋の前で止まった。突き当たりの部屋だ。障子がゆっくりと開く。
「こちらにございます」
俺は自分の目を疑った。なんて広い部屋なんだ。床がとても綺麗で、縁側からは枯山水の美しい庭が一望できる。
何が何だかよく分からないけど、とくかくラッキー!
さーて、茶筅丸ライフ、始まるぞお~!
読んでくださりありがとうございました。
茶筅丸というのは織田信雄の幼名です。