迷探偵は名刑事
人には超えてはならない線がある。だが時に、それは易々と超えられてしまう。そうした時、残した獣の匂いは例え人に戻ったとしても、消えはしない。
今回の事件も又、私〈本願寺・リッキー・優太〉には実に分かり易かった。
とあるマンションの一室から女性(M美)が転落死。状況から見て布団を干している最中に誤っての事故、と云う事だが……
相方の和戸村芳雄が事務的に関係者への調書を取る。M美の夫であるY氏は【どう答えていいか分からない】そういった雰囲気でのやりとり。
「そそっかしい所もありました、今朝も洗濯物を落して、出勤時に私が取りに行きましたし……」
「そうでしたか。最近奥様に変わった様子などは……」
「いえ、特には……」
恙無く調書を取り終えた和戸村は、Y氏に挨拶を済ませ私に声をかけてきた。
「本願寺さん、流石に今回は事故で決まりですね。旦那さんが出勤後、家には奥さんひとり、鍵もかかっていたので密室。事件性ゼロです。」
「いーや、ワトソン君。これは事故では無い。事件、他殺だよ。」
「ワ・ト・ム・ラです!現場で探偵ごっこしてると怒られますよ。」
「それで実際に事件だった事も何回かあるじゃないか。」
「わかってますよ、だから言ってるじゃないですか“流石に今回は”って。」
「だけどねぇ、匂うんだよ。」
和戸村は私の腕を掴んで耳元に小声で叱りつけて来る。署に戻っての事務処理を考えれば帰りを促すのも無理はないし納得だが、ここで犯人が自供してしまえば余計な仕事は減る。目の前にいるY氏が、M美を殺した犯人に違いないのだから。
「いい加減にして下さい、これ以上何もないですよ。」
「わかったよ。」
私は腕にしがみついている和戸村の自己顕示欲を受け入れる素振りを見せたが、Y氏の方を振り向いて見せた。視界から外れた和戸村がスクランブルエッグの様な表情を浮かべているだろう事は、目の前のY氏の表情から読み取れる。
「まだ、何か?」
巣に近づく天敵を追い払う雌の目、縄張りを主張する雄の態度。Y氏の都合は如何にも悪そうだ。無論、妻の突然の事故死とあらば、平常心など保てるものでは無いのだが……
明らかに私を敵対視するY氏に決定的な一言を尋ねてやった。
「すいません、最後に一つだけ。奥様は〈しっかり者〉でいらしたんですかね……」
「本願寺さん……と、おっしゃいましたよね?」
「ええ。」
「あちらの和戸村さんに聞いたら如何ですか?妻については先程お話したとおりです。」
「あぁ〈そそっかしい所もある〉でしたっけ?」
「聞いてたんなら、わざわざ質問しないで頂けませか。」
Y氏は残念な答えをしてしまった。嘘でも〈家の事はしっかりやってくれてました〉と答えるべきだった。
「本願寺さん!コロンボの真似したって事故は事件になりせんよ!」
「いやぁ、それがね、なるんだよ。」
和戸村は毎度つまらないタイミングで自己主張して来る。だがそれもアクセントにすれば良い、腕の見せ所だ。
「いいかい少年。」
「何ですか、今度は明智先生の真似ですか……」
「調書によれば結婚3年目、子供はいない、奥様は専業主婦。部屋は非常に片付いている、まるでお客様をお出迎えするかの様に。きっと普段から整理整頓が行き届いていて、嘸かし〈しっかり者〉の奥様だろうと思うのが自然だが、旦那様はそうでは無いと言う。」
気まずい表情のY氏、どうやら私が感じた違和感は間違っていないらしい。
「更に、旦那様のご出勤は07:00でしたね?その時間に洗濯物を干し、落としている。」
「それが何か?」
「早くないですか?まだ07:00ですよ?起床時刻は?」
「普通ですよ、世の中だいたいそんなもんじゃぁ……」
頭を掻きむしる仕草は金田一耕助。私は呆れた、この男の世界観と視野はなんと狭いのだろう。
「共働きならね。M美さんは専業主婦だ、そんなに早い時間から洗濯物を干す理由が無い。お子さんもまだだし、洗濯物の量もそんなに多くない、暇を持て余すことはあっても時間に追われる事は無いでしょう。旦那様はニュースのチェックをして、ご自身で朝食の用意をなさってる。そうでしたね?」
「ええ。そうです。」
「奥様は普段その時間は寝てるんじゃないですか?奥様との会話は調書にはありません。つまり毎朝のルーティーンには組み込まれていないと云う事です。普段から会話は無かった、結婚3年目にして。」
「何が言いたいんてすか?」
テレビの横に置いてある写真立てを手に、Y氏に近づき、わざとらしくスーツ越しにディオール・オムコロンの香りを嗅ぐ。
「Yさん、貴方からは結婚して守りに入った男の匂いじゃない色香を感じる、でも相手は奥さんじゃない。結婚式のお写真と現在の奥さんは……まぁその……3年なんて、人を変えるには充分な訳ですが。」
「本願寺さん。貴方、随分と失礼な人だな。」
「ええ、自覚してます。我ながら向いてない仕事をしているなと思いますよ。貯まるのはストレスばかりです。」
「その貯まったストレスを今全部発散している様に見えますよ。」
「それはどうも。」
和戸村と同じ位この男も鈍感な様だ。分かり易い単語を並べないと、此方の意図を汲み取ってくれないらしい。
「さて、自首なさいます?」
「本願寺さん。貴方の拙い探偵ごっこに付き合うつもりは無いですよ。私に不倫相手がいて、妻が邪魔になったから殺したと思ってる様ですが、状況的に他殺の可能性が無いのに疑っても無駄ですよ。お引取り願えますか?」
M美が転落した時間、Y氏は通勤中、外部からの侵入は無し。だが、こんなトリックは世に溢れている。
「いいんですか?調べれば分かることですよ?」
「しつこいな!何なんですかこの人!」
怒りの奥に焦りが見えている。拙い探偵ごっこが当っている証拠だ。
「〈しっかり者〉では無い奥さんの日常とは思えないんです、この部屋。Yさん、片付けましたよね。私達が来る事を見越して。荒れた部屋だと盗みの可能性、他殺を疑われるとでも思いましたか?」
「何を仰るかと思えば。」
「他にも所々不自然なんですよ。例えば、趣味はキャンプ・フライフィッシングですよね?部屋にあったロッドと毛針、拝見しました。でも、どうして鮪用の釣り糸が?それとキッチン。綺麗過ぎませんか?まるでモデルルームです、奥様は料理なされないんですかね。個人宅には珍しいストッカー、これはキャンプ用の食材もまとめ買いで冷凍保存でしたっけ?」
「だから何だって言うんですか。」
「凶器は冷凍の塊肉、死亡時刻はストッカーでずらせる、鮪用の釣り糸ならベランダに干した布団と奥様を引っ張るには充分強度はあるでしょう。」
「貴方のアリバイ、検死したら崩れますよ?」
Y氏は固まった。推理漫画のネタも今や馬鹿に出来ない。和戸村にも読んで欲しいものだ、そうしてくれていれば、もう少し仕事がすんなり進むと思うのだが。
お陰で推理モノマネのレパートリーが増える一方だ。
「本願寺さん、どうやって通勤途中のYさんが釣り糸引っ張るんですか?」
「亀山くん、朝と云うのは面白い程人の流れが決まっているモノなんです。きっと、落とした洗濯物には釣り糸が仕込まれていて、その先には出勤か、配送か、毎朝同じ車が停まっているんじゃないですかねぇ〜」
「ソレに括り付けた!」
「もっとも、協力者がいれば、より確実ですけどね。」
「不倫相手!」
Y氏は完璧主義者、恐らく単独犯。明日の朝、付近の車を調べれば、足回りに釣り糸の絡まった車が見つかるだろう。
「どうでしょうYさん。調べれば分かってしまう事です。」
「どうして気付いたんですか。他の人は事故で納得してたのに……」
「貴方からは匂いがしました、超えてはならない線を超えてしまった獣の匂い。それに、身形が整い過ぎです。もう少し慌てた雰囲気が欲しかったですね。完璧に近い密室、死体移動トリックでしたが、貴方を犯人だと決めてしまえば、私が敬愛する推理モノの主人公達が真実へ導いてくれます。」
「まんまと探偵ごっこに付き合わされたわけだ。参ったよ、本願寺さんさえいなければ事故で終ったのに。」
「それはどうですかね?検死の結果、直接の死因は転落事故と関係ない頭部への殴打であると、多分バレますよ。私がいようといまいと、貴方は殺人犯になっていましたよ。」
「自分の手柄だとは言わないんですね。」
後に組んだ手を解き、胸に手を当て改めて自己紹介をさせて貰う。この瞬間が初めて私本人なのだ。
「私〈本願寺・リッキー・優太〉I‘m〈ユウタ・リッキー・ホンガンジ〉」
「他力本願……」
「人は一人では生きていけませんから。」
■ Y氏・事情聴取
「1年目は家事が出来なくても可愛いと思えたんです。手抜き家事のコツを教えてから、まとめ買いと冷凍食品に嵌ってストッカーまで買う始末。ご近所さんとCOSTCOパーティーですよ、専業主婦だってのに……掃除も洗濯も自動、世の女性はもっと頑張ってるのに妻は……」
「で、職場の頑張り屋さんと不倫ですか。本願寺さんに感謝しないとなぁ〜2年後にもうひとり被害者が増える所だったよ。」
「え?」
「アンタが女性をそうさせちまうんだろ。」