5隼人は桃乃を食事に誘う。
まったくもう!どうしてこんな世の中になってしまったんだ。
学校はオンライン。花火大会も夏休みも中止。見たい映画は延期。大学祭ももちろん中止(オンラインで開催するよりマシだけど)。
恋する人間にとって難問だらけだ。
なんせ、会う口実を都合良く作れないじゃないか。
隼人はぐちぐちとそんなことを考えながら、桃乃のLINE個人チャット欄を見つめたまま20分が経とうとしていた。
正直言って、桃乃は自分のことを嫌いではないと思う。友達だと思ってくれていると思う。もしかしたら、友達以上に思ってくれているかもしれない。
出会って最初のころから、なんだかいい雰囲気だったのだから。
6月に対面授業が始まって、第二週目、桃乃と俺は初めて大学で会った。
そのときはまだ、桃乃にはっきりとした恋心は抱いていなかった。でも、とても気になっていた。
あの日。雲のない青く澄んだ空が緑の多いキャンパスを輝かせていた。キャンパスのシンボルである大きなケヤキの下。トートバックを両の手で持ちながらうつむきがちに立っていた桃乃は、とてもとても美しかった。
桃乃は俺を待っていてくれた。
「野草を知る」という授業は意外と忙しくて、なんと、決められたペアで、授業で習った野草の1つを自分達で採集してこなければならなかった。
俺のペアの相手が桃乃だった。
あの日。桃乃は俺と一緒にハルジオンを採集するために俺に話しかけてくれた。
美しくまっすぐな黒髪。薄い青色のワンピース(と思ったら、あとでこれはズボンタイプだと言われた。桃乃はチャリ通なのでスカートは履かないらしい)。有名スポーツブランドの靴と帽子。
そして、大きく強い瞳。彼女の魅力を一番に挙げるのであれば、この瞳であると思う。どこまでも、どこまでも、貫いてくれるような。
桃乃は俺と話すときに、その目を離すことはない。一生懸命に、一言も漏らさないかのように、目を合わせて話を聞く。
正直ドキッとしてしまう。思わず、目をそらしてしまう。
幸運か、不運か、俺たちが取ってこなければならない野草は構内ですぐに見つかった。
「よかったね、南条君。これ、すぐに見つかったね。」
「うん。じゃあ、写真を撮ろうか。」
そう言って、俺はスマホを出して、しゃがみかけた。ハルジオンを撮ろうとした。
「待って。」
「え?」
桃乃は少し近づき、スマホを持つ俺の右手を止めた。慌てて、体勢を整える。
「ちゃんと、南条君を写さないと。」
「え?なんで俺?」
「もー、先生の話聞いてなかったでしょ。ほら、去年のこの授業でインターネットから引っ張ってきた写真をそのまま提出した生徒がいたって。だから、ちゃんと自分と、野草が写っている写真を取らなきゃいけないんやお。」
「ああ、そうだったんだ。」
そんな返事をしながら俺は照れた顔を必死で隠した。女性の中では、背の高い部類に入る桃乃だが、俺と並ぶとやはり小さい。俺の右手に並ぶ彼女の腕は、とても細い。横から見上げるようにとがめる表情はマスク越しにもかわいらしさが伝わってくる。そして、少しだけいい香りがした。
「えーと、じゃあ自撮り?」
照れを隠しながら、やっと、適当に言葉をつなぐ。ばれなかっただろうか。
「えー、そんなの、きっとめんどくさいよ。私が取るから。ちょっと待ってて。」
そう言って、桃乃は自分のスマホを取り出した。
普段なら自分のスマホで取ってもらえば良いのだが、最近は気軽に自分のものを触らせたり、貸したりすることははばかられるので、何も言わない。桃乃も分かっているから自分のスマホを取り出したのだろう。
「はい。取るよ~。笑って。」
正直とても恥ずかしい。気になっている女の子が俺の写真を撮ろうとしている。上手く、笑えない。
「はい、チーズ。」
パシャっと音がした。無情にも、彼女には表情をつくるまで待つという選択肢はなかったらしい。変な顔加工アプリは使用されなかったようだ。写真にこだわりがないのかもしれない。俺は写真写りが悪いので取られた写真を確認したかったが、なんとなく、そんなことを気にしているのはダサいような気がして、何も言わなかった。
「ん。まあいいでしょ。はい、後で送っておくね。」
すでに互いのLINEは交換してある。同じ授業を受けている人達でグループを作ってあったから。
「う、うん。ありがと。じゃあ、これで終わり、かな?」
「え!ちょっと、私の分も撮ってよ!?」
桃乃が笑いながら、喰い気味に言った。
「あ、そ、そっか。」
自分のことでいっぱいいっぱいだった。桃乃の写真も撮らなくては。
え?桃乃の写真を撮る??
かーっと顔が赤くなるのが分かった。女の子の写真を撮るなんて滅多にないことだし、いや、その、本当に、信じられなかった。俺が桃乃の写真を撮ることになるとは。
「はい、まあ私が写っていればいいから。適当に。よろしく。」
「わ、分かった。おけ。い、いくよ。」
手が震えるのが分かる。でもやらなくては。桃乃がこちらを見る。じっとスマホ画面を見つめ、桃乃とちょっとへたった野草が写っていることを一瞬で確認し、撮った。
パシャっと無機質な音がした。
写真の確認すら出来なかった。
「はい、取れた?ありがとね。あとで送っておいてね。」
「うん。分かった。」
思ったより、反応がうすい。でも、なんか嬉しい。合法的に気になっている人の写真を手に入れることが出来た。まだ、しっかり見れていないけれど。いや、違法なことなんてしたことないけど。
「じゃあ、ね。南条君。またね!」
「え?あ、うん!また、ね。」
あの日。桃乃はそう言ってすぐに去ってしまった。
後に聞けば、次の授業の課題を早くしたかったらしい。
思い返してみても、なんだかいい雰囲気だ。いや、いい雰囲気かどうか分からないけれど、あの日。桃乃の魅力を突きつけられた。
桃乃のなんだか軽い言葉も、笑顔も、鋭い視線も、俺には、全くどんぴしゃだったのだ。
よし。俺は、息を吸って、メッセージを、やっと送った。