七話 〜美味しい中華を求めて
「上の階層ガタガタしてるけど、なんかあった?」
案内してくれる委員長が小さく振り返った。
すらりと背の高い委員長の三つ編みが揺れて、その首元が艶っぽく見える。
……意外と女性の後ろ姿って、いいかも。
「聞いてた、木場くん」
「あ!……いや、環状線から人力車できたから、僕はわかんない……」
「そっか。結構大きな騒ぎだったみたいだよね。だって四〇階層域の住人が『なんだなんだ』ってなったんだもん。そういえば、木場くんたちの用事は終わったの?」
「あ、僕の用事は大丈夫」
……会話の綱渡りをしているみたい。
朱の目の色は隠していないし、いつ感づかれるかもわかんない……。
この前の特集番組見てたら気づかれるのも時間の問題だし……。
あー、あの特集番組、昼間だった。大丈夫だ。大丈夫。
朱は好奇心が抑えきれなくなったのか、キョロキョロとあたりを見回しながら、『蒸気エステ』という看板に見入っている。こういうところは、少し女子みたいだ。
「蒸気エステって、なにも痩せないらしいな! それよりも蒸気を人体に組み込んだ方が、より代謝が上がる気がしないか、隼!」
……違ったみたい。
数分歩くと「ここだよ」委員長が改めて振り返った。
店構えは、四〇階層域なだけあり、期待していない通りの、崩れた壁に錆びた看板。斜めのドア構え……。
「入口は見た目悪いんだけど……」
委員長が言った通り、中は全く違った。
「……VIP用の店じゃん……」
「実はね。友達だから特別ね」
委員長は三つ編みを手で撫でる。
少し得意げで、少し恥ずかしいみたいだ。
悲惨な入口に対して、店の中は豪華絢爛!
大きなシャンデリアに、中華風の屏風が並び、従業員たちは次々に委員長に頭を下げていく。
慣れない光景に腰が引ける僕なのに、朱は全く動じない。彼女は日常茶飯事のことなのかも。
「なぁ、隼、VIPとは?」
「蒸気街とか、ここらへんの金持ちとかが使う専用のお店ってこと。僕みたいな底辺は絶対にぜーったいに、入れない」
「そうか」
案内されたのは個室だ。
といっても、個室しかない店のよう。
だけど、ここならゆっくり朱ともしゃべれそうだ。
「料理はなにがいい? 適当にコース出そうか?」
「そんなのできるの?」
「もちろん。あ、壱萬圓からになるけど……父に言えば、もう少し安くは」
「かまわん。ここはボクが持とう。案内してもらったしな」
「だって。その壱萬圓のコースでお願いしてもいいかな?」
「うん、わかった。……じゃ、ゆっくり食べてってね!」
嬉しそうに出て行った委員長を見送り、壱萬という大金コースを即決できる懐具合に驚いてしまう。
いや、蒸気街と物価が違うのかもしれない。
あれ? 通貨は、蒸気街と……同じ、だよね……?
「何を悩んでる、隼」
「いや、壱萬っていったら僕の二週間分の食材代に相当するので……」
「確かに高価だが、中華だからな。それぐらいするだろ」
「香煙家は言うことが違うねぇ」
嫌味を放ってみたけれど、朱には全く効いていない。
それよりも朱はこの部屋の快適さに心を打たれている。
空気清浄機があるおかげで、普通に呼吸ができるからだ。
ハンカチが外され、深呼吸する。
頬に横線が入ってるけれど、朱は気にしないようだ。
ベタついた髪も乾かしたいのか、なんどか部屋の隅で髪の毛を靡かせている。
だけれど、それ以上に彼女の行動がおかしい。
やたらと服を触り、体を自分でまさぐっている。
言葉とは裏腹に、卑猥な感じじゃない。
ぜんぜん、エロさがない。
なんだろう、この子供が砂を払っている感は……。
「朱、なにしてんの」
「……んー、ボクに発信機か何かがあると思うんだが、見つからないんだ!」
「それ、たぶん、違うと思うけど……」
「この天才を差し置いて何を言う!」
「天才かもしれないけど、スパイのプロではないでしょ?」
「そうだが!」
「もし、何か朱にしかけていたら、さっき直接来なかったのはどうして?」
「……たしかに! じゃ、何を目印に追ってきてるっ」
「多分、これ」
僕は右腕を掲げた。
「その腕に発信器があるのか!」
「ちがう。そうじゃない」
「なんだ、勿体ぶって!」
「いいじゃん少しぐらい。そのさ、シラカバって人、クラスは?」
「ボクの側近だ、麒麟に決まってるだろ」
「最上ランクじゃん……」
蒸気石加工技術ランクがあり、下から玄武、白虎、青龍、朱雀、麒麟と伍段階にわかれている。
わかれてはいるけど、玄武のクラスになるのも難しい。
ようは。加工技術の最上位者たちをランク分けしているのだ。
「その、カゲロウから聞いたんだけど」
「またカゲロウか!? 騙されていないか!」
「いや、だから……いいや。あのさ、鎧に匂いがあるって知ってる?」
「蒸気石と鎧が混ざる匂いのことか? ペトリコールと呼ばれるやつだろ?」
「そう。普通は雨の独特の香りらしいけど」
「それがどうかしたのか?」
「麒麟クラスになると、ペトリコールを嗅ぎ分けられる人もいるんだって」
「じゃ、隼の鎧の匂いを、犬のように追ってきてるってことか?!」
「その可能性もあると思って。だから、出てくるとき、不純の蒸気石を入れて匂いを変えてみたんだ。……でも、僕の考えは素人考え。全然役に立ててないかもしれないけど、少しはごまかせるかなって……」
「すごいぞ、隼。見直したぞ!」
肩を強く叩かれたと同時に、個室のドアが開いた。
前菜が運ばれてきたのだ。
パクチーとクラゲの和え物や、おなじみのバンバンジーなど、おしゃれな器に少量ずつ盛り付けられている。大皿にどーん! という料理ばかりだと思っていたから、驚いてしまう。
「最近は中華でも個別でサーブするのが流行りなんです」
驚く僕にウェイトレスさんがフォローしてくれた。
こんな高級なところで食事なんてしたことがないけど、とりあえず、中華でよかった。
箸が使えるから、どうにかなる……!
さっそくと箸を伸ばす僕らだけれど、思えば僕は、今日初めての食事だ。
「……うっ! んぐ!」
「どうした、隼」
「いや……なんでもない……」
つい数時間前の急死に一生を、僕は記憶の底に閉じ込めた。
一応、自殺願望男子だけど、今はこの美味しいご飯だけに集中したい……!
本当であれば、もっと朱といろんな話をすべきなのかもしれない。
だけれど、僕らは目の前の食事に集中していた。
しすぎている、といってもいいぐらい。
カニ玉あんかけ炒飯に酢豚、エビチリに麻婆豆腐……。
四川風らしく、香辛料がめいっぱいつかわれてるけど、体の中からじんわりと温まる感じが、今の僕には嬉しかった。
死のうと思って過ごしてきたけど、いざ死のうと思うと、途轍もない体力がいることを僕は知った。
これはしっかり精力をつけて死なないと……!
「はぁ……おいしい……朱の口にあってる?」
「ピリ辛度合いがちょうどいい! とってもおいしいぞ!」
どれも庶民である僕の口にぴったりな高級料理だけど、朱の口にも合ったようだ。
朱は一口頬張るごとに笑顔が咲いている。
食べる姿も楽しそうだ。
「しっかし汗がひどいな……」
額の汗を朱は手の甲でぬぐっている。
髪の毛が額に張りつくようで、しりきに拭っている。
そんな僕も、背中がべっとり。
朱にあわせて上着を脱がないでいたけれど、もうそろそろ脱いでもいいかも。
「水風呂にでも入りたくなるな!」
真っ赤な豆腐を頬張り、朱がにこやかに言った。
僕も同意しそうになって、言葉を詰まらせた。
「……あー………」
「どうした、落ち込んで」
「……僕らの寝床だよ。どうしよ……」
「そんなもの、宿を取ればいいだろ?」
落ち込む僕に、朱はあっけらかんと言いのけた。
僕は一度小さくため息をついてみせる。
「四〇階層のホテルなんて、最高級かドブしかないよ?」
「そうか。なら上階に上がればいいのか?」
「一〇階層まで上がれば平気だけど……でも」
「でも?」
「今、上がるのは得策とは思えない……でも見つけないと野宿もヤバいし……でもこの階層で見つけておいたほうが……」
「デモデモうるさいな」
「だって、君を生かさなきゃいけないけど、どう助ければいいかなんて、答え出てないじゃん……」
言葉の勢いに任せて口に含んだ麻婆豆腐が熱いし、辛い!
すぐに水を飲み込んだ僕に、朱は「うん」とだけ返事をする。
「我々の場合、逃げても時間切れがあり、立ち向かっても殺される……ではあるが……」
大きなエビチリを頬張り、朱は幸せそうに目元を緩めた。
「……が、とりあえず、シラカバ以外が身につけてる鎧を取り戻そうではないか!」
次に何を食べようか迷っているのか、少し目を泳がせながら、黒酢豚をつまむ。
僕も負けじとチャーハンを頬張りながら、言い返した。
「取り戻してどうなるんだよ? それにシラカバの仲間なんでしょ? 取り戻すなんて、無理じゃん」
やれやれとでもいうように朱が肩をすくめた瞬間、激しい衝撃音が響いた。
「抗争……?」
僕の声に朱が首を振る。
「襲撃だ!」
すぐに立ち上がった僕らだけど、お互いに食べ物には卑しい性分のよう。
朱の右手には程よく冷めた肉まんが、僕の左手にも程よく冷めた胡麻団子がある。
僕らは扉を睨む。
僕は朱を守るように立つけど、胡麻団子の誘惑には勝てない。
もっちりと噛み締めたとき、大きく扉が開かれた───
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次回、判明の回です
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