六話 〜やっぱり夕飯を求めて
迷路街は筒状になっている。
だから建物がぐるりと円を描くように囲っているのだが、それを繋ぐのが、環状線道路だ。
網のように伸びて繋がる道路の隙間を抜け、僕らは隠れ隠れ、下へ下へと進んでいた。
「隼、重くないか?」
長い髪をなびかせていた朱は、一度、髪をなでた。
艶やかな髪のはずなのに、迷路街の湿気を吸って、少し重さを感じる。
「だいぶ慣れたよ。それに鎧がアシストしてくれてるから」
「そうか。それはよかった!」
監視カメラを避けるように動くとなると、建物の隙間か、または誰も通らない裏道か、或いは環状線道路を選ぶしかない。環状線道路には、定期的にカメラがあるものの、場所がわかりやすく、かわしやすい。
そのため、僕は突発的な攻撃を避けるためにも、環状線道路を選んでいた。
素人考えだけど、きっと、むこうだって騒ぎにしたくないはずだ。
それに大きな犠牲を強いても達成するのなら、とっくに区画を破壊しているだろうし、この道路だってぶち壊して封鎖しようとするハズ。
……とはいっても、僕の居住区は潰されてたし、朱を助けたときはアパートを押しつぶしていたから、この作戦があっているのかどうかはわからない……不安ばかり。
ただ、周りに攻撃が及ぶのは間違いないので、そこから反撃を考えようという、こすい理由もある。
人に迷惑をかけることを大前提としてる状況には変わらず、僕は心のなかで辺りに謝罪を叫んでいると、朱は迷路街の景色に興味深げに目をキョロキョロと動かしている。
「迷路街の人力車は、色が統一されてるのか?」
「緑ばっかだからでしょ? ここは民間人力車が多いんだ。民間はここでは緑色なんだ。蒸気街なら専用か国営だろうけど、ここは価格の安いほうがよく使われるから」
『人力車の色で階級がわかる』
まさにその通りの言葉だと思う。
お抱え俥夫がいる人なら、間違いなく人力車だって私物になるだろうし、一方の僕のような末端は安い緑色の民間人力車を使うことになる。
ただ民間はぼったくりも多い。
安全安心をとるなら、国営の人力車か、大きめの民間会社の人力車がオススメだと、僕は思う。
ただ僕は地図が頭に入っているし、蒸気靴も持っているため、めったに蒸気人力車は使わない。
学校の通学にだって使われる蒸気人力車だけど、通学で使ったのは三回だけ。
理由は朝早めに起きれたから……。
あとは遅刻ギリギリだったから、蒸気靴で走った方が早かったっていう話。
「……深くなると、人力車がデコボコで緑一色だ!」
朱がいうのもわかる。
三十五階層をすぎてくると、民間人力車がぐっと増える。
民間の人力車は緑と色が決まっているため、目に優しいが、乗り方が雑。だから、蒸気人力車がカスタムカーのようにデコボコゴツゴツ、ツキハギしている。
見た目の通り、いざこざも絶えない。
今だって、人力車同士がぶつかったぶつかってないで揉めているし、乗車賃が違うと道路脇でも揉めている。
僕らはそれを横に見ながら、ビルの隙間に移動した。
この隙間は一〇階層奥に進めるいい穴だ。
隙間を落ちていく僕らに、蒸気の幕がぼふんぼふんと突き抜けていく。
「蒸気雲というのか? 面白いな!」
通り抜けるたびに、顔がびっちょり濡れるけれど、それも朱には面白いみたいだ。
びゅうびゅうと耳に風が鳴る。
地下に進むほど、さっきよりも湿気った空気がたちこめている。
「髪の毛が重いな! なびかなくなったぞ!」
「ここは蒸気が多いからね」
細い壁の隙間を縫うように、僕らは走りだした。
鉄の看板をくぐり、蒸気管を伝い、誰かの家のベランダを蹴って進む。
楽しいのはこの辺りまで……。
四〇階層にさしかかるころには、鼻が曲がりそうな臭いがしてくる……。
「鼻が痛いっ!」
「朱は慣れないか……ハンカチでもあててよ」
「そんなもの、ぼっでだい!」
鼻をぎゅっとつまんだ朱が涙目で僕を見るけど、僕だって驚きだ。
「れ、令嬢でしょ!? 身だしなみのひとつじゃないの?」
「ばだじわ、デザイナーだ!」
彼女なりのポリシーががあるよう。
それほどすごいポリシーではないけど。
僕は胸ポケットからハンカチを取り、差しだした。
「使いなよ」
「あぎがど」
ハンカチを手渡しながら、僕はこの混沌に慣れてしまっているのだと、再認識した。
一生、僕が蒸気街の人間にはなれない決定的な違いなようで、なんでか胃が痛くなる。
四十三階についたころには、腕時計は19時を回っていた。
どうつけられているかわからず、監視カメラを避け、人に会わないように、人が少ないエリアを選らんで走っていただけに、ひどく時間がかかってしまったようだ。
ビルの裏手に降りた僕らだけれど、辺りに変化がないか確かめる。
「シラカバは、まだここまで来ていない……? 早く隠れないと……」
見回す僕だけど、朱は鼻を潰すようにしっかりとハンカチで顔を覆っていて、面白い。
きっとハンカチを外したら顔にハンカチのシワが、頬いっぱいについていると思う。
「隠れる前に、ご飯だ、隼! ボクは腹ペコだ!」
「のんきだな、全く……」
背後に気配がある。
振り返りながら、朱を背後に僕は隠した。
「そこにいるのは誰だっ」
ゴミ捨て場の影に気配を感じたのだ。
大きなゴミの後ろから、よろよろと手を上げでくる人がいる。
「こここここ殺さないでっ!」
黒髪の三つ編みをゆらし、必死に叫びながらメガネを直すのは、クラスメイトの……誰だっけ?
四月はまともに学校に行ってたけど、だからって積極的に名前を覚えていたわけじゃない。
でも……見覚えがある。
「あ!……学級委員長、だよ、ね……?」
「……へ!? あ、木場くん! なんでこんなところに? 今日も学校休んでたけど、体、大丈夫なの??……!? 腕、右腕、どうしたの!?」
いきなりの優しさに、僕は固まってしまう。
しかも僕の名前覚えてるし。
「あー、これ、ちょっといろいろあって……あ、大丈夫。痛くもないし、もう、僕の腕、だよ……?」
僕の腕を触り、制服の破れをみる委員長だけど、つんとメガネを押し上げた。
「あんまり無理しないでね。これが何かはわかんないけど」
「ほう、隼の苗字は牙なのか。強そうだな!」
そう言いだしたのは朱だ。
僕の背後からちょこっと顔をだして委員長を確認すると、すいすい近づいていく。
「ちょ……! 木場は樹木の木に場所の場。勝手に強そうにしないで……って、聞いてる?」
小さく頭を下げた朱は、委員長に手を伸ばした。
「ボクは朱だ。よしなにな、委員長!」
委員長はハンカチを巻きつけた朱をいぶかしげに見ていたけど、朱の制服をみて、肩をびくりと震わせる。
「え、蒸気街の高校……だよね? あの、幌士吏高校でしょ……?」
「そうだが?」
「す、すごいっ! 私の憧れの高校なの!」
委員長は驚いたのか、口元を手で隠す。
その仕草が女の子っぽくて、つい朱と見比べてしまう。
……うん、朱は、少年寄りだ。
「あ、ごめんなさい! アヤさんですね……は、はい、う、魚住 香澄です」
委員長は恐縮しっぱなし。だけど、朱が無理やり手を握っている。
さらに顔を赤らめる委員長に、僕は意味がわからないけど、感動、してるのかな……?
「ね、朱、自己紹介して大丈夫なの?」
横について小声で聞いた僕に、朱ははっきりと言った。
「敵意がない者まで警戒していたらキリがないだろ!」
「敵意って、なに、木場くん?」
「いや、なんでもないよ、委員長。……朱、声が大きいっ」
僕はとりあえず、最優先の質問を口にした。
「ね、委員長、ここら辺で、人肉扱ってない料理屋ってある?」
「それならうちがいいかも。うちはちゃんと十三階層から食材卸してるから。あ、中華なんだけど、大丈夫かな?」
委員長についていく僕に、朱の目は見開いている。
もしかしたら、口も開いているのかも。
「隼、今、なんていった……?」
「なにが?」
「ジンニクって聞こえたんだが……なんのお肉だ?」
「…………」
「……隼、何か言ってくれ! もしやっ……んぐっ」
すぐに僕は朱の口を押さえ込んだ。
ここで人肉が異常だと叫ばれたくなかったからだ。
少しでも迷路街に馴染みのある蒸気街の人間にしておきたい。
「ね、アヤちゃんって蒸気街の生徒さんだよね?」
この質問は僕が答えなきゃ!
改めて朱の口を強く塞ぐ。
「そ、そうだね。こっちに親族がいて、顔出しにきたんだって。だけど久しぶりに来たら結構変わってたみたいで、道に迷っててさ。僕が案内しようとしたんだけど、僕も迷っちゃって……助かったよ、委員長」
「ううん。へぇ〜。四〇階層に親族さんかぁ……」
嘘の上塗りは、正直墓穴だ。
怪しまれてる……。
「大変だね、この階層に親族さんなんて……。今流行ってる、風邪型七七二?」
「そうみたい。ね、朱」
「……んぐっ!」
「新種だから熱がひどいんだってね。ご親族さん、無事に治るといいね〜。そうそう、だから今ね、人肉が安くて。うちも切り替えるとかいう話になったんだけど、やっぱり、この階層で安全安心がモットーだから……」
怪しまれてなかっタァ……!!!
僕の喜びとは別に、朱の顔が青い。
人肉を食べる習慣があることに怯えているのかなんなのか。
蒸気街の、さらに香煙家の御息女だ。
しかも当主候補なのだから、こんな四〇階層の現実なんて知らないだろうし、聞いてもいなかっただろう……。
だけど、ここは、そういう場所だ。
───地獄が現出している。
「朱、中華料理だって。楽しみだね」
なるだけ明るく声をかけてみたけれど、朱の心はここにあらず。
どう見ても目が虚ろなので、僕は仕方なく彼女の細い手首を握り、歩くことにした。
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次回は夕食にありつける二人です
お楽しみに!