四話 〜安全地帯を求めて
十八階層に一度逃げた僕らだけれど、階層が上がれば監視カメラも増えてしまう。
「どこにいく気だ!?」
「どこか安全なところ……というか、耳元で叫ばないでよ」
「これはボクの普通だ!」
「うるさいってば……うん……追手はないから、もう一度、下層に行くね」
「ちょ……おい、おいっ!」
───僕は隠れる場所を考えたけれど、もう、ここしかなかった。
「ごめんね、もっと安全なところがいいんだろうけど……僕、そういうツテがなくって……」
「気にするな、キノコの少年。助けられただけでも、感謝しきれんぞ!」
彼女を連れてきたのは僕の部屋だ。
三十四階層の最奥にある場所。
住宅街として使っていた場所だけど、蒸気管の不具合が多い地区で、二週間の間で四十七人の死者を出した住居群になる。七〇室あるけれど、この群には僕しか住んでいない。
よくいう、曰付き物件、というやつだ。
どうして住めるようになったかは、ここを紹介してくれた人がいたことと、僕に蒸気石を操る力があるから。
吹き出す前に、蒸気を結晶にして固めてしまえばいいという、安直な理由だ。元が蒸気石だからできることだけど。
だから天井を這う蒸気管からいくつか蒸気の花が咲いている。こうして咲かせておけば、三日くらい穴は塞がってるので、問題ない。
蒸気石は言霊で動く。
僕が使える言霊は、「咲く」「裂く」「散る」の三つ。
専門的に勉強している人なら、平均七つの言霊を使えると聞くけど、僕は三つの応用で手一杯。
もう一つくらい、使えてもいいなって思ってたけど、どうせ死ぬから、今はもう、……興味はない。
「キノコの少年! ここは君、一人なのか?」
香煙朱は僕の部屋を見回してそう言った。
この部屋はトイレ・風呂別。カウンターキッチン付きの1LDKだ。家族で住むには狭すぎるし、物も、一人分しかない。
「そうだよ。一人暮らし。これでも中学からだから、けっこう長いんだよ?」
「そうか! きれいな部屋だな! ボクの部屋とは大違いだ!」
「広さが?」
「いやいや! ボクの部屋は図面と模型であふれてひどいんだ!」
ふと天井を見上げ、朱は蒸気管に咲いた花を見つけたようだ。
「キノコの少年、君は蒸気石を咲かせられるのか? 天井にいくつも咲いているな!」
「ちょっとは……ってか、キノコの少年って……」
「君の頭がキノコに似ている!」
「傷つくね、それ。僕は、隼っていうんだけど」
「しゅん。字は?」
「字? あー……進むのシンニョウがないやつに、漢字の十を下につけたやつ、だけど?」
「ハヤブサ、と読める字だな! 名は体を表すというだろ。隼か! すばやく動けそうな素敵な名前だ! ボクは知っての通り、香煙 朱だ。朱と呼んでくれ!」
にっこりと満面に笑顔をつくる朱に僕は戸惑ってしまう。
だって、あの『香煙家』の『当主候補』なんだよ!?
「……よ、呼び捨てとかって……」
「ボクも君のことを隼と呼ぶ。だから君も朱と呼んでくれていい!」
現実離れしすぎた状況に、僕はまだ頭の中が絡まってしまう。
つい冷蔵庫からペットボトルの水を取りだし、飲み干した。水をいくら飲んでも乾きが減らない気がする。
朱にもと、僕は冷蔵庫から水を取りあげ、差しだした。
「ごめん。気が利かなくて。水だけど飲める?」
「ありがとう、隼。いただくよ。……あ、これを咲かせて見せてくれないか!」
改めてだけど、声が大きい。
一言一言がハキハキとデカい。
僕の三倍ぐらいの大きさで喋ってるんじゃないだろうか……。
ペットボトルと引き換えに手渡されたのが、とても純度の高い蒸気石だ。しかも小指ぐらいの大きさがある。
ここら辺でこの蒸気石を買おうすれば、僕の食費半年分は必要なはず。
「咲かせてくれ!」
朱は興奮気味に僕にいう。
前のめりにした体とは不釣り合いに胸がふるんと揺れている。胸が迫ってきてるみたい。
「ちょ、ちょっと。その、咲かすのは構わないけど、高価すぎるよ。それに咲かせたらすぐ使わないと……」
「あの蒸気靴に使ってくれ。あれだけ飛んだんだ。もう蒸気石が切れかかってるだろ? それぐらいお礼をさせてくれ!」
蒸気石を傾け、電球にかざす。
僕の黒い指に挟まったそれは、電気が照らしているだけなのに、キラキラと輝いている。
こんな蒸気石を充填できれば、もっと高く早く、馬力のある動きができるのは間違いない。
「本当にいいの?」
「遠慮するな! これでもボクは香煙家の当主候補! 蒸気石の在庫ぐらいある!」
「ありがと。使わせてもらうね」
僕は両手の中に蒸気石を乗せ、そっと囁いた。
「……さ、大きく咲いて……君は美しく咲けるよ……」
六角形の透明な蒸気石がぐるぐると渦を巻き始める。
小さく割れる音を繰り返しながら涙型に変化した。
それは僕のイメージ通りの大きな蕾だ。
「……おお……大きな蕾だな!」
大きな目をさらに開いて、楽しそうに朱は見つめている。
すると、ゆっくりと中央から渦がほどけていく。
ガラスが欠ける音が手のひらで聞こえる。リズムカルな振動を感じながら僕も見守る。
僕はこの瞬間がたまらなく好きだ。
ただの石が、美しい彫刻になっていく。
三〇秒程かけて僕の花は、大きく大きく咲いた。
何枚もの花弁がふんわりと曲線を描き、蒸気の粒が浮きあがって朝露のよう。
「はい。僕の花だよ」
香煙朱は目が落ちるほどに見開きながら、大切そう受け取ると、朱い目を再び輝かせた。ずっと欲しかった宝物を受け取ったような、あどけない少女に見える。
「まるで透明な薔薇だ! これほどの花を見るのは、ヒロカ以来だ……!」
「ヒロカ……? ヒロカって、あの御煙番の?」
「そうだ。この北海府の道東区域を統括する御煙番総代の名だ! 隼は物知りだな。彼の花は繊細でとても美しいんだ! しかし、彼にも劣らない素晴らしい出来だ! すばらしいっ!」
蒸気石は加工した途端に劣化が始まる性質がある。
彼女はそっと玄関へと運ぶと、僕が脱ぎ捨てた蒸気靴に蒸気石を注ぐ準備を始める。
「あ、朱、自分でやるよ。ちょっと特殊だから、その靴」
「これでもデザイナーだ。蒸気靴の整備ぐらいできるぞっ」
彼女は慣れた手つきで僕の花をそっと潰した。
そう、これが正解だ。
綺麗に咲いた蒸気石は、崩してからが本番だ。
それを蒸気ストッカーに注ぎ入れ、蒸気穴の調整を整えれば、すぐに使用可能になる。
蒸気ストッカーに砂となった蒸気石を注ぎ、すぐに段取りよく靴のメンテにとりかかった。
「かなり使い込んでるな……。ソールの交換、した方がいいぞ?」
狭い玄関で、朱は楽しげに僕の靴を整備している。
僕はその後ろに座り、黙って見ていた。
膝を抱えて見てるけど、学生服がボロボロだ。片腕がない学生服なんて、今時流行らない。
着替えようかと腰をあげかけたとき、朱が僕をちらりと目を向けた。
「隼、どうだ。腕は」
「それが、あまりに違和感がなくて困惑中」
「そうか。神経系にも不具合ないのは何よりだ! ボクの鎧はグルメでな。蒸気石の加工が綺麗なヤツしか懐かんのだ。隼のことは大層気に入ったようだな! それほど精巧に腕に変化したのは、アイツ以来だ……!」
その言い方が憎々しい。
つい聞き返してしまった。
「……あいつ?」
「あの白づくめの男だ!……シラカバというボクの側近だった男だ……」
「だった……」
「嵌められた。だがあいつはボクを出し抜いた! すごい奴よっ」
朱は笑っている。
笑っているけれど、泣いている。
僕にはわかる。
彼女の涙が見える。
口元しか笑ってない……。
「なぁ、隼よ、この蒸気靴はどうした? かなり性能がいいものだな。蒸気街でも、手に入れるのが難しそうだ!」
「……え? うそだぁ」
「なぜだ?」
「だってそれ、ジャンクだよ?」
「ジャンク品? これが?」
「うん。カゲロウって人からもらったんだ。この住居とか、それこそ靴の使い方や、護身術なんかも教えてくれてる人なんだけど。ジャンク品を蒸気街から買い付けて、迷路街で売ってるんだ。蒸気街の買い出しが多くて、月に数回しか会えないけど、すごくよ」
「おい、隼!」
勢いよく振り返った朱が僕の胸元を掴み上げると、ぐんぐんと揺らしてくる。
「な、なに? え?」
「騙されてないか、そいつに! ここ迷路街は騙し騙されの世界ではないか!」
「な、なんだよ、急に」
「だいたい、こんな高価な靴を与える男など、碌な男ではない!」
「ど、どういう、情報……?」
「この前見たのだ、高価な靴を渡す男は、その人間を支配したい欲があると!」
「……それ、どんな番組? ワイドショー? 女子専用チャンネル?」
「とにかく、カゲロウに気を付けろ、隼よ!」
僕をもう一度ガクガクと揺らしたあと、そっと靴を差し出してきた。
手渡された靴は簡単に磨かれていて、さらに蒸気穴の調整も完璧に終えられている。
あの短時間でこれほどの手際なのは驚きだ。
朱はそのまま立ち上がると、玄関のドアノブに手を掛けた。
「どこいくの?」
「世話になった。出ていく」
「出てくってどこに? 朱はここのことなんてわかんないじゃないか」
「だが、隼を巻き込むわけにはいかない。腕の鎧は慰謝料と思って受け取ってくれ」
「いや、無理でしょ、こんな高価な鎧……」
「ボクが死ねば、お前は見逃されるはずだ」
「それって、どういう……」
「ボクはシラカバに狙われている。ここにいれば、また君に大きな迷惑がかかるだろう。長居をしてしまった。だが、楽しかったよ、隼。ありがとう!」
僕はとっさにドアを開けた朱の手を取っていた。
だって───
「……そっか。君といれば、死ねるのか……」
「何言ってるんだ……?」
「それがいい」
「……は?」
「君といれば、死ぬ確率が高まるってことでしょ。じゃ、即死狙いでいくよ。さっきみたいのはだめ。死にづらいし、すんごく痛かったから」
「……はぁ?」
「ごめんね、僕は死にたいんだ。こんな世界から死にたいんだ……でも、笑って死にたいんだ」
朱は僕の目をみたけれど、何も言わなかった。
頷きも、返事もなかったけれど、彼女はゆっくり僕と向きあう。
「隼が決めたことなのなら、ボクに文句はない! ただボクも香煙家の人間だ。利用できる者は利用しろと教えられている」
「僕になにを……?」
「隼が死ぬまで、ボクを守ってくれ! どうせ捨てる命だろ。ボクの盾として死ぬのなら、後世に名が残るぞ!」
「いいよ。でも死ぬタイミングは僕が選ぶ」
「構わん!」
「じゃ、成立だね」
僕は差し出された彼女の手を握った。
あまりに小さな手なのに、節々が骨張って、硬い。
女の子の手とは思えない硬さだ。
どれだけの時間、鎧と向き合ってきたのか。
常に工具を操り、デザインを引き、改良を繰り返してきた実務の手だ。
「まずは、ボクの状況を伝えようか。相手を知らなくては話にもならんだろ」
───本当はやめておけばよかったんだ。
僕はもう、後に引けない契約をしてしまった。
このせいて、取り返しのつかない未来に翻弄されることになったんだから……。
お読みいただきありがとうございます!
今回、少し長くなってしまいました。
切る場所が見つからず、申し訳ないです。
次回はもう少し踏み込んだ話に……!
ぜひ応援・感想、お待ちしておりますっ