零話・再 〜ハヤブサとしての自分を求めて【完結】
朱色の高級蒸気人力車に乗り込んだ僕らは、蒸気街を見渡しながら学校へと向かっていく──
今、眼下に見えるのは、世界が羨む北海府・蒸気街。
広大な十勝平野を飲み込むように広がるビル群が、まるで映画のワンシーンのよう!
温かな日差しを浴びながら、僕は改めて、ハヤブサという自分の名を口の中で繰り返した。
朱からもらった名前だ。
側近としての名前になる。
朱からもらったものだから、大切にしたい。
だけど、隼だからハヤブサって、かなり安直だなって、口に出すたびに思う。
……そんなことを思ってないと、全然気持ちが落ち着かない!!!
なぜなら、僕の心に、深々と不安が積り始めているから……。
「……ねぇ、やっぱりさ、僕が本当に側近で大丈夫? 心配になってきた……。だって僕なんて」
「うるさい! この香煙当主候補が決めたことだぞ!」
「候補がなに? 当主じゃないじゃん。だいたい、僕は迷路街出身だし、教養もないし……たまたま蒸気石の加工センスはあるみたいだけど……でもだって、それだけだし……」
「あーまた始まった! デモデモダッテ! あーうるさいっ!!」
朱はずいっと僕に顔を寄せる。
僕の青い目を見透かすように、見つめてくる。
鼻先まであった前髪がないせいで、朱の顔がよりはっきり見えてしまって、それがこそばゆい。
「ハヤブサよ、道は前にしかない。後ろを見ても結局それが前だ。ただがむしゃら走れ! 隠密への道は前にあっても近くはないぞっ!」
アーモンド型の、朱の朱い目に、寝ぼけた顔の僕が映る。
───そう、僕は、死ぬことをやめた。
この国を他国のスパイから守るための隠密集団、御煙番になるために、僕は『生きる』と決めたんだ。
これは朱のためじゃない。
僕自身のためだ。
僕のために、僕は朱の側近になったんだ────
「……ねぇ、朱、やっぱりこの制服目立つよね? 悪目立ちっていうんじゃない?」
「だから言ってるだろ! それは香煙の色だ!!! 変えられない! それだけで、ボクの側近ってわかるだろ!!!!」
「うるさいよ、怒鳴らないでよ」
「それはこっちのセリフだ、ハヤブサ!!!!」
半ば喧嘩腰で、僕らは学校へ到着した。
普通は僕が朱をエスコートしたりするのかもしれない。
だけど、僕にそんなことしている暇はない!
見るもの全てが、憧れの塊!!!
「朱! 朱! 幌士吏だよ! すごいね! すごいね!!」
「そうだろう、そうだろう!!!」
なぜか胸を張る朱ごしに、僕は学校を見上げた。
灰色の校舎の周りを、近代的な設備が並んでいる。
「たくさん建物あるね……校舎以外にこんなに……」
「全て専門知識を得るための場所だ。向こう側の黒い建物は、鎧デザイナーのための設備だ。もちろん、隠密用の建物もあるぞ!」
……それしても、蒸気管もひどい数だ。
入り組みながら、歯車と蒸気がシャカシャカと音を立て続けている。
だけど、やっぱり蒸気街。配線は美しく整っている。
迷路街なら、カビみたいにひょろひょろと繋がって不規則で美しくない。
校門を過ぎ、校舎へ向かう僕らだけど、写真で見るより、大きな校舎だ。
和風ながらも、モダンな雰囲気もあって、どこまでも異世界にいる気分。
……さらには、校舎までが、遠い!!!
「朱、こんなに遠いの? 毎日こんなに歩くの?」
「二キロメートル弱、ある。軽い散歩だな!」
「ね、それって無駄じゃないの? ね? あ、僕、滑っていくから、朱、腕に乗る?」
「少しは堪能しろ、馬鹿者!」
朱のあとを追いかけるように歩く僕だけど、あまりにキョロキョロしすぎたせいで、何かにぶつかった。
けっこうな勢いでぶつかったが、壁にぶちあたったようだ。びくともしなかった。
頭が見えたので、人間だったみたい。
「ご、ごめんなさい」
謝りながら相手を見ると、……女の子!?
しかも、朱色の制服を着てる……。
つか、こんなに華奢なのに、びくともしないとかありえるの?
僕、思いっきりぶつかったんだけど……。
「あ、あの、大丈夫……?」
「問題ありません」
あまりに機械的に言葉を返され、戸惑っていると、
「ツバキ、彼はボクの側近、ハヤブサだ」
彼女と僕の間に朱が入ってきた。
すぐにツバキと呼ばれた彼女は、朱の前にひざまづく。
「失礼いたしました、朱様」
そのツバキという少女の制服の襟を、無理やり掴み上げて、立たせた男子生徒がいる。
乱暴なその動きに合わせて、ツバキと呼ばれた彼女は立ち上がるが、彼女の表情は微塵も変わらない。
すぐにその男の後ろにツバキは移動したせいで、僕は彼と対峙することに……。
初対面の僕を、殺気立った目で見つめてくる。
もんのすごく怖いんだけど!!!
「……チッ! ツバキ、行くぞ。……お前さ、朱の側近なんだろ? 全然、つまんねーな。もっと掛かってこいよ。あー、今度ツバキと対戦してみてよ。しっかり潰してやるからよぉ。ははっ!」
黒い学生服をだらしなく着こなした彼だが、耳のピアスが半端ない。髪の毛も青いし、そして何より、目が朱かった……。
舌を出しながら、首を掻き切る仕草は、慣れた動き過ぎて逆に驚いてしまう。
「……朱、あれって、ロック系の人? この学校にもそんなのいるんだね」
「ハヤブサ、違うぞ! 敵となる当主候補だ! しっかり覚えろ。名は、香煙 朱佐。側近がツバキ。どちらも学年は二年。二人ともに隠密の技を身につけている強者だ。朱佐は御煙の上位クラスの実力がある。ツバキの方は、もうすぐ御煙に入るという話を聞いている」
「……強いんだ。うん、わかった。気をつけるね」
校門から入ったばかりなのに、嫌な洗礼だな。
……なんて思っていたのが甘かった!
いきなり背後を取られた……!
つか、首に腕、入ってる!!!
ヤバイ! これ、苦しいやつ!!!
「そんなに怖がらないでくださいよ。遊びですよ、遊び」
少し力はゆるくなるけど、苦しい感じは変わらない。
黒縁メガネの男の顔が、にゅっと出てきた。
制服は朱色。僕と同じ側近か……!
「ちょっ……離してよ!」
「なら、解いて見ればいいんですよ」
右腕に力を込めたとき、朱から声がかかる。
「技術で抜けぬのなら、ハヤブサの負けだ。それを使っては、まだまだだぞ」
そんなことを言われても……。
僕に抜け出す技術なんて!
脇腹に一髪、肘でも入れればいいけど、体勢をうまく変えてる。
届かない………!!!
そんな中、悠々と正面から歩いてくるのは、女の子。
とても美人な子だ。スラッと背が高くて、色白で、銀色の髪がとても似合ってる。
「ちょっと、朱ちゃん、こいつ、鈍いんじゃないのぉ? シラカバより強いって聞いてたんだけどぉ」
……声が、男!?
「あ、オレ、香煙 朱葉流っていうんだぁ。その子は、オレの側近のぉ」
「私はアジサイ。同じ一年だ。仲良くやろうじゃないか」
全然、腕が解けない。
つい、義手に力が入ってしまう。
「意外といい物つけてるな。期待してるぞ」
僕を投げるように離し、そそくさと離れていく二人の背を見ながら、僕は息を整える。
「けほっ! びっくりした……なに、あれ……」
「朱葉流はそれほど戦えないが、蒸気石の加工技術はトップクラス。小指ほどの蒸気石で、百合の花を咲かせられる。側近のアジサイはすでに御煙だ。実戦経験も増えてると聞くぞ」
「………? さっきのツバキより、アジサイの方が上ってこと?」
「どちらが上はない。どちらも、ハヤブサより、上だ」
「……言葉が、痛い……」
再び歩き出した僕らだけれど、やたらとキョロキョロするのは見逃して欲しい。
また、首でも締められたらたまったもんじゃない!
「本当に、キョロキョロしすぎだ! 恥ずかしい!」
「朱、そんなこと言わないでよ……。さっきの本当にトラウマだよ?」
「多分、もう大丈夫だ!」
「多分、ってなに? 多分って!」
校舎玄関付近が騒がしい。
歓声のような声も聞こえるし、何より、生徒たちが頭を下げながら、両脇に避けていく。
初めての現象を前に、僕はただ固まってしまう。
「ね、朱、なにがあるの?」
聞いているのに、朱は笑うだけだ。
それならと、目をこらして奥を見ると………
あれは……見間違うはずがない!
僕の憧れが歩いてる───!!!
「……ヒロカだ……」
こんなに間近で見たのは初めてだ。
いつも画面越しだったから、生きてる人だよね、そうだよね!!!
確かにこの学校には、隠密の授業に御煙番が講師として働いているとは聞いていた。
だけど、まさか、ヒロカもその講師の一人だなんて………。
見ると、ヒロカの後ろに、あの花火師の二人がついている。
僕も頭を下げないと。
ヒロカが通れるように脇に避けようとした時、あの天狗の面が僕を向いた。
途端、ヒロカは蒸気に乗ると、こちらへ飛んでくる。
「ちょ、朱、なに、なんで!?」
朱に助けを求めるが、彼女はするりと横へそれる。
ヒロカが僕にぶつかる寸前、僕にしたことは────
「隼!!! 会いたかったぁぁぁあぁぁぁ!!!!!!!」
ハグ。
紛うことなき、ハグ!!!
「は? はい? え? あの、」
「助けに行った時、もう、ボロボロで、俺、もう……本当に! 隼を一番弟子にしようって思ってたから! 弟子がいなくなったらって……俺! 本当にごめんな、隼。俺がもっとうまく動ければ……」
男泣きに近いヒロカを見て、僕はどうしたらいいのでしょう……。
「ヒロカ、木場くん、誰かわかってませんよ」
「え? 嘘? わかんないの?」
お面越しに「わかるでしょ?」という視線を投げられるが、僕は素直に首を横に降った。
彼が薄く面を外して僕に顔を見せてくる。
僕にしかわからないように、そっと……。
「…………はぁ!? なんで!? ちょ!!!」
あまりに大きな声に、自分でも驚いてしまう。
小声に切り替え、
「……ちょ、カゲロウ、だよね……?」
「そうだよ」
カゲロウの笑った声がする。
だけど、お面ごしになると、少し声が変わって聞こえる。
面には、そういう仕様があるのか……!
「俺の本名は陽炎。師匠のカリンが三文字名前が呼びやすいってんで、漢字の陽炎をヒロカって読み出してな。したら、それが周りに広がっちゃってさぁ。俺、だから、隼に嘘ついてないし」
思わず腰が抜けそうになる。
ヒロカに肩を掴まれ、立たされるけど、現実に追いつけない。
何度見てもヒロカだけど、あの、お調子者みたいなカゲロウ、なんだよね?
「まだ、信じられないのか、隼」
「……だって」
朱が腕に胸を乗せながらゆっくり近づいてくる。
彼女なりに、カゲロウとの再開を演出してくれたみたいだ。
「ヒロカよ、よかったな!」
「ああ! 朱、俺の一番弟子、めっちゃ強かっただろ?」
胸を張っていうけど、僕は本当に死にそうだったんですが……。
「ヒロカ、隼ではないぞ? ハヤブサと名付けた。私の隣にいるときは、そう呼んでほしい」
「おお! 側近の名をもらったのか。ハヤブサな。その名で御煙として働くといい」
そう言いながら渡してきたのは、あの日の黒い面と、太陽を象った刺繍が施された腕章だ。
手渡された面はしっかりと修復し直されている。美しく金継ぎされたところは、僕が戦った証だ。
「この腕章は流派に入ったって意味な。だから、花火師たちは、お前の兄弟子になる」
ヒロカが僕に腕章をつけてくれる。
周りの学生たちは、何が起こってるんだと集まってくるし。
僕はこの状況をどう受け止めたらいいのか……。
「ちょ、ちょっと、ヒロカ…様? なんか目立ってない? 恥ずかしいんだけど」
「御煙なんて、目立ってなんぼっしょ! ……ほら、できた!」
腕章のついた僕の左腕を見て、花火師の二人は仮面越しだけどとても嬉しそうだ。
僕に、一緒だね! というように、太陽を象った模様の腕章を見せてくる。
「ハヤブサ、本来は隠密の基礎を学び、実践へと流れていくが、隠密の基礎はずっと叩き込んできたし、この前の実戦はかなりの経験値になっている。即戦力で頼むぞ!」
肩を叩かれた僕だけど、目の前にいるヒロカが、カゲロウで、……僕はあのカリンと同じ流派に入って、花火師たちの弟弟子になって……頭がこんがらがるけど……
だけど、僕はずっと、憧れの人から、ずっと………教わって………
『──母さん、応援団長だから、ずっと応援してる!』
母さん、僕、ようやく、スタート地点に立てたよ………!
「また、泣いて……よく泣くな、隼は」
朱が呆れたように言うけど、だって、しょうがないじゃないか……!
肩が震えて反論できない僕を、カゲロウがガシッと抱き寄せた。
「……おめでとう、隼。お前の人生は、これからだ」
────敵と味方が、僕にできた日。
これは『ハヤブサ』としての僕の人生の零日目。
今日は、五月十八日だ。
あの日から、丸一年が経ったってこと。
「日記を見ているのか、ハヤブサ!」
「まあね。去年のこの日から始まったんだなって」
「よくここまで生き残ったな!」
「生き残ったって言わないでよ。僕が強くなって、しっかり朱を守ってきたんでしょ?」
朱は相変わらず大きい胸を揺らしながら、僕の横に腰をおろした。
髪の毛は背中の中ぐらいまで伸びてきけど、初めて出会った頃には遠いかもしれない。
……あれから、もう一年も経った。
だけど、僕にすれば、十年ぐらいにも感じる。
たった一年だけど、当主候補のいざこざとか、僕と朱の距離感とか、……まあ、そういう話は、また今度振り返りたい。
今は、ちょっとだけ、感傷に浸りたいんだ。
僕が人生に絶望し、そして、希望を得たあの日を、振り返りたいんだ────
完結です!!!!
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