四十話 〜自身の人生を求めて・決着
父親もこの病院に収容されているそうだ。
一応の大事をとって、襲撃など受けない完全個室にいるという。
「……朱だけで行けばよくない?」
「隼、これで最後なんだぞ?」
「僕は、あんまり感じないかな、そういうの。ずっと会ってなかったし」
「だが、けじめはしっかりつけておくほうがいい。こういうものの後悔は、あまりしないほうがいい」
朱の声が、いつになく真面目だ。
朱の実体験のようにも感じる。
それが今回のことなのか、もっと前のことなのかはわからないけれど、朱が言うのなら、僕も覚悟を決めて、しっかり、向き合おう───
朱に案内されながらたどり着いた部屋は、僕の部屋よりは簡素に感じる。
扉の取手に指紋センサーがついていない。
僕はスエットにTシャツ姿だが、一度、服のシワを払った。
「行くぞ」
朱の声に、僕は頷いた。
慣れた手つきで扉横にあるスキャナーで指紋を認証させると、朱は扉を簡単に開いてしまう。
手狭な部屋の端に、ベッドが置かれている。
横には二歳くらいの女の子と、その母親がいる。
親父の新しい家族のようだ。
身なりはとても綺麗で、セレブな生活をしているのがすぐにわかる。
「失礼する」
朱の声に、ベッドで起き上がっていた親父が、ギョッとした顔をした。
それが、どういう意味かはわからないが、良い意味ではない。焦りが見える。
「こ、香煙様が、どうされたんですか……?」
先に口を開いたのは、親父だった。
「様子を見に来た」
朱が返すと、親父は子供と母親を部屋から出そうとする。
だが、朱が小さな手でそれを止めた。
「奥さんもいて構わない」
朱の声に、子供を抱えた母親は、椅子をずらし、部屋の角で腰を下ろす。
「隼、言わなくていいのか」
「……僕の宣言でどうにかなるの?」
「まずは隼の宣言が大切だ」
「わかった」
ずっと考えてきたことなのに、いざ、声を出そうとすると、唇が震えている。
こんなんでも、親なんだと再認識させられるようで、僕は思いっきり下唇を噛んだ。
「親父、僕、香煙にお世話になる。……今まで、ありがとう……」
親父の目が光った。
嬉しそうな目つきだ。
「……香煙家に行くのか……いい……いいと思うぞ、父さん! それで、香煙様、お金とかは……?」
胃が痛くなる。
どこまでも僕をダシに……。
母方の祖父からも金をせびってるはずなのに。
だから蒸気街でセレブな生活ができるのに……!
思わず右手の拳から音がなる。
ガラスが砕ける音に似ている。
見ると、変形している。
小さなナイフになった手を見て、ため息をつく。
親父を見ていたくなくて、母親と対角線にある壁に寄り掛かった。
ここからだと、全体がよく見える。
ソワソワとする親父とは対照的に、どこか落ち着いた女の人だ。それに、父に不相応な、若くて美人な人。
彼女の唇が少し震えてる。
父は何か隠しているのかもしれない。
例えば僕のこととか、かな。
唐突に、
「金は払う」
朱が言い切った。
僕、そんなこと聞いていないんだけど!
「いくらほど……」
気持ち悪く笑う親父が言うと、朱は真顔のまま続けた。
「隼の誕生日は六月二十一日。一ヶ月強で隼は十六歳だ。十六になれば、ここ北海府では大人だ。なので、これから一ヶ月強分の隼の人生を買い取る。ボクとしても、こんなに蒸気石の加工に才能がある子を育ててくれた感謝もある。破格だが、一千万でどうだろう」
それにウンと縦に振らないのは親父だ。
「十五年も育ててきたんだが……それが一千万かぁ……」
育ててきた?
どの口が言う……!
僕は、ただ、ただ生きてきたんだ。ギリギリを生きていたんだ!
カゲロウやキリ爺がいなかったら……僕は今頃、迷路街のゴミになったはずだ……。
お前なんかに育てられた記憶は、微塵もないっ!
絶望の中、ずっと、ずっと、暗い迷路街の底を這いつくばってきたんだ……!!!
なんなんだ、この感情。
複雑すぎて、気持ちが悪い。吐きそうだ。
思わず、Tシャツを握った僕に、朱は目配せする。
無理するな、という視線だ。
朱は親父に向き直ると、目を鋭く細めた。
「……あまり香煙を煽るなよ。貴様は息子である隼をナイフで刺し、致命傷を与えたんだ。香煙の温情で前科者にならないようにしてやったのに」
「な、何をおっしゃる。あれはシラカバに言われ」
「香煙を侮るな! 罪など、いくらでも作れるんだぞ」
朱の言葉に思わず笑いそうになる。
……いい気味だ。ちょっと、スッキリした。
しかし、さすがは香煙。
世界を牛耳る者は、全て牛耳ってるんですね……!
だからこそ、正義でなければならない。ってことか。
もしかして、その香煙の正義のための御煙番?
ちょっと、黒い世界を垣間見た気分。
「湯縞へは、ボクから言っておく。香煙への投資を増やしてもらわねば。もう、隼は、木場ではなく、香煙だからな」
「そ、それは困ります!!!!」
朱に縋り付く親父だが、肩の痛みがあるようで、うまく腕を伸ばせない。
……湯縞って、母方の名前だ。なんで出てくるんだ?
疑問に思っているところで、朱は簡単に親父の手を払い落とした。
「湯縞財閥は、隼の祖父にあたるのだろう? のらりくらりと隼をダシに金をせびり、隼には迷路街で死に腐ればいいと思っていたんだろう? 侮るな! 全て調べ尽くした! この蒸気街なら、隼への対応は、間違いなく犯罪だぞっ!!」
朱はいきなり椅子に飛び乗った。
そして、ありったけの大声で親父に声を浴びせる。
「これから! ボクが! 隼を、幸せにするっ!!! 貴様は迷路街の地獄に堕ちて路頭に迷うがいいっ!!! この、クズ田クズ男ガァァーーーーっ!」
朱が叫び終えたと同時に、母親は子どもを抱えて飛び出していった。
親父は何をどうすればいいのか、よくわからないらしい。
『守る』優先順位も付けられないようだ。
ただ、すがる目で僕を見てくる。
……だけど、なんだろう。
……昔はもっと怖くて、強くて、言い返すこともできない相手だと思ってた。
なのに、今見ると……ただただ見た目だけがいい、クソなオッサンだ。
「……はぁ……隼、制服合わせに行くぞ!」
「うん! 朱、僕ね、さっそく幸せになりたいんだけど」
「ん? 今日くらいはわがままを聞いてやろう!」
「お昼、どこかで美味しいのが食べたいな。できたらデザートまで食べたい」
「おー! それはいいな、デザートが美味い店にしよう! ボクおすすめのお店に行くぞ! その前に服も買わなきゃダメか……」
「さすがにこれじゃあねぇ」
「初めての蒸気街でデートだ! おめかししてもらわないとな!」
「確かにデートかもね」
ドアノブに手をかけたとき、
「しゅ、隼!」
親父に呼ばれた。
「さよなら」
僕は顔を見ずに、ドアを閉じた。
親父の喚く声が聞こえた気がしたけれど、僕はそれよりもお昼のご飯の方が楽しみだ!





