三話 〜逃げ場所を求めて
「生きてくれ! キノコ頭の少年!」
──この言葉にも、彼女の姿にも、現実味がない。
目の前で小さな背をかざし、僕に『生きろ』と言ったのは、間違いなく、あの画面のテロ犯だ。
僕よりもふた回りは小さいだろう少女……。
身長よりも胸が育ったのか、歪な凸凹に見えなくもない。セーラー服の丈が少し短く見えるほどだ。
その彼女と対照的にあるのが、小脇に挟んだ黒く長い筒状のモノ。
がっちりと細い腕で抱え込んでいることから、相当な重さがあるように見える。
蒸気にあおられ、彼女の長い黒髪が巻きあがった。
金色の肩章と、赤線が五本入った黒いセーラー服……。
間違いなくあの蒸気街の上級高校、幌士吏高等学園の制服だ。
……僕が、絶対に行きたかった学校の制服。
「……ね、君、香煙朱なん……」
僕の伸ばしかけた手を払い、彼女は振り返った。
「とにかく逃げろっ!」
円らな瞳、という言葉の通りの大きな目は、ギンと光り、そして、赤い。
香煙家の当主となる者は、生まれた時から目が赤く染まっているそうだ。
見惚れる暇もなく、僕は感じた。
───来る!
蒸気の塊だ──!
これは彼女を、容赦なく潰してしまう!
僕の体は衝動的に動いていた。
左手で彼女の服の襟を掴み、右腕で彼女を守ろうと腕を振り上げる。
刹那、すぐ目の前の居住区が紙のようにぐちゃりと潰れていく………。
「は……、だ、大丈夫?」
僕の声に彼女は無言でうなずいた。
彼女に怪我がないことがわかったと同時に、腕が熱い。
……いや、寒い……?
「……いっ!……ぐぅ……」
全身から力が抜けていく。
……見なきゃよかった!
もう……動けない……。
僕の、右腕が、ない──!!
舗装が僕の血で濡れていく。
痛みと信じられない現実に、胃が痙攣する。
だけど吐こうにも、ついさっき吐いたせいか、だらだらと唾液が流れるだけ。
食いしばる歯が折れそうだ……。
「この馬鹿者がっ!」
僕を罵りながらも、香煙 朱は僕の腕の処置をしようとしている。
でも、もう、無理だ。
……死ぬのか。これで死ぬのか。
人助けで死ぬなら、少しはマシな人生だったかもしれない。
例え彼女がテロリストでも……。
「へぇ。よくあの圧に気づいたね、君。蒸気を操る才能があるよ」
霞んだ視界に映り込んだのは、間違いなく、あの蒸気圧を放った男だ。
ひしゃげた建物の上に音もなく立っている。
全身、白い衣装に身を包み、雪みたいに白い肌に髪で、切れ長の目で見下ろして……なんだか鼻につく。
「シラカバ! 貴様、一般人まで巻き込むとは!!」
「朱様が逃げるからですよ」
「ボクは生きる! それに設計図は、絶対に渡せないっ!」
彼女は叫びながら僕の右上腕部に輪をはめると、そこに蒸気石を無理やり差し込んだ。
新たな痛みに顔を歪めたとき、鈍痛が走る。
ないはずの指先が痺れる感覚。電気が走る激痛に、息を止める。
吐き気がわいて、生唾が溢れてくる。
腕を抱えながら、ダラダラとそれを吐き出す僕だけど、……腕……?
上から見下ろすシラカバという白い男は、ただ僕らの行動を見つめている。追撃すらしてこない。
そりゃそうか。
僕らには戦う術がないんだから、いつでも殺せるってわけか。
「朱様、面白いことをしますね」
上から降ってくる声を睨むように、地面に転がった体を起こそうと、つい、右手を立てた。
「……っつ………な、なにこれ……!」
そこには、潰されたはずの右腕が蘇っていた。
色は漆黒。
だけど、これは鎧だ。間違いない。
それでも瞬く間に僕の右腕となった理由がわからない。鎧は体を覆い、補助をするのが普通だ。
だけどこれは、すでに義手。しかも神経が通っている。
つなぎ目に若干痛みはあるものの、指は滑らかに動くし、肘は曲がる。
驚き続ける僕に、彼女は追加で赤い蒸気石を差し込んだ。
「……いっ!」
「増血蒸気剤だ。キノコの少年、動けるかっ?」
うなずいた僕に、シラカバと呼ばれた男が笑っている。
「へぇ……鎧奏ができるのかぁ……朱様は本当に運がいい。素敵な拾い物をしましたね」
細くも引き締まった白い腕が振り上げられた。
────来るっ!
「裂けろっ!」
蒸気靴から煙幕が立ちのぼる。
すぐに彼女を小脇に抱え、僕は足を踏み込んだ。
浮き上がった体だが、彼女の重さに傾きかける。
「……裂けて、散れぇっ!!」
僕の声に呼応し、蒸気石が破裂した。
あたりに立ち込めた蒸気は分厚い壁となる。
僕は必死に膝に、腹に、背中に力を込める。
人を抱えながら飛ぶのは初めてだ。
全ての神経を張り詰めないと、奈落に落ちてしまう……!
一瞬だけ、下を見た。
シラカバと呼ばれた男は、ただ、僕らを見送っている。
僕は必死に上階を目指す。
痛む腕に体、それに小柄でも彼女は重い。
だけれど、それでも僕は跳んだ。
跳ぶしかできなかった。
唐突に巻き込まれた状況に、僕は理解するのを手放した。
ただ胸の中で小さくなる彼女は、「すまない」一言ぽつりと僕に言う。
「……ごめんなさい」
僕も謝った。
……だって、これが正解なのか不正解なのか、全くわからなかったから。
ただ、僕は重大な状況の一端に関わっているということだけは確信していた───
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