二話 〜逝き場所を求めて
上階に登ると決めた僕は、蒸気に体を乗せて、壁を蹴り、電柱を跨ぎ、中央の環状線道路をすり抜けていく。
環状線は蒸気人力車の車道だ。
蒸気を上げながら、俥夫が鎧に身を包んで走っていく。
その中でも、お抱えの蒸気人力車は派手な色が多い。
この迷路街が暗いから、なのかもしれない。
ピンクや黄色の蒸気人力車を横目にすぎ、知り合いの俥夫に手を振ると、再び舞い上がった。
「もうすぐお昼かぁ……何食べようかなぁ……でも、死ねばご飯はいらないかぁ……困ったなぁ……」
蜘蛛の巣みたいな電線を潜り抜ければ、そこは電子街と呼ばれる区域だ。
二十八階層にあるここを、”北海府の秋葉原”、なんて呼ぶ人もいるけれど、そんなにすごいところじゃない。と、僕は思っている。秋葉原に行ったことがないからわかんないけど。
ただここは、蒸気街のジャンク品が山に積まれて売られているような、そんなところなだけ。
二十八階層なので、真っ当な店が多く、安全安心に電子系の器具や道具、部品の買い物ができる”電子街”として僕らは重宝している。
「……もうそろそろ、蒸気石、足さないとだめだな」
広告用の壁モニターの前に、僕は着地した。
爪先をたたき、蒸気石の減りをみて、つぶやいたのだが、どこでそれを補充するかだ。
大きな電子画面には、化粧品のCMが流れている。最近売れてるロシア系アイドルがアップになった。
春の新色リップを塗り込み、僕に向かって投げキッスをする。
「……彼女、胸が大きんだよな……顔は美少女で好みだけど……」
この蒸気石の量なら、飛べて、あと一回ぐらいだろうか。
とはいえ、僕は改めて失望していた。
僕自身に!
「はぁぁ〜……なんであの鉛玉、食らわなかったんだろ……一瞬でも『痛い』って想像しちゃうから死ねないんだぞ……体に急所はいくつもあるんだから、当たりに行けばよかったんだ……」
もう一度盛大なため息を落としたとき、ノイズを散らしながら壁型モニターが緊急速報に切り替わった。
『速報! 香煙 朱、反政府勢力重要参考人。爆破テロ首謀犯ノ可能性アリ。現在、迷路街、深部ニ移動』
蒸気機械人形放送だけど、テロップを見てようやく理解する。
「あの香煙家の人がテロリスト?……へぇ……世も末だな……」
延々繰り返される同じ文言と、大きな画面を見上げるのに疲れた僕は、ゆっくりと歩きだした。
二〇階層域の治安はまあまあ良い。それに比例して監視カメラも多い。
僕は今、学校をサボっている不良学生。しかも、今すぐ死にたい不良学生だ。
下手に足取りをつかまれるのも面倒なため、すぐに裏道へと入り込んだ。
監視カメラの背後を抜けるように、飛んだり跳ねたりしながら、確実に死ねる死に場所を求めて歩いていく。
「二〇階層域はないかぁ……やっぱ、これはもう五〇階層域かなぁ……」
ぼやいたとき、指名手配犯の少女の顔を急に思い出した。
……あ!
……香煙 朱って、鎧意匠図案家の人だ!
世界的にも有名なデザイナーで、数々の鎧の機能を追加しているっていう……。
そうそう!
僕と同い年で、最年少当主候補だって、この前の、報道特集やってた!!
モヤっとした記憶がクリアになり、僕の心はスッキリ。
まだ緊急放送が繰り返されている。
起伏のない電子音声だからか、嫌に耳に刺さる。
『迷路街…最深部……発見次第通報セヨ……』
「……最深部ってどこだろ。四〇階層からはカウントしないでしょ? あそこは無法地帯だから……はぁ……浅瀬で最深部とか言わないでほしいな……にしても、急に思想に目覚めちゃったのかなぁ……すごいな、才能ある人って……」
独りでいると独り言が多くなる。
僕だけの癖かもしれないけど、僕はとにかく独り言が多い。
「……はぁ……二〇階層はホント、カメラが多いなぁ……うまくかわして行かなきゃなぁ……あ、香煙 朱ってカワイイ感じだったよね、こがら」
僕は右足を踏みだそうと膝を曲げた。
だがそれ以上、進めなかった。
……なぜなら、目の前が吹っ飛んだからだ。
埃が舞う。鉄筋が崩れた埃だ。
さらに蒸気のカスが当たりに散っている。
「……蒸気……なの?」
だけど、目の前の光景に納得できない。
建物を吹っ飛ばしたのだが、爆発したわけじゃない。
ただ、蒸気を言霊で操れる人のなかには、補助能力がある。けれど、こんなアビリティは見たことがない。
蒸気が球状になるなんて、蒸気の性質として、ありえない……。
「……なんなんだよ……」
目だけで左を見た。
吹っ飛ばしたと思っていた建物だけれど、……まるで違った。
「潰され、てる……」
ここにあったのは、……そう、二階建てのアパートだったハズだ。
その体積をほんの数十センチにするだけの蒸気圧。なんてひどい力だ……。蒸気の塊をそれほど圧縮させて噴出できる力があるなんて、考えられない。
「もしかして、新しい蒸気石兵器……?」
ひとりで頭を抱えていると、足元に水が溜まっている。
いや、水じゃない。
……血だ。
中に人がいたんだ。
細い線となって、僕のつま先をつつくように、黒い血が伸びてくる……。
反射的に建物を見てしまった。
見なければよかった……!
崩れた壁から、はみ出した血肉が見える……。
急にこみ上げる吐き気は抑えられず、僕は地面に胃液をまき散らす。
「……けぉっ!………朝から食べてなくて正解だったかも……」
腰をあげようとしたとき、唐突に影がかかった。
「キノコ頭の少年、ここからすぐに去れ! あいつはボクが狙いだっ!」
軽やかで高い、かわいらしくも力強い声だ。
長い艶やかな黒髪が揺れ、背中が見えた。
───華奢な肩には金色の肩章、そしてセーラー服の襟には赤い五本の線が見える。
僕が行きたかった高校の女子制服……。
彼女は一度だけ振り返った。
黒い髪の隙間から、彼女の朱い目が光る。
「生きてくれ! キノコ頭の少年!」
僕の体は固まってしまった。
生きてくれだなんて、赤の他人から言われるなんて思ってなかったから───
お読みいただき、ありがとうございます!
感想・応援、お待ちしております
ぜひ、次話をお楽しみにっ!