一話 〜死に場所を求めて
今日は蒸気雲が薄い。
蒸気石の採掘が好調ではないんだろう。
いつも三〇階層付近で住宅区域を隠すように浮いている蒸気雲が、今日は霧ぐらいの薄さだ。
「湿気が少なくていいんだけど、やっぱちょっと暑いな……」
僕はおもむろに学生服の詰襟のホックを外した。
なんでサボっているのに、学生服なんて着たんだろ……。
でも、僕は高校一年生。朝から私服で歩く方が目立ってしまう。
鼻先まで伸びた長い前髪が視界にかかる。
息をふきかけると、母と同じ金色の髪がふわりと揺れて、なぜかほっとする。
母の色を身につけられていることが、僕にとっては一番の救いでもあるから。
髪をかきあげ、見上げてあるのは天井だ。
それは蒸気街の底でもある。すっかり覆われているため、地上の天気が雨なのか晴れなのかもわからない。
ただ電気の光だけが燦々とこの街を二十四時間照らし続け、いつが昼か夜かはサイレン頼みだ。
「もう少し落ちてみるか……」
僕は下層へ向かうことにした。
迷路街はドーナツのように中心に穴が空いている。
その縁を象るように居住区や商店が並び、五〇階層からは蒸気石の採掘工場や加工場がひしめいている。
だからなのか、下に行くほど治安が腐り、地表に近くなるほど平和が濃いのが迷路街の特徴だ。
着いた階層は四十一階層。
四〇階層から、ぐっと治安が悪くなる。
僕には好都合だ。
「どっかに無頼漢はいないかなぁ……」
僕がここを歩く理由はただ一つ。
『死ぬため』だ。
───五月の長期連休があけて三日目の今日、……僕は人生の意味を見失っている。
四月はとりあえず学校に行ってみた。
こういう生活が普通なんだと言い聞かせて、どうにかこなした。
そして、五月の連休に。
これは、よくいう五月病なのかもしれない。
だけれど、人生の意味が、もう、わからなくなった。
たかだか満十六歳の若造に何がわかる、と言われてしまいそうだけれど、受験資格があるのに受けたい高校すら受けさせてもらえず、ただただ父親の言いなりにしか動けない。
まだ、受けたかった高校に受験して落ちたのなら納得もできるけど、資格もあったし、素質だってあったのに、受けさせてもくれない、そして、この迷路街から出す気がない父親から離れる方法は、ただ一つ。
『死ぬしかない』ってこと。
こんな人生に、もう、終止符を打ちたい……!
これは僕の言葉が足りないとか、意志が弱いとか、そんな小さな理由じゃない。
法律のせいだ。
北海府の法律では、父親が絶対。
例えば、『先生と手を組んでこっそり受験の出願を自分ができる』なんてことは絶対にない。
高校受験にしたって、父親の国民IDはもちろん必要だし、それに対して父親が宣誓だってしなきゃいけない。
十六歳を迎えれば大人とみなされるけど、それまでは親の意見を覆すことは不可能……。
……いや、もっとやり方があったのかもしれない。
だけれど、父は蒸気街で生活し、僕は迷路街で生活させられている。
この差は父が意図的にしていることで、僕の未来を消すためだけの行動にすぎない。
父に僕がなにかを求めても、僕の気持ちが汲まれないのなら、今の僕は従うしかない……。
いや、そうするしか生きる方法がない。
だからこそ、僕は、僕自身に失望し、僕の人生にも失望した。
夢がもう叶わない人生なら、死んだほうがいい。
生きていることに絶望しかないと悟ったんだ、僕は。
だから、死に場所を求めて、こんな掃き溜めの階層に来たわけだ───
「四十三階層……まだ浅いけど、ここら辺で様子みよ……」
この階層にだって常識人もちょっとはいる……と信じたい。
けど、四〇階層域でまともな人を探すのは、藁の中の針を探すくらいの難易度だと思う。
違法薬と酒とギャンブルで済んでいるならまだマシ。
口にもしたくないチープなスプラッタ映画みたいなことが、日常茶飯事にある場所、それが四〇階層域だ。
「……あれぇぇ? こんなところに男の子ガァ? 学ランなんか着ちゃってヨォ」
これは想定内。
眼球がどこかに飛んでるオッサンが登場だ。
今日は群ではないよう。
というか、ハゲでデブでオッサンという、見るだけで三重苦。
いつも思うんだけど、なんで頭の毛はないのに、胸毛は濃いんだろ……。
「迷子かなぁ? かぬぁ?」
呂律がまわっていない。
独特の酸っぱい臭い。体臭から薬が漏れている。
それでも、このオッサンじゃ僕を殺すことはできないだろう。
「なぁ、学生風情が、ぶらぶら歩いてんじゃねぇよぉっ!」
ただ歩いてただけなのに『弱そうだ』っていう理由だけで、オッサンの拳が飛んでくる。
でも、僕は拳じゃ死ねない。
手の甲で拳をながし、さらに握られていたナイフをかわす。
たるんだオッサンの手首を掴むと、ポイっと地面に放り投げた。
そこがちょうどヘドロが塗られた地面だったようで、余計に怒らせたてしまったようだ。
足を滑らせながら、オッサンはなんとか立ち上がると、体半分ヘドロ色に染めながら、唾を吐いて、僕に叫んだ。
「……ブッ殺じでやどぅっ!!」
背中から抜きとったのは拳銃だ。
「いきなり飛び道具? 僕はもっと優しく死にたいのに……」
オッサンが銃を構え、安全装置を外したと同時に僕も唱えた。
「……裂けろ」
蒸気石が僕の言霊に反応して弾けた。
蒸気靴から蒸気が吹きだす。
それは視界を遮るように、分厚い蒸気をふくらませていく。
僕はホバークラフトの要領で浮いた体を滑らせながら、両足のかかとを地面に叩いた。
すると、弾けるように蒸気が勢いよく噴出し、僕を簡単に空中へ泳がせてくれる。
「逃げんじゃねぇぞ、餓鬼ガァァ!」
三発の銃声。
だけど、蒸気を巻きつけて飛んでくる弾丸は、軌道を読むのが容易い。
浮いた体をくねらせ避けたが、一発、僕には当たらず、蒸気管をかすっていく。
蒸気管は運悪く高熱パイプだったようだ。そこから勢いよく灼熱の蒸気が吹き出しだす。
「あぢぃぃっ! ごろずぅ! あぢぃ!!! ぎゃぁぁあああ!」
皮膚を溶かすほどの熱い蒸気。それがオッサンめがけて噴きつけている。
……というのは、オッサンの叫び声がそんな感じだから。
僕は蒸気の幕で顛末までは見えない。これは僕の心にとても優しい。
猛々しい悲鳴に押されるように、錆び付いた看板に、物干し竿や蒸気管を避けて飛んでいく。
階層が上がるほどに色がついていくように思う。
下層ほど錆びた赤鉄色に染まり、蒸気の霧がたちこめている。
「少し、のぼろう……」
───これがいけなかった。
のぼりさえしなければ、あんなことにはならなかったんだ。
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