九話 〜覚悟を求めて
中華料理の幸せに浸って、踏み出した四歩目。
僕は朱を抱えると、ビルとビルの隙間に飛び込んだ。
「のぉぉおおおぉっ」
「ここ近道なんだ」
漆黒しかない穴を落ちていく。
朱の悲鳴とも言えない声が響くけど、その声が誰かに届いたところで問題じゃない。
このスピードに追いつける人間がいるとすれば、誰だろう……?
比べたことがないからわからないけど、この階層の人間が追いつくことは、まずできない。
速度を落とすために、時折蒸気を蒸気靴から吐かせると、蒸気の温かさが頬を擦り、しっとりと肌が湿る。そのたびに朱が「んご」とか「がぁ」とか鳴くのが面白い。
「隼! もっとボクの体をいたわって飛んでくれ! これじゃあ、中華が出てしまうっ」
「あー、たしかに。ごめん、ちょっと楽しんでた」
大きく蒸気を噴出させてから電線に着地すると、朱から、ふうと大きく息がもれた。
「胸がひきちぎれるかと思ったぞ!」
朱はたゆんと胸を持ち上げ、僕に文句をいってくるけれど、僕には、その胸になんの効果もありません。
「な、隼、ここからその場所までどれくらいかかる」
「あと七分もあれば……」
「早すぎるだろ!」
「……え?」
「隼はそのまま飛び込んで、もう死ぬのか?」
「……まだ、死ぬまでは考えてなかったかな……」
「すこーし、寄り道をしようっ! 我々に作戦が何もないのは問題だっ」
「たしかに二人では考えてなかったね」
「隼、考えてるなら話せ! 運命共同体ではないか!」
「……なし崩しにですけど」
地下へ沈むほどに空気も濁り、視界も悪くなる。
まだここは四〇階層域ではあるけれど、四十八階層。
この五〇階層の狭間は、人の淀みが溜まった場所ともいえる。
採掘者が多い居住区とはいえ、生きながら死んでいる人間が徘徊する場所だ。普通に歩くだけで危険極まりない。
朱はもう鼻が痛むようで、ハンカチがきっちり巻かれている。
そんな格好をしてもこ目立たないのが四十八階層だ。
ただ……。
「朱、ごめん。君の制服、少し目立つかも」
「制服が? ボクの胸じゃなく?」
ふるるんと再び胸が揺れる。
わざと大きな胸を揺らす朱に、僕は侮蔑の目を向けた。
「なんだ、その目は! 男は胸が大きいのがいいんだろ? どうだぁ?」
「そう思ってるところが……はぁ……わかってないわぁ……」
「なんだなんだ、そのため息は!」
「あのね、僕は揺れない平らな胸がいいの。プラス、お姉さん属性がついてたら最強なの。むしろ道央の御煙番頭領のサツキ様、最強っしょっ!……こうさ、スレンダーで戦いに向く体してるけど、してるんだけど! 女性らしくないシルエットだからちょっと気にしちゃっててみたいな、恥じらいとか、もー最高すぎる!」
「好きなことに興奮して早口でしゃべる隼は、典型的に隠の者だな!」
「うるさいし……」
「それに後半、ほぼほぼ妄想だったけどなっ!」
「と、とにかく、僕は、見た目が幼女で胸がデカい同級生に、興味はないから!」
「きっぱりだなっ!」
そう言いつつも、僕のジャケットを朱にかけた。もうワンピースですかっていうぐらいの長さだけど、右腕が破れているのがいいアクセントだ。
「すごく変だ!」
「変がいいんだよ。四十五階層から下は、変人……いや、奇人しかいないから」
広い通りを狙って歩く。
ここの階層は監視カメラは、全て壊されている。だから隠れて歩く必要がない。だからそう言った部分は気が楽。
ただ裏道に入れば簡単に殺人鬼とエンカウントだ。
弱そうな階層外の人間は、殺して肉として売られるのが日常の場所。
リアル・弱肉強食!
僕も何度となく追われて、刺されて逃げ回ったことか……。
通常ここに来なきゃいけない上階層の人間は、護衛をつけて目的の工場や地域まで蒸気人力車で一直線。
ふっつーに歩く人は、殺されたい人間だけ。
だけれど、ここじゃ、まともに死ねない。
頭で考えたくないような殺し方だから、ここでの自殺は、僕の中では論外。
「えええええ獲物ぉおぉぉー!」
さっそく殺人鬼とエンカウントだ!
すぐに朱が僕の背後に隠れた。
「な、なんだあの女は!」
僕のシャツをぎゅっと握ってくる。
ちょっと、きゅんと……してる暇はない!
「死んでぇぇえええちょーだあぁぁあいっ」
逆手に持った錆びた包丁を交互に振り下ろす様は、まさに鬼女。
血走った目がギラギラとして、別な生き物に見えてくる。
僕は蒸気靴を弾けさせた。
体を回転させ、空中で宙返りをし、ドロップキック!
僕の足が女の顎にめり込んで、鉄筋の壁に叩きつけられる。
地面に転がった女だけれど、まだもぞもぞと動いている。ここの人間は生命力も半端ない。
僕が四回転トゥループを決めて着地をすると、朱がパチパチと手を叩いた。
「隼の蹴りはとても美しいな!」
「そう? なんか嬉しい」
この殺人オバサンとのやりとりが、いい見せしめになったようだ。
攻撃対象であるものの、一定の距離を開けてくる。
気配は三つ。僕らの後ろをついてきているけれど、様子を伺っているだけだ。
そのうち消えていくだろう。
……うん、ひとり、奥の道へと隠れた。
「朱、このまま作戦会議しようか」
「いや、どこかに飛んだ方がいいんじゃないのか? まだ視線を感じるぞ!」
「この辺りまで僕の散歩範囲だし大丈夫。さっきので僕らを襲うとなんて思わなくなったから」
「本当か?」
「うん。向こうの危機察知能力はすごいよ。ネジが外れた狼のくせに、武器を備えた兎は狩らない主義だから」
朱は理解できたのか、それ以上の追求はなかった。
ただ僕のそばにピッタリとくっついて歩いてくる。
僕の左腕を握るから、大きな胸が肘に当たる。
……とっても邪魔だ。
「なぁ、隼は本当にただの高校生なのか? あれほどの動きができるのは珍しいぞっ!」
「何言ってんの。僕はただの高校生。みんななだって、見せてないだけでこれぐらいできるんじゃない? 知らないけど」
僕は自分の腕時計で3分測ることにした。
この間に作戦を決めよう。
「朱は、手長足長のこと、どれだけ知ってるの?」
「まず、すぐに相手を殺さない。さらに今回、委員長はボクたちを呼び出す材料だ。だから、ボクたちが行くまでは殺さない」
「弱点は?」
「それは知らんな!」
「はっきり言わないでよ……」
「だが隼、お前の右腕は《《自由》》だ」
「自由……?」
僕は朱の言葉を噛み砕き、右手に目を落とす。
ピキンと黒い鎧が軋む。
「……そうか、自由、なんだ。うん。……朱、蒸気石って在庫ある?」
「ない!」
「キッパリ言われると腹をくくるしかないけど、リュックがないのが致命傷だよ……でも、高級蒸気石だったから、どうにかなるかな……でもな……だって僕なんてさ……」
「これから、デモデモダッテ禁止な!」
「何いってんだよ。だいたいこれは本当に無理じゃないか!」
僕は横からひょこひょこ顔を出す朱の耳をつまむ。
もう負け戦もいいところだ。
ただ、この右腕に賭けるしか、今は策はない。
「痛い! だが弱気は禁物だろっ!」
「そうはいったってさ、僕が殺される前にちゃんと逃げてよ? 僕が死に損になるなら、朱のこと呪うから!」
「いきなり強気に出たな。そのときはボクも死んでるだろ! 死んでるのに呪われてもなぁ……だが、大丈夫だ! ボクの最新の鎧がついてるんだ! そしてその天才デザイナーのボクがいる! 絶対勝てるっ」
「……なんだよ、その自信……」
「ボクは間違ったことがないっ!」
「裏切られてるじゃん」
「……ぐっ!」
それでもにっこりと笑う朱の言葉が、全て本気なのか、建前なのかわからない。
だけど、彼女の声は僕の腹をしっかりくくらせてくるし、もちろん、支えてもくれる。
───勝機は?
───正気か?
僕の頭のなかで言葉が繰り返す。
……死ぬかもしれない。
いや、死ぬだろう。
だけど、委員長を助けないことには……。
だって僕らを見つけなければこんな目には合わなかったんだから。
そう、これで死ねば、それはもう仕方がないことだ。
……僕はほんのり思っていた。
死ぬ前に御煙番みたいなことをしてみたっていいじゃないかって……。
だってカゲロウには才能があるって言われたから。
今日、僕は死ぬ。
でも、一瞬でいい。
人生で最後に一度、御煙番なってみたっていいじゃないか……!
お読みいただき、ありがとうございます!
一言感想、応援、とても励みになりますっ
隼が腹をくくり、手長足長に挑みます
次話、乞うご期待!





