三話
誰もが一度は必ず思う事だと思う。
学校などでの説明会で、不審者に声をかけられたら防犯ブザーを鳴らしたり大声をあげて逃げなさいと、先生は言う。
何度も耳にタコが出来るぐらい言われて、納得もしただろう。けれど、誰も分かってはいなかった。いや、分からなかった。
人は恐怖に陥った時、咄嗟の行動は出来ず、声を出そうとも何故か声が出ないものだと。ただ立ち尽くす事しか、恐怖に震える事しか出来ないのだと。
今、俺はそれを痛感していた。
目の前に立つ化け物の姿を見て、思わず叫びそうになった。けれど、あまりの恐怖に声が出てくれなかった。
コスプレ、なんてもんじゃない。見れば分かる、アレは本物だ。腕を覆う鱗も、背で蠢いている翼も、太い尻尾も、何もかもが本物だ。
人は未知に相対した時、こうも無力なのかと思い知らされる。唯一の救いは素顔が仮面で見えなかった事と人語を話してくれた事だろう。
だからギリギリで理性は保ってくれた。これでもし恐ろしい形相で理解の出来ない言語を喋られていたら俺は確実に発狂していただろう。
俺が硬直していると、目の前の化け物———メイド服を来た何かはやはり女性の声で俺に話しかけてきた。
「度量の小さい人間ですね、そこまで驚かれると流石の私も傷付くのですが」
「——————」
「あまりの驚きに言葉も出ませんか? それとも言葉が通じてないのですか? どちらにせよ、寝具の下から顔だけ出して硬直されてる姿は滑稽ですよ?」
……なんか罵倒されてるんだけど。メイドさんってもっと丁寧な口調じゃないの?
「いつまでそうやってるつもりですか? 早く仕事を済ませて惰眠を貪りたいのですが」
わーお、このメイドさん堂々とメイドとしてあるまじき発言しちゃってるよ。けどメイドさんの言う通りだ、俺が動かなければ何も始まらない。
幸いにもあちらはこちらとコミュニケーションを取ってくれている様子だし、こちらも会話に応じよう。
「えーっとですね、食べたりしませんよね?」
こんな発言しか、俺は出来なかった。
◇◆◇◆◇
「本当に帰りやがった……」
あのメイドさん(本当にメイドか?)、有言実行というかなんと言うか、自分に素直過ぎでしょ。
仕事してる最中にため息ついたり、「早く寝たい……」とかぼやいてたし。多分いい人っぽいんだよなぁ。
人がどうかで言えば絶対人じゃないけどな。言葉の綾っつーか、突っこまんでくれ。
「って、誰に言い訳してんだか……」
取り敢えず、常識とかなんとかは俺の頭からはさっぱりと消えた。あんなもん見せられて納得出来る訳ないだろ普通は。
しかし、だ。
さっきの一幕で分かった事がある。まず、まだ日本という可能性を捨てきれない事。これは俺の言葉とあのメイドさんの言葉が日本語だったからだ。
次に、ここはやはりそれなりに立派な場所だという事だ。薄々分かってたけど、メイドさん(人じゃないけど)がいるって事は少なくとも貴族の部類に入ると思う。
となれば、ここの主人は怪物趣味か何かなのか? 特殊性癖って可能性も捨てきれないけど正直どっちにせよ最悪なのに変わりはないよな。
てかあのメイドさん俺のこのどっかの部族みたいな格好にも気にせず普通に会話してたな。知ってんのかな、俺のこの謎の落書き。
……どうすっかなぁ。なんか最初はあのメイドさん見て凄いビビったけど、あの性格のせいで毒気が抜かれたというか気が抜けたというか……。
いや、まぁ……頭が冷えたのは確かなんだけどね。
というか色々あって混乱してたけど、結局どうすれぼ良いのか分からなくなってしまったなぁ。
……多分命の恩人なんだろうけど、その場合俺の今の状態、というか借金とか諸々の事が気になるからやっぱりここの主人と一度話をした方が良いよな?
「けどこの格好でか……?」
上半身裸の謎のペイントを身につけたヤベェやつ、それが現在の俺である。悲しきかな、俺の姿は誰から見ても不審者の極みなんだよな。
じゃあ服を借りるかってなると、これまた別の話になってな。女物しか無いんだわ、この部屋にある衣類。
お分かり? 俺がこのままこの部屋にある服借りたら女装しているヤベェ奴にしかならないんだよ。多分社会的にも精神的にも死ぬな。
……女装するよりかはマシか。しゃーない、このままで行くっきゃないな。
「おっこいしょ」
無駄にデカいベットから降りてドアへと近づく。この部屋には俺しかいないので俺の足音だけがペタペタと響く。
よし……行くか。俺はドアノブをゆっくりと回して、ドアを開ける。
……誰もいないな。てか、人気が無いように感じるんだが……。留守にしてんのか? それとも従業員があのメイドさんだけ、ってのは流石に思考放棄し過ぎか。
(まぁ、人がいないならそれはそれで、こっちとしても都合が良いから構わないけど……)
変態として捕まりたくないしな。
こうして上半身裸の不審者極まりない俺の冒険(笑)が幕を開けようとしていた———!




